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「北方領土 先祖の墓を建て直す 第二弾」(くらし☆解説)

石川 一洋  解説委員

北方領土では多くの日本人墓地が残されていますが、墓石が倒れるなど墓地の荒廃が深刻です。北方領土での日本人墓地で倒れた墓石を建て直そうとする試み、島のロシア人の協力で新たな展開が動き出しました。石川解説委員です。

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Q 8月に北方領土の日本人墓地で倒れたお墓を建て直すという話を伝えましたが、その後何か動きがあったのでしょうか。

A 今週、根室に北方4島から60人ものロシア人の現島民が訪れました。ビザなし交流、今度は4島からの訪問団です。ロシア人の島民は富山などを訪れた後、訪問の最後に根室に戻ってきました。そこで一つの再会がありました。

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元島民2世の井桁さんと択捉島の島民セルゲイ・クワソフさんです。二人は、7月択捉島の紗那、ロシア名でクリルスクの郊外にある日本人墓地での倒れたお墓を建て直す時に力を合わせて協力したのです。
井桁さん「お会いできてうれしいです」
セルゲイ・クワソフさん「私もです」

Q 前回お伝えしたのは確か土台まで作ったという話でしたね。

A そうです。7月のビザなし訪問で、その時は土台までは作り、来年のビザなしで墓を立てようという予定でしたが、セルゲイさんがその後一気に日本人墓地の整備に動き出したのです。

Q どういうことですか

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A セルゲイさんはまず土台ができた墓を元通りにしました。この写真です。井桁さんは土台が固まるには一か月かかると慎重でしたが、セルゲイさんはもう大丈夫と8月半ばには墓を元のように建て直したとのことです。

Q ちょっとセッカチじゃないかと心配したという話でしたね

A さらにこれだけにとどまりませんでした。

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こちらの写真をご覧ください。セルゲイさんは、井桁さんに日本人墓地で倒れたままになっていた他の墓も建て直したと報告したのです。
実はこのお墓は井桁さんの曽祖父柏谷幾次郎さんのお墓です。柏谷家は紗那で大きな廻船問屋を経営していて、択捉での事業を立ち上げた曽祖父の大きな墓が墓地に在りました。しかしその墓もかなり前から倒れたままになっていました。ただあまりにも大きな墓で、井桁さんは、何時かは立て直したいと思いながら、人力では無理なために建て直すことは諦めていました。その墓もセルゲイさんの手で元通りにもどしたということです。

Q どのように建て直したのですか?

A セルゲイさんによりますと小型のクレーンを使って三日がかりで墓石を少しずつ動かして、元通りに建てたということです。土台もしっかりと固めてもう倒れないようにしたということです。
そしてほかにも倒れていた墓を合わせて4基をすべて元通りに戻しました。

セルゲイさんは今回、日本に来たのはもう一つ理由がありました。
井桁さんの曽祖父の墓石の下になっていた土の中から青磁のお皿を見つけてそのお皿を井桁さんに渡したいと思ったからです。
井桁さんのお母さんら島に在住していた柏谷家の人たちはソビエトに占領されてから三年後、島から強制送還されました。その時、最後に曽祖父のお墓にお参りして、必ず戻ってくると心の中で誓って島を去ったと言います。その時墓のそばに置いて行ったものかもしれないとのことです。

セルゲイ・クワソフさん「土に埋められていました。彼の曽祖父の墓石の下の土の中から見つけました」
井桁さん「たしかよく使っていた身の回りの品を埋めてきたと聞いています」
「このお墓はどうするか悩んでいたところなので感謝です。母や叔母もぜひ連れていきたいです。今まで関心のなかった従妹たちも行きたいといっています」

Q 井桁さんら元島民の熱意がセルゲイさんら島のロシア人を動かしたのでしょうか?

A 確かにその通りです。セルゲイさんを突き動かしたのは一家に伝わる日本人と暮らした記憶でした。実は北方領土がソビエトに占領された後3年間ほど日本人とロシア人が一緒に住んだ時期がありました。

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この写真をご覧ください。一昨年ロシアで出版された本ですが、1946年9月の写真で、紗那にある小学校です。校庭でロシア人の子供と日本人の子供が遊んでいる姿が見えます。セルゲイさんの祖父と祖母は当時七人の子供を連れてロシア中部から4島に移り住み、そこで日本人と一緒に暮らし、子供たちはこの学校で学びました。同じころ井桁さんの母の美智子さんもこの学校に通い、ロシア人の子供と遊んだ記憶があるということです。つまりセルゲイさんのお母さんと井桁さんのお母さんや叔母さんは一緒の学校で学んで時期があったのです。
セルゲイさんは祖母や母から日本人はとても礼儀正しくて良い人たちだった、家族が病気になった時に日本人の医者に治してもらったと言い伝えられて、一家はいつかまた日本人と一緒に住める時が来るのではないかと思ってきたというのです。

セルゲイ・クワソフさん「祖母、母から私へと日本人の良い感情は受け継がれました。我々は一緒に住んだのです。日本人は敵ではなく友人です。今後も一緒に住めます。」

Q 日本人との思い出と感謝の気持ちがクワソフさんを動かしたのですね?

A ただこの70年間にはひどい歴史もありました。
元島民1世の鈴木咲子さんです。
「家もすっかり亡くなり、父や母の墓もどこにあるか分からなくなっていました。あまりの衝撃に言葉もありませんでした。ただ自然が昔のままなのが慰めでした」

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鈴木さんは択捉島北部の蘂取村出身です。占領後ロシア人と一緒に暮らした時期があります。しかし鈴木さんらが追われた後、蘂取村の家や墓地はソビエト時代完全に破壊されたと言います。1960年代当時のソビエト政府が、4島に日本人が居住していた跡を消せという指令を出して同じように破壊された住居や墓地も多いのです。鈴木さんは1991年島を追われてから初めて故郷を訪れその事実を知りました。今は、蘂取村はロシア人も住んでいない無人の村となっています。

Q それは酷い話ですね

A ただ鈴木さんは、その怒りを島のロシア人にそのままぶつけたところ、ロシア人の女性が「私の世代の事ではないが、申し訳ないことをした」と涙ながらの謝罪を受けたということです。それから恨んでばかりいては前に進めないと考えて、ロシア語を勉強してビザなしで訪れるロシア人に自らの体験を話し、日本人とロシア人が一緒に暮らせる時期が来るよう訴えています。

Q 元島民の方が自由に故郷を訪れ墓参りしたいという願いは切実ですね

A その通りです。元島民で作る千島歯舞居住者連盟では、高齢化した元島民の負担を軽減する措置を取り、墓地に行く道の整備やそもそも墓地そのものの調査を早急に始めてほしいと要望しています。
日ロの領土問題を含む平和条約交渉は正念場を迎えていて、今後の首脳交渉が大きなカギとなります。交渉が進展して、自由に島に行きたいとの元島民の願いが叶うことを望みます。

(石川 一洋 解説委員)

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