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「徴兵を拒否した日系人 ~知られざる歴史~」(キャッチ!ワールドアイ)

出石 直  解説委員

太平洋戦争中、アメリカ西海岸に住むおよそ12万人の日系人が住む家を追われました。わずかな手荷物を持っただけで列車に乗せられ、行先も告げられず強制収容所に収容されたのです。収容所は人里離れた砂漠地帯などにあり、夏は暑く、冬は凍てつく寒さだったと言います。
(収容経験者)「冬はとても寒かった。暖房用の石炭を外まで取りに行かきました」
(収容経験者)「これが監視塔ですね?監視兵の銃口は我々にむけられていた。逃げ出さないようにね」

日系人の強制収容は、アメリカの歴史に残る悲劇のひとつです。トランプ政権が厳しい移民政策を打ち出す中で、今、強制収容を経験した日系人達が、自らの体験を次の世代に語り継ぐ運動を進めています。出石 直(いでいし・ただし)解説委員とともにお伝えします。

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Q.なぜ戦時中、日系人だけが強制収容されたのでしょうか?

A.真珠湾攻撃の後、日系人が日本軍の手引きをしているというデマが広がっていたからです。背景にはアジア系移民、とりわけ日本からの移民に対する差別や偏見がありました。戦後、1983年になって連邦議会の調査委員会は「日系人の強制収容は、人種偏見と日本人への行き過ぎた警戒心、そして政治指導者の誤りが招いたものだ」と結論づけています。

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こちらは当時のアメリカの軍当局が日系人の立ち退きを命じた掲示です。All Persons of Japanese Ancestry =日本人を祖先にもつすべての人々、と書かれています。

Q.ということはアメリカ国籍をもつ日系人も強制収容されたのですか?

A.その通りです。当時、日本生まれの日系1世はアメリカ国籍を取ることができませんでしたが、強制収容された日系人の3分の2はアメリカに生まれの日系2世、つまりアメリカの市民権をもつアメリカ国民でした。日本人のルーツを持つというだけで危険視され強制収容所に入れられたのです。

そのひとり、タカシ・ホシザキさん(93)です。カリフォルニア州にあった自宅を追われ、ロッキー山脈の麓に建てられたワイオミング州ハートマウンテン収容所に収容されました。

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(跡地を案内するホシザキさん)
「私の後ろにバラックが建ち並んでいました。そこにおよそ1万人の日系人が収容されていたのです。赤い煙突のあたりに病院がありました」

収容された日系人達にはさらなる試練が待ち構えていました。

Q.さらなる試練とは?

A.忠誠登録と呼ばれる調査です。収容所の日系人は、次のような質問に「イエス」か「ノー」か答えるよう求められたのです。

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「あなたはアメリカ軍の兵士として戦う意思があるか」
「アメリカ合衆国に忠誠を誓い、天皇や日本政府の命令に従わないことを誓うか」

アメリカ人としての忠誠心を問うこの調査は、日系人社会に大きな亀裂をもたらしました。
(記録映画)「イエス」と答えたアメリカの市民権をもつ日系人は、アメリカへの忠誠を示すために徴兵に応じてアメリカ軍に入隊し戦地に赴きました。
なかでも有名なのが日系人によって構成された第442部隊です。442部隊はヨーロッパ戦線でドイツ軍と交戦し数多くの犠牲者を出しました。フランスの北部でドイツ軍に包囲され孤立していた200人あまりのテキサス兵を救出した作戦では、200人を超える日系人兵士が死亡し、600人あまりが手足を失う犠牲を出しながらも救出に成功し、勇敢な部隊としてその名を轟かせました。アメリカ軍の兵士として危険な戦地で命をかけて戦うことでアメリカ市民としての忠誠心を示したのです。

Q.「ノ-」と答えた人達はどうなったのでしょうか?

A.より環境の悪い収容所に移されたり、投獄されたりしたのです。先ほどのホシザキさんもそのひとりでした。ホシザキさんが収容されていたハートマウンテン収容所では組織的な徴兵拒否運動が展開されていました。ホシザキさんは62人の仲間とともに徴兵を拒否し徴兵忌避罪に問われて有罪判決を受け、およそ2年間にわたって刑務所生活を強いられました。

Q.なぜホシザキさんは徴兵を拒否したのですか?

A.ホシザキさんは次のように話しています。
(ホシザキさん)「アメリカ合衆国憲法で保障されている権利を完全に無視されたのです。法律は無視され日系人の財産が奪われました。裁判もなしに強制収容所に入れられたのです。アメリカ政府は憲法を完全に無視したのです」.

「自分達は憲法で保障されている自由を奪われ強制収容されている。それなのになぜ徴兵に応じなければならないのか」、それが徴兵を拒否した理由だったというのです。
442部隊が英雄として賞賛を浴びたのとは対照的に、徴兵を拒否したホシザキさん達の行動はアメリカに忠誠を誓おうという日系人からは裏切り行為と見做されました。
徴兵を拒否した人達が、日系人団体と和解し名誉を回復したのは戦後60年以上が経ってからでした。

戦後、恩赦を受けて刑務所から釈放されたホシザキさんは、朝鮮戦争では徴兵に応じて従軍、その後、大学で博士号を取得し科学者としての人生を歩みました。

(講演するホシザキさん)
ホシザキさんは93歳になった今も、毎年、収容所があったワイオミング州を訪れ、理不尽な理由で自由を奪われた強制収容での体験を人々に語り続けています。

(ホシザキさん)
「徴兵に応じる若者を募るために軍人がやってきました。442部隊の欠員を補うためにさらに多くの兵士が必要だったのです」

日系人の強制収容から77年、移民や難民、外国人など、異なる文化をもった人達に対する寛容さを失いつつある風潮は、今、アメリカに留まらず世界各地に広がっています。
ホシザキさんは、日系人の強制収容は過去の出来事ではない、今にも通じる問題だと言います。

(ホシザキさん)
「今、この国で起きていることは、70年前に起きたことととてもよく似ています。私はまだ戦っているんだ。まだまだね」

日系人の強制収容自体、理不尽な悲劇だったのですが、祖国日本に忠誠を誓う人達もいれば、アメリカに忠誠を誓い戦地に赴いた人達、そしてホシザキさんのように強制収容に抗議して徴兵を拒否した人達もいました。日系人社会は日本とアメリカという2つの祖国の間で揺れ動いたのです。

強制収容所で徴兵を拒否した日系人がいたことは、日本ではもちろんアメリカでもほとんど知られていません。ホシザキさんら強制収容を経験した日系人の証言は、祖国とは何か、国を愛するとはどういうことなのかを、今の私達に問いかけているように思います。

(出石 直 解説委員)

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