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来年春の連続テレビ小説 三淵嘉子ってどんな人?

清永 聡  解説委員

1年後、来年(2024年)の春から放送されるNHKの連続テレビ小説は、「虎に翼」と決まりました。日本初の女性弁護士の1人、三淵嘉子さんをモデルに、主役は俳優の伊藤沙莉さんが演じます。
モデルとなった三淵嘉子さんとはどのような人で、どんな活躍をしたのでしょうか。彼女の生涯を解説します。

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【三淵さんは女性初の法律家】
Q:どうして清永委員がドラマの解説をするのですか。

A:私は家庭裁判所の歴史をまとめたことがあり、すでにどちらも亡くなられたのですが、三淵さんの息子さんや弟さんなど、ご遺族に長く取材をしてきました。
特に三淵嘉子さんの生涯と戦中戦後の司法の歴史を長く担当してきた経緯もあって、今回ドラマの制作スタッフに加わって「取材」を担当しています。

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連続テレビ小説「虎に翼」のモデルの三淵嘉子さんは昭和13年に今の司法試験にあたる「高等文官試験司法科」に合格し、女性初の法律家になった1人です。
昭和15年から弁護士、戦後は最高裁家庭局などを経て、昭和24年に裁判官になります。横浜家庭裁判所の所長などを務めました。
女性で裁判所長に就任したのは、三淵さんが初めてでした。

Q:どうして、戦前は弁護士、戦後に裁判官になるんでしょうか。

A:それは三淵さん自身が、NHKのインタビューに答えています。昭和54年に横浜家庭裁判所の所長を最後に退官した際のニュースです。貴重な映像です。

三淵嘉子さん
「(裁判官になられた動機は?)私は戦前に弁護士になったんですけれど、その当時女性は裁判官にも検事にもなれなかった。どうして同じ試験を受けていながら、女性はなれないのかと悔しかった」
「もともと私は法曹の中では裁判官が一番合っているという気がしたので、戦後憲法が変わるとともに、女も同じようにという時代ですぐに裁判官を希望したわけです」
「(退官を迎えた気持ちは?)何か一つの時代が終わった気持ちです。満足感でしょうか」

【昭和13年に3人の女性が初合格】

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若いころの三淵さんです。父親と写っています。5人きょうだいの長女でした。
取材すると、彼女を中心にどこでも人の輪ができる、そんな人気者だったそうです。
そして三淵さんを知る人は「声がとてもきれいだった」と話しています。

いまの明治大学に、女性専門で法律を学ぶ学科ができて進学します。そして昭和11年からは、女性が試験を受けることができるようになります。

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三淵さんは昭和13年に中田正子さん、久米愛さんと3人で初めて合格しました。
当時の新聞(東京日日新聞 昭和13年11月2日より)には「女弁護士初めて誕生」と見出しを掲げています。各紙とも初の合格者を大きく取り上げています。

Q:どうして女性は戦前、裁判官や検察官になれなかったんでしょうか。

A:裁判官と検察官は「帝国男子に限る」と定められていたんです。いまでは考えられない差別でした。
このため合格した3人は全員弁護士になるしかなかったわけです。

【戦争に翻弄される】
Q:三淵さんも弁護士として活躍されるわけですね。

A:いえ、弟さんの話では、弁護士としての活動は事実上1年ほどだったそうです。それは、戦争に翻弄されてしまうためです。

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三淵さんは修習を経て昭和15年に弁護士になりますが、翌年結婚し、昭和18年に長男も生まれます。とても仲の良い夫婦だったそうです。
ところが、夫は召集され、本人は子供を連れて福島へ疎開します
その後、夫は戦地で発病し再会できないまま死亡。弟も戦死、両親も戦後相次いで死亡します。
彼女は自分の子供と残った弟を養わなければならなくなったんです。

【女性の権利擁護や家裁創設に奔走】

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三淵さんは「私の人間としての本当の出発は、敗戦に始まります」と語っています。
そして思い切った行動に出ます。
昭和22年に司法省・いまの法務省に出向いて、裁判官として採用してほしいという「採用願」を出すのです。
すでに新憲法が公布されていました。三淵さんは「男女平等が宣言された以上、女性を裁判官に採用しないはずはない」と考えたのです。
女性だからという理由で採用しないことは憲法違反にもなります。おそらく人事の担当者は悩んだと思います。

結局彼女は、すぐに現場の裁判官にはなれませんでした。その代わり司法省や最高裁の職員になって、新しい民法や家事審判法といった、法律の整備を手伝うことになります。
まさに男女の平等を盛り込んだ内容です。さらに最高裁家庭局の局付として、昭和24年にスタートした家庭裁判所の創設にも力を尽くすことになります。

Q:つまり、女性の権利を擁護する仕組みづくりに参加していくのですね。

A:戦争で夫を亡くして1人で子育てをしながら、戦後の司法の整備に関わります。息子さんや弟さんの話によれば、仕事が忙しい日は弟の家に子供を預けて働いたそうです。その後裁判官になって東京地裁や東京家裁での勤務、名古屋地裁などへの転勤も経験します。
男性と同じようにキャリアを積んでいったさきがけでした。

【5000人の少年・少女と向き合う】
Q:裁判官としてはどのような業績がある方ですか。

A:三淵さんは特に通算で16年もの間、家庭裁判所に関わりました。彼女を知る人の中には、家庭裁判所「育ての母だ」という人もいます。
少年事件を長く担当しますが、彼女が中心になって活躍した昭和40年代の前半は社会が豊かになる一方、いったん減少した少年事件が再び増加し、戦後2回目のピークと言われた時代です。

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三淵さんは、実に5000人を超える少年や少女の審判を行ったと自ら述べています。
数多くの非行少年や非行少女などを指導して、立ち直りを支援してきました。

【法律で弱い立場の人たちを守る】
Q:現在仕事をしている女性はたくさんいます。ただ、三淵さんが多くの業績を残して定年まで勤めあげることができたのは、なぜだったのでしょうか。

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A:彼女はこう語っています。「どんなお節介をされても、自分の正しいと思う道を進むことができればいいのではないですか。私は男女が差別される時代に育ったせいか、建前論を主張するよりは女性が実績をあげて社会を納得させることが大事だと思っているのです」(「法曹あの頃 下巻」より)

ここまで見てきたように、三淵さんは女性や子どものため、長く活動してきました。時に偏見や差別と闘いながら道を切り開き、法律を使って社会で人々を支え続けた生涯です。
司法の女性活躍の先駆けであると同時に、女性としてだけではなく、1人の人間として弱い立場の人たちを守ろうと努力した三淵さんを、ドラマでどう描くのかが、注目の1つです。

Q:連続テレビ小説「虎に翼」。1年後の2024年春から半年間、放送される予定です。ぜひ楽しみにしてください。


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