NHK 解説委員室

解説アーカイブス これまでの解説記事

「硫黄島 日米『核密約』を考える」(キャッチ!ワールドアイ)

増田 剛  解説委員

(VTR)
今年は、戦後長らく、アメリカの占領下にあった小笠原諸島が日本に返還されてから半世紀となる節目の年です。
この小笠原諸島のうち、硫黄島は、太平洋戦争最大の激戦地のひとつでした。戦後、アメリカ軍は、この島に基地を築き、冷戦が激しかった時期には、核兵器も貯蔵されました。返還後も、自衛隊の基地が置かれ、日米が軍事拠点とする位置づけは、今も変わっていません。
そして、こうした硫黄島の軍事拠点化の歴史を象徴する出来事として注目が集まっているのが、いわゆる「小笠原核密約」です。
返還当時、日米両政府が取り交わしたとされる、この文書には、何が書かれているのでしょうか。
そして、密約といわれるゆえんは、どこにあるのでしょうか。

i180913_00.jpg

Q1)
外交・安全保障担当の増田剛解説委員です。増田さん、この「小笠原核密約」、どのような性格の文書なのでしょうか。

i180913_01.jpg

i180913_02.jpg

A1)
はい。この文書は、外交研究者の間では「小笠原議事録」と呼ばれていて、今から50年前、1968年4月の小笠原返還協定時に交わされることになっていた、当時のジョンソン駐日アメリカ大使と三木外相との議事録の英語の案文です。その後、長らく公開されないまま、アメリカ政府内で保管されていた文書で、1995年に機密指定が解除されました。
概要を言いますと、アメリカ政府が、小笠原諸島の返還後も、有事の際には、硫黄島への核兵器の貯蔵を認めるよう求めたのに対し、当時の日本政府が、それを黙認したと評価できる内容が記されています。
ただ、この文書の意味合いや、密約といわれるゆえんを理解するためには、太平洋戦争時から戦後にかけての硫黄島の軍事拠点化の歴史を振り返る必要があると思います。

Q2)
硫黄島の戦いというと、クリント・イーストウッド監督が映画化しましたし、太平洋戦争の激戦地として有名ですよね。

i180913_06.jpg

A2)
そうですね。小笠原諸島の硫黄島は、東京の南およそ1250キロの太平洋上に位置する火山島です。太平洋戦争末期、アメリカ軍は、日本本土攻略に向けた前段階の攻撃目標として、硫黄島に狙いを定めました。硫黄島は、アメリカ軍が拠点を置くマリアナ諸島と東京の中間点に位置し、滑走路もあるため、日本本土に爆撃を行う際の中継基地として重視されたのです。
1945年2月、島は、激しい空爆と艦砲射撃にさらされました。
海兵隊による上陸作戦が開始され、地下壕にこもる日本軍守備隊との間で、凄惨な地上戦が繰り広げられました。翌3月、アメリカ軍が島を制圧しましたが、日本側はおよそ2万1900人の死者を出して全滅、アメリカ側もおよそ6800人が犠牲になりました。

i180913_07.jpg

こちらの写真を見てください。
アメリカ兵が、島を見渡せるスリ鉢山の頂上に、星条旗を立てる姿を捉えた写真は、史上最も有名な報道写真の一つとされています。
アメリカでは、この写真をもとに、首都ワシントン郊外のアーリントンに、海兵隊戦争記念碑が建てられました。

i180913_08.jpg

Q3)
アメリカ軍にとっては、勝利の象徴ということになりますね。

i180913_09.jpg

A3)
その通りです。戦後、アメリカは、勝利の象徴であるこの島に、基地を築きます。東西対立が激しかった1950年代後半には、旧ソ連との核戦争に備え、核兵器が貯蔵されました。そして今から50年前の1968年、日本に返還された後は、自衛隊の基地が置かれました。
現在、硫黄島は、東京、沖縄、グアムから、ほぼ等距離にあるという地政学的な重要性もあり、日米による軍事拠点化が進んでいます。
自衛隊の支援のもと、アメリカ軍の空母艦載機の着艦訓練が行われているほか、防衛省は、中国軍の海洋進出をにらみ、硫黄島での警戒監視レーダーの整備を進める方針です。
そして、返還から50年の今年、こうした硫黄島の軍事拠点化の歴史を象徴する出来事として、外交研究者の間で注目が集まっているのが、さきほど紹介した「小笠原議事録」です。

Q4)
この文書は、今みてきたように、返還後も、アメリカによる硫黄島の軍事利用を担保する内容になっているんですね。

A4)
そうです。具体的にどういう文章が書かれているのか、みていきます。冒頭にお話しましたが、これは、1968年4月の小笠原返還協定の調印時に交わされることになっていた、当時のジョンソン駐日アメリカ大使と三木外相との議事録の英語の案文です。この中で、ジョンソン氏は「小笠原群島及び火山列島への核兵器貯蔵が必要となる非常事態において、アメリカは日本政府にこの問題を提起することを望み、日本政府からの好意的反応を期待する」と述べました。

i180913_11.jpg

ここで言う火山列島というのは、小笠原諸島の一部、硫黄島を含む島々を指します。これに対し、三木氏は「あなたが指摘した事例は、まさに日米安全保障条約の事前協議の対象であり、あなたが引用する事情のもとでは、日本政府は、そのような協議に入るとしか言えない」と答えています。

i180913_12.jpg

Q5)
やり取りがかみ合っていないように聞こえますね。

A5)
そうなんです。かみ合っていないんです。三木氏は、どうして、このような返答をしたのでしょうか。その意味を考えます。
三木氏が言及した、日米安保条約の事前協議制度は、日本におけるアメリカ軍の装備の重要な変更に対し、事前に日米で協議することを定めた制度です。

i180913_14.jpg

核兵器の貯蔵は、まさに、この「装備の重要な変更」にあたります。ただ、この制度は、日本に拒否権を保証したものではないとされていて、そもそも、これまで一度も開かれたことがありません。一方で、小笠原の返還に先だって、当時の佐藤首相は「核を保有しない、作らない、持ち込ませない」という非核三原則を表明していました。

i180913_15.jpg

これについて、この問題を研究している名古屋大学大学院の真崎特任助教は、「非核三原則を標榜しておきながら、それに明確に抵触する核兵器の貯蔵を、すでに形骸化していた事前協議の対象にすると確約したことは、当時の日本政府が、アメリカによる、有事における核兵器の硫黄島への貯蔵を黙認したに等しい」と述べています。
これが、小笠原議事録が「核密約」と呼ばれるゆえんです。

Q6)
これについて、日本政府は、どう言っているのでしょうか。

A6)
外務省は「アメリカで公開された文書についてコメントしない」という立場です。また、返還後、実際に硫黄島に核兵器が貯蔵されたという記録はありません。ただ、真崎氏は「文書で残した意味は大きく、今も有効だろう」とみています。

i180913_18.jpg

Q7)
このいわゆる密約の現代的な意味ですが、例えば、日本政府は、核兵器禁止条約に賛同していません。こうした態度には、密約の存在も影響しているのでしょうか。

A7)
ストレートに影響しているわけではありませんが、根底にある考え方には、共通性があるように思います。
つまり、このいわゆる密約は、日本の安全を守るためには、アメリカの核の抑止力が必要で、そのためには、アメリカ軍の行動の自由を尊重しなければならない、悪く言えば、目をつぶらなければならないという思想が背景にあります。
今、日本政府が核兵器禁止条約に参加しないのも、日本の安全のためには、アメリカの核の抑止力が必要で、アメリカが条約に反対している以上、配慮せざるを得ないという考えがあります。
またこれまでみてきたように、小笠原返還交渉の帰結は、硫黄島への軍事基地の固定化を招きました。そして、小笠原返還交渉のあり方は、その後の沖縄返還交渉のモデルとなり、沖縄のアメリカ軍基地の固定化にもつながりました。そういう意味で、50年前の小笠原返還交渉は、今も続く沖縄の基地問題の根源になっていると言っても、過言ではありません。
小笠原と沖縄の日本返還は、アメリカ主導の日米安全保障体制の固定化という代償のもとで、達成されたものといえるでしょう。

(増田 剛 解説委員)

キーワード

関連記事