NHK 解説委員室

解説アーカイブス これまでの解説記事

「INF条約破棄へ~軍拡競争再燃か」(キャッチ!ワールドアイ)

津屋 尚  解説委員

冷戦時代、アメリカとソビエトが調印したINF・中距離核戦力全廃条約。射程500キロから5500キロの地上配備型のミサイルを禁じ、核戦争の危機を大きく低下させました。あれから30年余り、アメリカはロシアの違反を理由に条約を破棄すると通告。ロシアも条約を破棄する方針を明らかにし、新型兵器の開発に着手するとしています。一方、条約による拘束を受けず、中距離ミサイルの開発と配備を続けてきたのが中国です。INF条約の破棄によって軍拡競争が再燃しかねないと懸念されるなか、安全保障上の課題を読み解きます。

Q1:津屋さん、アメリカは先週2日、INF条約からの離脱を通告し、ロシアも条約を破棄すると表明していますが、これをどうみますか。

A1:冷戦中につくられた条約が新たな国際秩序の中で十分に機能しなくなったものの、その代わりも見つからないというのが、今の状況だと思います。

i190207_02.jpg

今回、私が注目するのは、アメリカが条約の破棄を通告すると同時に「条約の履行義務」を即座に停止する方針を表明したことです。条約が効力を失うのは、規定では本来、半年後。しかし、アメリカは、離脱の通告をしたその日に「条約の履行」を停止し、中距離ミサイルの研究や開発にただちに乗り出そうとしています。

i190207_03.jpg

一方のロシアのプーチン大統領も、アメリカと同様、「条約の履行義務の停止」を宣言し、条約が禁じる兵器の開発に乗り出すことを明らかにしました。さらに、ラブロフ外相も6日、「半年後に条約は失効するだろう」と述べ、ロシアとしても条約を破棄する方針を改めて示しました。 米ロは、正式な条約の失効を待たずに新兵器の開発競争に突入する様相を呈しています。

Q2:アメリカが主張するロシアの条約違反とはどういうものですか?

i190207_04.jpg

A2:INF条約は、射程が500キロから5500キロの地上配備型の弾道ミサイルと巡航ミサイルの保有や開発などを禁じています。アメリカやNATOは、▽ロシアが開発する巡航ミサイル「9M729」や、▽ポーランドの北にあるロシアの飛び地カリーニングラードに配備された弾道ミサイル「イスカンデル」などが条約に違反していると批判しています。そして、ロシアが違反行為を改めない限り、アメリカは条約の規定に基づいて半年後にこの条約から離脱するとしています。ポンペイオ国務長官によれば、先ほども指摘したように、通告をした2月2日をもって「アメリカは条約の履行義務を停止する」としています。

Q3:ロシアはアメリカの主張する違反行為を認める気はなさそうですね。

A3:ロシアは、条約違反を強く否定しているだけではなく、逆に、アメリカがポーランドなどに配備しているミサイル防衛システムの「イージス・アショア」こそが条約違反だと批判しています。

i190207_06.jpg

 このように激しく対立する両国ですが、ひとつ一致している点があります。それは、「冷戦時代の産物であるINF条約は、今の情勢には合わなくなっていて、自国の防衛の足かせになっている」という考え方です。

i190207_08.jpg

 ロシアにとっては、自国の周辺には今や、中国、北朝鮮、インド、パキスタンといった中距離弾道ミサイルを保有する国々に囲まれているのに、INF条約によって同等の手段を禁じられているのは不公平だと考えているのです。
 一方のアメリカは、ロシアの違反を口実に条約を抜けて、みずからも中距離ミサイルの開発を進めようとしているとも言えます。

Q4:中距離ミサイルを持つ国の1つに中国の名前があがったが、アメリカが中距離ミサイルを保有しようとするのは、ロシアに加えて中国の存在も大きいのでしょうか?

A4:その通りです。中国こそが最大の理由でしょう。INF条約は2国間条約ですから縛られるのは当然米ロだけです。中国は、米ロが条約で手足を縛られている間に、着々と「中距離」の “弾道ミサイル”や“巡航ミサイル”の開発と配備を進め、今では「世界最大の中距離ミサイル保有国」です。核弾頭ではない通常弾頭もあわせるとその数は1900発にものぼるとされています。 その多くが、米軍基地のあるグアム、そして日本を射程におさめています。
さらに“空母キラー”の異名を持つアメリカの空母を撃沈する「対艦弾道ミサイル」を保有しています。これは中距離弾道ミサイルを改良したものです。
ところが、アメリカには、これらに相当する装備がない。自分たちが持ちあわせない兵器を競争相手が持っているという不均衡を何としても解消したいというのがアメリカの本音です。

Q5:アメリカの危機感は相当なものですね。

A5:アメリカは、中国やロシアの軍事力増強によって、圧倒的な軍事力の優位性が失われつつあると強い危機感を持っています。特に警戒しているのが、アメリカが開発で遅れをとっている「ハイパーソニック兵器」=「極超音速兵器」です。極超音速兵器は、音速の5倍以上の猛スピードで飛行するもののことをさします。弾道ミサイルと同じように垂直に打ち上がった後、弾道ミサイルとは全く違う軌道を飛びます。弾道ミサイルは、宇宙空間から放物線を描いてまっすぐ落下しますが、極超音速兵器は、大気圏内を途中で大きく方向を変えながら飛行します。このため、ミサイル防衛システムでの迎撃は極めて困難とされています。ロシアのプーチン大統領は、「アバンガルド」という音速の20倍で飛ぶ直腸音速兵器を今年から実戦配備する方針を示しています。
対するアメリカは先月、9年ぶりに「ミサイル防衛戦略」を発表しました。この中で中国やロシアの「極超音速兵器」を追尾するための高性能センサーを宇宙空間に配置する方針を打ち出しました。ミサイルをめぐる競争は「宇宙空間」にも拡大しようとしています。

Q6:INF条約が破棄されると、影響を受けるのはどの地域ですか。

A6:アジアとヨーロッパの両方です。特にこの問題に敏感な欧州諸国にとっては、冷戦時代の核戦争の恐怖がよみがえるのではという不安が広がっています。

Q7:軍拡競争が野放しになりかねませんが、新たな条約などを模索する動きはないのですか?

i190207_014.jpg

A7:NATO加盟国でもあるドイツやフランスなどは、ロシアの違反行為を非難しつつも、条約を消滅させてはならないとの立場です。米ロ双方に対話を働きかける方針ですが、ロシアの姿勢をみると、状況は極めて厳しいと言わざるを得ないでしょう。また、INF条約の代わりに米ロ以外の国も巻き込んだ新たな核軍縮条約をつくるべきだという発言はトランプ大統領自身からも出ているものの、具体的な道筋は何も見えていません。

Q8:最後に日本への影響はどうでしょうか?

A8:中国の中距離ミサイルの射程には、日本も含まれていますから、この問題は日本の安全保障に直接影響します。日本の安全を考えると2つの対立する意見があります。

i190207_017.jpg

▽1つは、同盟国アメリカが中距離ミサイルをアジアに配備して中国との不均衡を解消すべきだとする意見。▽もう一つは、アメリカが中距離ミサイルの開発や配備に乗り出せば、その結果、中国との軍拡競争が激化して日本をとりまく地域の情勢は不安定化しかねないと懸念する意見です。本来向かうべき方向は、中国も巻き込んだ新たな核軍縮の枠組みを目指すことです。しかし、中国を軍縮交渉に引き込むのは極めて難しいというのが現実です。
INF条約をめぐる対立によって、米ロが結んでいるもう一つの核軍縮条約にも影響が及ぶ可能性があります。それは「新START条約」です。

i190207_019.jpg

戦略核弾頭を1550発以下にすることやその運搬手段になるICBMや爆撃機などの数の上限を800にすると定めたものですが、この条約は2021年2月に期限を迎えます。しかし、条約を延長するための交渉は中断したままで、このままだと、戦略核の軍縮の枠組みもなくなってしまうかもしれません。INF条約からの離脱を通告したトランプ政権は、無秩序な軍拡競争を再燃させ、世界をより不透明にする「パンドラの箱」をあけてしまったのかもしれません。

(津屋 尚 解説委員)

キーワード

関連記事