海や湖などが身近な季節。その下にあるかもしれない「水中遺跡」についてご紹介します。
■各地に残された「水中遺跡」
遺跡の多くは地面の下にありますが、海や湖の底にも残されています。
例えば北海道江差町には旧幕府軍の軍艦で明治元年に座礁、沈没した開陽丸がありますし、中世の村上海賊の拠点の1つ、瀬戸内海の能島城跡には、船をつなぎとめる際などに使われた柱の穴が多く残されています。
湖も同様で、滋賀県のびわ湖では縄文時代の遺跡の調査などが行われてきました。
日本列島は四方を海に囲まれ、川や湖も人の行き来が盛んでした。歴史の全体像を理解するうえで、水中遺跡の調査・研究は欠かすことができません。
■「元寇船」の調査成果は
調査の最前線ともいえるのが、長崎県松浦市の鷹島海底遺跡です。
遺跡がある伊万里湾は、鎌倉時代に歴史の大きな舞台になりました。元寇です。
西暦1281年の「弘安の役」では、朝鮮半島と中国南部から4400隻の船が襲来しました。湾を埋め尽くした船は暴風雨によって多くが沈没。その実態を解明するために、40年以上前から水中での調査が行われてきました。
その結果、弘安の役で沈んだとみられる船が2隻、発見されました。
1隻は2011年の調査で見つかり、全長27メートル前後と推定されています。周辺の海域は水中遺跡として全国で初めて国の史跡に指定されました。
もう1隻は2014年の調査で見つかり、翌年、元寇船と確認されました。全長は20メートル前後と推定されています。
元の軍勢がどんな船で攻めてきたのか、その姿に迫る実物が相次いで見つかったわけです。
■現地で保存? それとも引き揚げ?
しかし、保存は容易ではありません。
木造船の部材は、海中ではフナクイムシに食べられてしまいます。そのため2隻の船は、酸素を通さないよう砂などで埋め戻した状態で保存を続けています。
一方、船を陸に引き揚げて保存するとなると、安全に海から運び出すのはもちろんのこと、環境が変わることで劣化しないよう適切な保存処理を行わなければなりません。
そこで松浦市は専門家の協力を得ながら、その手法を探る取り組みを進めています。
去年10月、船を停泊させるときにつかう「いかり」の先端部分を海の中から引き揚げました。引き揚げられた部材は長さが1メートル75センチあります。これを水槽に入れ、塩分を取り除いたあと強化していきます。保存処理はあと2年ほどかかる見通しだということです。
事業費はおよそ2000万円で、松浦市はその半分をクラウドファンディングでまかないました。今後、船本体の引き揚げを目指すとなると、費用だけでなく、体制面の整備や保存・展示施設の確保など、多くのハードルがあります。
松浦市は水中遺跡の調査や研究を行う専門機関を鷹島に設置するよう、国に要望しています。
■噴火災害の実像に迫る
水中に残る災害の痕跡を明らかにしようという調査も行われています。
福島県北塩原村の桧原湖は明治21年(1888年)に起きた磐梯山の噴火によって、川がせき止められてできました。ここには「桧原宿」という宿場町が広がっていたのですが、湖ができたため水没してしまったのです。
海洋研究開発機構などの研究グループがおととしから潜水調査を行ったところ、石垣の一部などが確認されました。この夏の調査では、皿の破片などを確認したということです。
集落は一気に水没したのではなく、徐々に水位が上がったため、人々は高台に移転することができました。建物や生活用品の残り具合が分かれば、水位の上がり方や移転に至る経緯の解明につながります。災害の実像に迫る成果が期待されます。
■水中遺跡の把握 実態は?
しかし、こうした調査事例は一握りにすぎません。
文化庁によりますと、「周知の埋蔵文化財包蔵地」、すなわち遺跡がある場所は、2016年度の調査で全国におよそ46万8000か所ありますが、このうち水中遺跡は387か所しかありません。
また、2018年度に文化庁が地方自治体に対して行ったアンケート調査では、水中遺跡を把握しているのは194、把握していないのは804と、およそ8割が把握していないことが分かりました。文化庁は去年作成した「水中遺跡ハンドブック」の中で、「これは水中遺跡が存在しないのではなく、遺跡の有無を把握するための調査が行われていないことを示す」と指摘しています。
■関東大震災の爪痕が・・・
その一例として挙げられるのが、今からちょうど100年前、関東大震災の爪痕です。
神奈川県小田原市にある今のJR東海道線の根府川駅は、海のすぐそばの傾斜地に造られています。
ここでは関東大震災で地滑りが起き、ホームが列車とともに海に崩れ落ちました。駅や列車内にいた100人以上が亡くなったとされる大惨事でしたが、この時のホームが今も水深10メートルから15メートルほどのところに残されているのです。
海中に潜ると、石積みやコンクリートとみられる大きな塊が残されているということですが、ここは遺跡として周知されていません。ことし5月に海に潜って現状を確認した東京海洋大学非常勤講師の林原利明さんによりますと、これまで考古学的な調査が行われたことはなく、ホームの広がりや残り具合など、全体像はつかめていないということです。
林原さんは「震災の痕跡が一目で分かり、災害に警鐘を鳴らすとともに防災教育にもつながる」として、学際的な調査研究や行政の関与を訴えています。
そのうえで防災教育への活用策として、関東大震災について説明を受けたうえで海に出て、潜れる人は直接現場で見学、潜れない人も身近に感じてもらえるよう、水中で撮影した映像を船の上からリアルタイムで見てもらうといった方法を想定しています。
■水中遺跡の今後に向けて
多くの人が水中にも遺跡があることを知り、関心を持つことが、ひいては国や自治体、研究機関の予算や体制の充実につながります。そうすれば、さらに調査が行われ、さまざまな発見に結び付いていくことも期待できます。
その際に忘れてはならないのは、保存と活用についての十分な目配りです。水中遺跡ならではの特徴や課題を踏まえたうえで、文化財として後世に残し、多くの人に知ってもらうようにしていくことが大切だと思います。
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