解説委員室

解説委員コラム


連邦崩壊20年・忘れえぬ人「時代を選ぶことは出来ない。ただわれわれはそこで生きそして死んでいくだけ」

石川 一洋 解説委員

 「石川さん、ソビエト連邦が消滅しました。すぐ支局にきてください」
 民族問題の取材で中央アジアのキルギス、ウズベキスタンと一か月余り歩き回り、疲れ切った身体を当時定宿としていた川沿いのアパートのベッドに投げ出した時、支局からの電話を受けた。インターネットもなく携帯電話もまだ稀な時代の91年12月8日の夜だった。後輩の記者からの電話だったが、私は何を言っているのか、最初は意味が分からなかった。思わずふざけるなと怒鳴りつけるところだった。

 ロシアのエリツィン大統領、ウクライナのクラフチューク大統領、そしてベラルーシのシュシュケービッチ最高会議議長が、ベラルーシのベラベジという森の奥深くにある別荘地に集まり、世界を震撼させる合意に署名した。「ソビエト連邦は地政学上も国際法上の対象としてももはや存在しない」。三首脳の合意によって20世紀の歴史の主役であったソビエト連邦があっけなく崩壊したのだった。

 今は歴史の一部となった連邦崩壊だが、90年以来私はソビエト、ペレストロイカ末期の激動の中で私の国際記者としてのキャリアを始めた。一年間の間に8か月以上出張し、ニュース、企画、番組を取材し、作り続けた。ベラベジ合意から直ちにこの合意の裏側に迫る取材が始まった。私は中央アジアに飛び、のちにアシュハバート合意と言われる中央アジア五カ国の首脳会議に立ち会った。この会議で中央アジア諸国もソビエト連邦崩壊を認め、ロシアなどとともに新たな組織独立国家共同体の創設を支持することを明確にした。空港でウズベキスタンのカリモフ大統領にぶら下がったところ、「おれはソビエト連邦よりもエス・エヌ・ゲー(CIS独立国家共同体のロシア語読み)が好きだ」と述べた。アシュハバード会議の後、私はカザフスタンのナザルバーエフ大統領に頼み込み、アルマタ(現在のアルマトゥイ)まで大統領専用機に同乗させてもらった。何しろトルクメニスタンからの交通手段が無かったからだ。インタビューを通じて誼を通じていたナザルバーエフは友達の願いは断れないよ、と述べて応じてくれた。機中でのインタビューでは「俺は中曽根に似ているだろう」と冗談もいい、ご満悦だった。
 もしかしたら連邦からの解放を一番感じていたのは彼らだったかもしれない。まだ40代後半と若い彼らは新たな国の主人となるということへの高揚感を隠しきれなかった。カリモフもナザルバーエフも今もって大統領のままである。

 ゲンナージ・ブルブリスはエリツィン大統領の懐刀でソビエト連邦崩壊のシナリオを描いた男と言われた。91年12月アルマアタ会議の時に当時のウクライナのクラフチューク大統領とブルブリスが同じ飛行機のタラップを降りてくるのを目撃して仰天した覚えがある。それだけに敵も多く、当時の連邦大統領ゴルバチョフは、新連邦条約の構想を潰し、ウクライナとともに連邦を崩壊させた張本人としていまだにブルブリスを非難している。私は2006年連邦崩壊15年の特別番組を制作した際に、都合三回、10時間近くブルブリスにインタビューしたことがある。エリツィンは2007年に死んだ。ブルブリスの盟友で市場経済改革を断行したエゴール・ガイダルも死んだ。もっとも若い蔵相と言われたボリス・フョードロフも死んだ。

 ブルブリスがエリツィンに代わって国務長官、第一副首相として事実上率いた第一次エリツィン内閣のメンバーで政治的に生き残っている人はおらず、若死にした人も少なくない。連邦崩壊前後の2,3年にその政治生命のすべてを掛けたかのような生き方だ。彼らのエネルギーのすべてを奪うような激変だった。

 2006年のインタビューで最後に私は、プーチンが「ソビエト連邦の崩壊は20世紀最大の地政学上の悲劇だ」と述べたことに関連して、私は「あなたはこれを悲劇と考えるか」と聞いた。ブルブリスは一息ついたあと愛唱しているというソビエト時代の詩人アレクサンドル・クシュネルの詩の一節をつぶやいた。「時代を選ぶことはできない。ただ我々は生きてゆき死んでゆくだけ。市場でのようにこれをあれに交換してくれとせがみ、ぐちることほど俗悪なことはこの世にはない」。そして連邦崩壊は悲劇ではあるが、そこに巡り合ったものとして新たなロシアを想像するという誇りがあったと述べた。 「我々はソ連の崩壊という悲劇を体験するだけでなく、自分の祖国の運命を確定するのに参加し新しい民主的な尊敬の対象となるロシアを作り出すことを志していたのです。つまり全人類的な偉大な文化的精神的成果を備えたロシアを、です」。
 その思いは実現したのであろうか。ブルブリスはロシアの将来については楽観的であった。そして最後にもう一度クシュネルの詩をつぶやいた。最後の一節だけを少し変えて。
 「時代を選ぶことはできない。ただ我々は生きてゆき死んでゆくだけ。祖国を愛するという以上に大きな誇りは無い」。

 1991年12月25日夜8時過ぎ、私は赤の広場で取材していた。その日、ゴルバチョフがクレムリンを離れ、クレムリンに掲げられていたソビエト連邦国旗・赤旗が降りるというのだ。瞬間を取り逃さないように周到なカメラマンが、二台のカメラを用意して、アップと引きのサイズで撮りつづけてその瞬間を待った。一時間も待っただろうか、ふと目をそらした隙に赤旗が降り始めている。誰にも気づかれない静かなソビエト連邦の終幕だった。

2011.12.21



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