映画界で今月、新たな認定制度が始まりました。作品の制作環境について審査・認定を行い、「映適マーク」を付与するというものです。いったい何のために行うのか、どうやって審査するのか、解説します。
■作品の「制作環境」を審査・認定
「映適マーク」は、映画を制作する際の労働環境などが適正と認定された作品に表示されます。
映画のマークとしては、これまでにも「映倫」があります。映倫は「映画倫理機構」が作品の題材や描写について審査していますが、「映適」は新たに設立された「日本映画制作適正化機構」という団体が、作品の制作環境について審査・認定を行うことになります。今月から始まった新しい制度です。
■厳しい労働環境 その実態は
映画業界は多くのフリーランスの人材が支えています。この制度が始まったのは、その厳しい労働環境や、あいまいな契約の実態が明らかになったからです。
発端となったのが、経済産業省が2019年に行った、制作現場に関するアンケート調査です。回答した人の4分の3がフリーランスでした。
この中で、「映画制作を継続している理由」について複数回答で尋ねたところ、フリーランスの方の回答は、
▽「映画が好きだから」が74.1%
▽「この仕事が好きだから」が68.5%
などとなり、好きで仕事を続けている人が多いことが分かります。
一方、「携わる上での問題点」について尋ねたところ、フリーランスの回答は多い順に
▽「収入が低い」が78%
▽「勤務時間が長すぎる」が75.8%
▽「この業界の将来性に不安がある」が72.9%
などとなりました。
この調査ではもう1つ、課題が見えてきました。フリーランスのスタッフとの契約です。
契約書や発注書を受け取っているか聞いたところ、
▽「もらっていない」が64.5%と半数を超え、
▽「業務をはじめる前にもらっている」は8.6%にとどまりました。
書面を交わさず、いわば口約束で働いている実態が浮き彫りになったのです。
さらに「もらっていない」と答えた人に意向を尋ねたところ、4分の3を超える人が「もらいたい」と答えました。
これだと、映画制作の現場で働きたいと思う人は減ってしまいますし、働いても長続きしません。人材が定着しないことで人手不足が進み、残っている人の仕事がさらに増えてしまっていると考えられます。
さらに、映画界では去年、映画監督などから性被害を受けたといった告発が相次ぎました。業界をあげてハラスメント根絶に向けた取り組みを進めることが、急務となっています。
現状を放置しておけば映画業界から人が離れ、作品の質が低下してさらに制作費が減ってしまうという悪循環に陥ってしまいかねません。こうした状況を受けてスタートしたのが、作品の制作環境を審査する今回の認定制度なのです。
■ガイドラインをもとに審査
審査の基準となるのは、新たに作ったガイドラインです。
例えば、制作会社はすべてのフリーランスのスタッフに対して、事前に契約書や発注書を交わし、契約期間や業務内容、金額や支払日などを明記するよう定めています。契約書のひな形も用意されています。
また、制作現場のルールとしては、
▽1日の撮影時間は原則11時間以内。準備や撤収、休憩を含め13時間以内とする。
▽週に少なくとも1日は撮影のない日を確保し、2週間に1日は完全休養日を設ける。
といったことが記されています。
さらに、「ハラスメント防止ガイドライン」を別に定め、作品ごとにハラスメント防止責任者を選ぶことなどを盛り込みました。
審査の申請は、今月からスタートしました。
まず、撮影に入る前に、作品の脚本やスケジュール、スタッフのリストなどを提出します。
そして撮影が終わったあとには、実際の撮影時間を記した日報などを提出します。
これをもとに日本映画制作適正化機構が審査を行い、認定された作品には「映適マーク」が表示されます。
■スタートは4人体制
とはいえ、制度が始まったからと言って、すぐに状況がよくなる、というわけではなさそうです。
現状では優遇措置はありませんし、映適マークがなければ上映できないといった強制力があるわけでもありません。
また、今のところアニメーション映画は対象外です。
体制の整備もこれからです。事務局は4人体制でスタートし、今年度の審査本数はおよそ20本と見込んでいます。映倫が1年間に外国映画も含めて1000本前後を審査しているのと比べると、「小さな一歩」です。
ただ、この制度を取りまとめた当事者は、スタートにあたって「感無量だ」「革命に近い」といった言い方をしています。関係者の合意形成を図るのが簡単ではなかったからです。
協約に調印したのは映適も含め11の団体。大手映画会社でつくる「日本映画製作者連盟」と独立系プロダクションでつくる「日本映画製作者協会」、さらには監督や撮影、照明、録音など8つの職能団体です。
立場の異なるこれだけの団体がガイドラインの細かな内容まで合意しないと制度がスタートできないので、ことしに入って実務者会議を設け、細部を詰めていったということです。
「東宝」の会長も務める映適の島谷能成理事長は、「映画界にとって本当に新しい一歩を踏み出せた」と話していました。
■是枝監督の反応は
海外で映画を撮影してきた経験があり、以前から映画界の労働環境の改善を訴えてきた是枝裕和監督は、これまでルールがなかった業界に一定のルールを示したことを評価した上で、次のように指摘します。
「ガイドラインで示された労働環境で、本当に若手スタッフや子育て中の女性が働けるでしょうか。客観的に見て、今回のガイドラインの条件では、依然として映画業界を諦めざるをえない人が出てくるでしょう」
是枝監督の話では、フランスでは1日の撮影時間が8時間までで、週休2日なので、週に40時間。韓国では劇的に働き方改革が進み、撮影時間は週に52時間までと決められているということです。今回のガイドラインは、「撮影は原則1日11時間以内」「週に少なくとも1日は撮影のない日を確保」といった内容ですので、これではまだ不十分だという指摘です。
是枝監督はこの制度の今後について、「スタートとしてはしかたないと思うし、それを見直すと言っていることに期待しています。今後、現場から意見を吸い上げて修正していってほしい」と話していました。
ガイドラインは今後見直していくことが可能です。実際に運用しながら、よりよいものにしていく必要があると思います。
■映画界の働き方改革に向けて
この「映適マーク」、映画を見る側にとっては、これまでスクリーン越しには全くうかがい知ることができなかった作品の制作環境が多少なりとも分かるようになります。映画を見る一人一人が「この作品には映適マークはあるか?」と意識することが、ひいては映画界の働き方改革につながっていくように思います。
映適マークをつけた作品の上映は、早ければ年内にも実現する見通しです。
広く定着するには時間がかかりそうですし、これからもさまざまな課題が出てくるかもしれませんが、この歩みを着実に推し進めていくことで制作現場の環境が改善され、作品の質の向上にも結びついてほしいと思います。
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