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生誕200年 あるある ドストエフスキーと若者

石川 一洋  解説委員

「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」で知られるロシアの大作家フョードル・ドストエフスキーが生まれて、今月で200年となりました。19世紀の文豪の作品とその主人公は今も“現代の作家”として人々の心を捉えています。

20代会社員
「不安とか不満とか、満ち足りなさを感じているので現代人はそこに自分を投影できると思います」
「こういう世界があるのだ、人間の心はこれだけ謎が深いものなのだ」

どうやってドストエフスキーを楽しむのか、研究者と若者の読者の声から考えます。

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Q石川さん、今日は何ですか。

A「さあお茶をいただきましょう 僕はこうしてお話をするのがとても嬉しんです」
(カラマーゾフの兄弟より)
ドストエフスキーの小説にはこうしたお茶の場面がよく出てきます。ロシアのお菓子、リンゴで作ったパスチラもドストエフスキーの大好物でした。子供が大好きで、甘いものをあげていたといいます。彼は生活のために書く職業作家で、いつも教会の見える角部屋を借りていました。

Q 親しみやすさもありますね でも作品はともかく長い

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A 長いけれども実は短い。何十年もの物語を綴った大河小説ではなく、物語の出来事はすごく短い時間に凝縮しています。最後の長編「カラマーゾフの兄弟」実際には4日間くらいの出来事です。私は破滅型の長兄のドミトリーが好きですが、とても人物描写は魅力的です。最も愛されている代表作「罪と罰」は2週間くらいです。殺人から自白に至るラスコーリニコフの時間が圧縮した濃厚なスープみたいなで、長いけれども短いと思います

Q長編克服のコツはありますか?

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A東京大学名誉教授でドストエフスキー研究家の金沢美知子さんは、コツはあるといいます。長年カルチャーセンターで、「罪と罰」を原書で読む授業を続けています。原書で時間をかけてテキストを読むことで小説としてのドストエフスキーの面白さを読者ととともに分かち合うといいます。

金沢さん
「錯綜しているところが面白い。簡単に出口にたどりつけない。例えば罪と罰も筋は簡単な話ですよね。主人公のラスコーリニコフが老婆を殺して自白する、それもそんなにもたなかったですよね。まるでホップステップジャンプみたいな話です。でもその中で夢を見たり、心の迷いを感じたり、その中で長く彼と一緒に過ごすことで違った時間を生きることができる」
「彼は思想ではなく思想を語る登場人物を描いている。彼は殺人鬼も描いているし、テロリストも描いている。でもそれは罪と罰を描いているのではなくそういうことを体験している人間を描いている。ドストエフスキーは出てくる登場人物、あらゆる登場人物に愛情を抱いているのではないか」

じっくりとドストエフスキーの時間の中に浸りきることがコツだということです。ドストエフスキーの世界を長くゆっくり楽しむのが醍醐味、速読ではなくゆっくり読んでほしいと話しています。

Q読書離れの言われる若い読者はどのように読んでいるのでしょうか

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A何人かの若い読者に聞いてみたのですが、ドストエフスキーを読んで元気づけられるという答えが多く驚きました。

電気通信大学一年生 山田一貴さん
「こういう風に感情を持って生きていけるのかな、憧れのようなものを感じた。やっていることに対してではなくて、エネルギッシュな感じ、生きたいように生きていること、溌溂と生きている感じに」

会社員 太田香子さん
「自分にとって永遠の理解者を得たなと思います。(永遠の理解者?)自分が人生の中で経験すること、体験することが、もしかしたらドストエフスキーがあの本の中で言っていたこういうことじゃないかなと答え合わせすることができる そういった点ではドストエフスキーに自分の経験を理解してもらっている」

ところで若い愛読者の中にはただ読むだけでは飽き足らない人たちもいます。

Q飽き足らないといいますと

Aドスオタ、C&P TBKという言葉をご存じですか?

Q何ですか、ドスオタはドストエフスキー・オタクのことですか、(その通り)他はちょっと

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A C&Pは 罪と罰、TBKは カラマーゾフの兄弟、日本だけでなく世界のドスオタコミュニティで通じる略語なのです。そしてドスオタの中には、作品に触発されて、二次創作として小説の続編や番外編、漫画などを発表する人もいます。
ドスオタ界隈では名の知られた優菜さん、グッツもドストエフスキーで決めています。「悪霊セリフ攻めトートバックです」
こんなトートバック、私も欲しいです。二次創作作品を発表すると海外のドスオタ仲間とつながることが楽しいといいます。

ドスオタ 優菜さん
「中国で20人、台湾で1人、アジアで50人くらいかな。ちょっとほかの国の解釈がちょっと違うということもあって面白いです」
「自分の中ではハッピーエンドとか救いとかにしがみつかなくても自分の生きざまを作ることができるという肯定のされかたが自分にとっては良かったことだな」

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ドスオタの方々から長編克服の秘訣は登場人物をビジュアル化することだと教えていただきました。ドスオタの方々が自分たちの二次創作を集めた雑誌ですが、表紙、カラマーゾフのアリョーシャをビジュアル化しています。女の子みたいですね。

岩淵)登場人物をビジュアル化するのですね。みんなドストエフスキーに励まされたと話していますね

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石川)ロシアにおけるドストエフスキー研究の第一人者といわれる世界文学研究所のタチアーナ・カサートキナさんは、長年、ロシアとイタリアで、若者とドストエフスキーの読書会を開いてきました。

カサートキナさん
「若者にとって重要なのは自分たちが世界を変えられると感じることです。ドストエフスキーは“世界を変えようと思うならまず自分を変えよう”と答えを与えているのです。我々は周囲を変えたいといいますが、自分自身を変えようとは思いません。世界を変えるもっとも重要なのは自分自身だとしているのです。」

現代社会の中で時に無力感を感じる若者たちにドストエフスキーは具体的な答えを示してくれるというのです、あたかも無力とも思える「小さき若者たち」が実は翻弄される対象ではなく、変化を起こす主体となれると示しているというのです。

Q一人一人が無力ではないというのがドストエフスキーのメッセージだというのですね?

Aそれが若者たちに響くというのですね。登場人物は欠点も多く、破滅的な人生ともいえます。破滅的なストーリーの中でも自分の心の欲求に正直に生きていきます。だからこそ若者の読者は、今完全無欠が求められるような息苦しい社会の中で、エネルギーと言いますか、むしろドストエフスキーの主人公から励ましを感じるというのです。
ドストエフスキーは常に社会と対話し、社会で起きたことを想像力で小説としてきました。だからもしもドストエフスキーが今生きていたら、たとえばパンデミックについてどんな作品を書くのか、そうした想像力を刺激する作家だと思います。

(石川 一洋 解説委員)


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