認知症は、再来年には高齢者の5人に1人に増えると言われていますが、その原因の6~7割は、アルツハイマー病と考えられています。そのアルツハイマー病の新しい薬「レカネマブ」が、今年7月アメリカで正式に承認されました。
◆今までの薬と何が違う?
アルツハイマー病は、脳にある神経細胞が徐々に死滅していき、やがて記憶などの認知機能が失われていく病気です。
今でもアルツハイマー病の薬はあります。しかし、現在の薬は、弱っていく神経細胞の働きを助ける効果しかありません。使い始めると一時的に症状が良くなるものの、それが続くのは数か月から半年だけで、症状の悪化を抑えることはできません。
一方、今回の新薬レカネマブは、悪化のスピード自体を遅らせる効果が期待されているのです。
◆ポイントは薬を使うタイミング
なぜそんな効果があるのでしょうか。
アルツハイマー病の患者さんたちの脳を調べると、「老人斑」と呼ばれるシミが沢山見つかりました。これは、「アミロイドβ」というたんぱく質が集ってできたものです。
このため、このアミロイドβが脳に溜まることが「引き金」となって、脳の神経細胞が死滅し、認知機能が低下、結果としてアルツハイマー病を発症するのではないかという仮説が考えられるようになりました。
そこで、アミロイドβが脳の中に溜まらないよう、取り除こうとする薬が、20年近く次々と試されてきました。しかし、ずっと失敗が続いていたのです。
アミロイドβはちゃんと取り除けたのに、なぜか効果がみられなかったこともありました。そのため、アミロイドβを本当にアルツハイマー病の原因と考えてよいのか、疑問を感じる専門家もいました。
では、なぜ今回の薬はうまくいったのでしょうか。
実は失敗の中、大きな発見がありました。「薬を使うタイミング」が問題だったのです。
アルツハイマー型認知症を発症する10年以上も前から、神経細胞はすでに死滅し始めていました。アミロイドβはもっと前、20年以上前から増え続けていたのです。
つまり、症状がはっきり出てから薬を使うのでは遅すぎて、もっと前の神経細胞がまだ残っているうちに使うべきだったということが明らかになりました。
そこで、このレカネマブの臨床試験は、早期のアルツハイマー病を対象にして行われました。上記のグラフでいうと、青い帯状の部分です。早期のアルツハイマー病とは、アミロイドβが溜まることによって記憶力の低下などの症状が現れているものの、まだ生活には支障がない人(アルツハイマー病によるMCI)から、支障が現れ始めたばかりの人(軽度のアルツハイマー型認知症)を指します。
この薬の場合は、それに加え、神経細胞に特に強いダメージを与える、塊状のアミロイドβ(プロトフィブリル)を取り除くようにしたのです。
◆新薬レカネマブの効果は?
では、レカネマブはどのぐらい効くのでしょうか?
この薬は2週間に一度点滴します。臨床試験で1年半使ったところ、アミロイドβが減っているのが検査により確認されました。
症状については、記憶力や判断力などを介護者や本人に聞き取って医師が評価する方法(CDR-SB)という方法で調べました。すると、この薬を使ったグループは、偽薬を使ったグループと比べ、悪化を27%抑制していました。つまり、悪化のスピードを遅くすることができたのです。
この薬は、あくまでも「悪化を抑える薬」です。アミロイドβを取り除くことはできますが、壊れた神経細胞を元通りにする効果はないからです。
しかし、製薬会社のシミュレーションによれば、長期的にみた場合には、今までの治療に上乗せすることで、症状の悪化を2~3年遅らせる可能性があるといいます。もし、介護状態になるまでを遅らせることができれば、患者や本人にとっては意味のある2~3年という考え方もできます。
今回のように、アルツハイマー病の原因に働きかけて、症状の悪化のスピードを明確に遅くできた薬はレカネマブが初めてです。専門家たちは、こうした病気の原因そのものに作用する薬が現れたこと自体がブレイクスルーであり、「アルツハイマー病治療の新しい時代の始まり」ととらえています。
◆今後日本では
レカネマブは、日本でも今年1月にすでに承認申請されていて、9月に承認されるかどうかが決まると言われています。早ければ年内に値段も決まって保険適用になり、使える可能性もあります。(→8月21日に承認が審議されることになったので、早ければ11月に使えるようになる可能性があります。※8月2日追記)
しかし、課題はあります。
まず、この薬を使うには、専門的な検査が必要です。患者さんの脳にアミロイドβがたまっているか、薬の対象になるかをまず確認しなくてはならないからです。背中から注射で脳脊髄液を取り出したり、PETと呼ばれる特殊な装置を使って脳の画像を撮影したりして、アミロイドβがどのぐらい溜まっているかを調べます。
しかし、こうした検査を行えるのは、今のところ限られた医療機関だけです。
もうひとつの大きな問題は副作用です。臨床試験中、脳出血や、脳がはれる「脳浮腫」が、あわせて2割程度の人に現れました。本人は気づかないような軽いケースがほとんどでしたが、中には亡くなった人もいます。そのため、実際に使ったときにどうなるのか、医師たちはこのリスクを重くみています。
まず、副作用が起きていないか確認するために、治療開始後しばらくは、定期的な検査が必要になります。そして、大きな脳出血などが起きてしまったときにきちんと対応できるのか、という課題もあります。
一方で、どういう人が副作用のリスクが高いのかも分かってきました。ある遺伝子を持っている人や、もともと脳に微小な出血が沢山ある人です。
どんな人に使うべきなのか、安全に使うにはどうすればよいのか、学会などは実際の使用に向けて議論を進め、ガイドラインを作成しているところです。
そして気になる薬の値段は、アメリカでは年間2.65万ドル、日本円にすると年間370万円程度です。
日本では価格が決まるのはこれからですが、個人の負担は、もし保険適用になれば、収入が一般的な高齢者ならば、1割負担ですし、さらに「高額療養費制度」も使えれば、年間十数万円程度になるのではと予想されています。
◆どうなる?今後のアルツハイマー病治療
この「レカネマブ」を第一歩として、今後アルツハイマー病の治療が大きく変わることは確実です。病気との闘い方の方向のひとつとして、「できるだけ早い時期にアミロイドβを取り除けばよい」ということがまず見えてきたからです。
レカネマブ以外にも、アミロイドβを取り除く作用を持つ早期の患者さんを対象とした薬「ドナネマブ」も先月アメリカで承認を申請したばかりで、今後、新薬が次々と出てくるのではないかと期待されています。
さらに、「アミロイドβは溜まり始めているが症状はまだ出ていない人(プレクリニカル)」に対しての、いわば「予防」を目指す、臨床試験も動き始めています。
ようやく光が見えてきた、アルツハイマー病の治療。今後も注目していきたいと思います。
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