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相次ぐ災害 郷土資料をどう守る?

高橋 俊雄  解説委員

災害で被災した文化財などの郷土資料を救い出し修復する活動は、どのように行われているのでしょうか。大事なのは「支援」と「備え」です。

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■毎年のように起きる災害
梅雨のこの時期、最近は毎年のように災害が起きています。

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6年前、2017年には九州北部豪雨がありましたし、その翌年には西日本豪雨が発生。中国・四国地方を中心に甚大な被害が出ました。
3年前、2020年には、熊本県内に大きな被害をもたらした記録的な豪雨がありました。
こうした災害が起きた時は人命の救助や安全の確保が最優先ですが、文化財などの郷土資料を残していくことも、その地域の将来にとって大切なことです。
そこで、被災した資料を救い出し、修復する活動が行われているのです。

■「植物標本」をレスキュー

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3年前に熊本県を襲った豪雨で人吉市では球磨川が氾濫し、人吉城の角櫓(すみやぐら)では扉が外れて中に水が流れ込みました。
この時に倒れた棚に置かれていたのが、地元の植物研究家、前原勘次郎(1890-1975)が採集したおよそ3万3000点の植物標本です。
前原は、連続テレビ小説「らんまん」の主人公のモデル、牧野富太郎とも交流がありました。標本は熊本県内を中心に国内各地や海外のものも含んだ貴重なものですが、すべて水没してしまいました。

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植物標本は、植物の特徴を知り、研究を進めるために欠かすことのできない資料です。
水につかった標本は放置しておくとすぐに傷んでしまいます。そこで、熊本県博物館ネットワークセンターが受け入れ先となり、まずはすべての標本を運び出しました。
並行してNPOの西日本自然史系博物館ネットワークと国立科学博物館が受け入れ先の調整にあたり、準備の整った施設に順次送られたということです。
全国の博物館や植物園など、およそ40の機関が協力してボランティアで修復にあたってきました。
修復では、泥のついた部分を洗い流し、カビが発生していたらエタノールで取り除きます。そして、乾燥させて元の姿に戻していきます。
人吉市教育委員会によりますと、これまでにおよそ8割が修復を終えて戻ってきたということで、現在、高台にある別の施設に保管されています。
教育委員会では、将来的には何らかの形で公開したいとしています。
担当者は「感謝の言葉しかない。この体制がなかったら標本はダメになっていた。将来に伝えていかなければと、被災前よりも強く感じている」と話していました。

■必要な支援のネットワーク
こうした修復に欠かすことができないのが、災害時にすぐに助け合える全国的なネットワークです。そのことが浮き彫りになったのが、東日本大震災です。

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去年11月に再建された岩手県陸前高田市の市立博物館。展示品の多くは、津波で海水につかったあと救出され、必要な処置を終えた郷土資料です。
救出活動を紹介するコーナーが設けられているほか、動物のはく製には「全国の専門機関のご協力により、再生しました」という案内文が添えられています。
陸前高田市では博物館など4つの文化施設が津波の被害を受けて、合わせて56万点の資料が海水につかりました。このうち46万点が救出され、今も保存処置や修復が続けられていますが、被災した資料は古文書や民具、貝類や写真など多岐にわたります。
そこで、全国の70を超える博物館などが、それぞれの知識や経験を生かして作業に協力してきました。植物標本の修復も行われ、この時のネットワークが人吉市でも生かされています。

■「場所の把握」でスムーズに救出
このように、郷土資料を災害から守るためには幅広い支援のネットワークが欠かせなくなっていますが、もう1つ大事なのが「場所の把握」です。
地域には博物館や資料館だけでなく、個人が所蔵する古文書などの文化財も残されています。そうした郷土資料をスムーズに救い出すうえで役に立つのが、「どこにどんなものがあるのか」という情報です。

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熊本県では3年前の豪雨の際、先ほどご紹介した植物標本は別に、県の担当者などが、被災した資料の救出にあたりました。その時に活用したのが、県立図書館が以前調査してまとめていた古文書などのリストです。
このリストは災害に備えて作られたわけではありませんが、未指定の文化財も含まれていました。このため資料がある場所をスムーズに探し出すことができ、所有者の意向を踏まえたうえで、934点を救出したということです。

■災害時のリスクを地図で「見える化」
さらに、文化財のリストを地図に記して、あらかじめ災害のリスクを把握しておく取り組みも始まっています。岩手県で今年度から運用されている「文化遺産防災マップ」です。

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岩手県立博物館が、県や県内すべての市町村とともに制作しました。
国と県、市町村の指定文化財を地図に落とし込み、津波や河川の氾濫、土砂災害などのハザードマップと重ね合わせています。
川が氾濫した時に想定される浸水区域などに色が付けられていて、文化財の位置情報と同じ画面で見ることができるため、災害時に想定される状況が一目で分かります。
現在、記されているのは指定文化財だけですが、それでは「これだけを守ればいいんだ」と思われかねません。岩手県立博物館は、指定を受けていない文化財についても追加していくことにしています。

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マップには個人情報が含まれることから、閲覧できるのは市町村の文化財担当者などに限られていますが、これをもとに事前に防災計画を立てることができるうえ、災害が起きた時にはスムーズな救出につなげていくことが期待できます。今後、担当者どうしで搬出手順などを考える図上訓練を行うことも予定しているということです。
この岩手県の文化遺産防災マップは、県内全域の文化財の情報を地図にして防災に役立てようという全国的にも先駆的な取り組みと言えますが、整備を進めてきた岩手県立博物館の目時和哉さんは、東日本大震災の時にこのような備えがなかったことを踏まえ、「痛い目に遭ってから準備が整った」という言い方をしています。そのうえで「岩手から発信し、全国に知っていただくことで、災害が起きた時に救われる文化財が増えていけば」と話していました。

植物標本の修復のような災害が起きたあとの幅広い支援については、度重なる災害を経て次第に充実が図られてきましたが、災害が起きる前の備えについてはやるべきことがたくさんあります。「支援」と「備え」を車の両輪として一層の充実を図っていくことが欠かせなくなっています。


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