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「ノーベル文学賞 50年後にわかったことは」(くらし☆解説)

高橋 俊雄  解説委員

くらし☆解説、きょうは日本人が初めてノーベル文学賞を受賞するまでの選考過程についてです。

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Q)ことしのノーベル賞の発表はきのうで終わりましたが、文学賞は発表自体がありませんでした。

A)賞を選考するスウェーデン・アカデミーがセクハラ問題などへの対応をめぐって混乱したため、ことしの発表を見送りました。異例の事態となってしまったわけですが、ノーベル文学賞の歴史を振り返ると、ことしは日本人が初めて受賞してから50年という、節目の年なんです。

Q)50年前というと、川端康成ですね。

A)はい。川端の受賞は、1968年、昭和43年のことです。ノーベル賞全体で見ても、日本人では、物理学賞の湯川秀樹と朝永振一郎についで3人目の受賞です。
その川端がどのような議論を経て受賞に至ったのか、選考過程が次第に明らかになってきました。

Q)半世紀がたって、なぜ今新しいことがわかるのですか。

A)ノーベル賞の選考過程は50年間はまったく明らかにされず、その後、資料が公開されるというルールになっています。
川端が受賞した1968年の資料は、丸50年が経過した来年の年明けに解禁されるので、もう少し待つ必要がありますが、それより前の資料は、スウェーデン・アカデミーに事前に申請をして、認められれば閲覧することができます。これを読み解いていくことで、その年にどんな調査を行って受賞者を決めていったのかが見えてきます。
まず、その年の受賞者を決める最終選考の経緯がまとめられているのが、「議事録」です。
これを見れば、すでに公開されている1967年までに、どんな日本人が候補になっていたのかがわかります。10年分を見てみましょう。

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Q)毎年のように候補になっていますね。

A)1958年に谷崎潤一郎と西脇順三郎が初めて候補になっています。西脇は戦前から活躍していた詩人です。
61年には川端が初めて登場します。
そして63年から、三島由紀夫の名前があがるようになり、65年にかけて、3年連続で4人が候補となっているんです。
ただ、候補というのは、この時期は多い年には90人もいるので、これだけで受賞に手が届きそうだったとは言い切れません。そこで、この中で、毎年5人程しかいない最終候補までたどりついた日本人は誰かといいますと・・・。
1960年には谷崎が選ばれ、三島由紀夫は初めて候補入りした63年に、いきなり最終候補になっています。67年は川端と三島の2人が入っていました。この時の選考では、川端については小説「古都」を引き合いに出し、「王朝文学的な調べは感情に満ちていて、繊細で奥が深い」などと高い評価を下しています。
こうして見てみますと、この時期、日本人がいつ受賞してもおかしくない状況だったと言えるようにも思いますが、一方で、誰が最も有力なのか、順位付けがはっきりしていなかったようにも見受けられます。

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議事録によりますと、1963年には「日本人候補者のなかで三島が最も可能性が高いと思われる」と、初登場の三島を評価していますが、4年後の67年には「現時点ではためらうことなく川端のほうが賞に値する」としています。

Q)なぜ、年によって評価が違うのでしょう。

A)新たな作品を読んだり、専門家の意見を踏まえたりするなかで変わっていったと考えられますが、当時は翻訳された作品も限られ、少ない情報のなかで判断をしなければなりませんでした。
そういったなか、スウェーデン・アカデミーが1965年に日本国内で調査を行っていたことが、先月、NHKに公開された資料で明らかになりました。
こちらがその報告書です。15ページにわたっています。
「ローンストローム」というスウェーデン王立図書館の司書が、アカデミーから委託を受けて、10人あまりに聞き取りを行っていました。文芸評論家や日本文学が専門の大学教授のほか、文学に興味のある財界人や主婦も対象になっていました。

Q)調査の結果はどうだったのでしょう。

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A)まずは作家ごとの評価についてですが、「インタビューでは圧倒的に川端と谷崎の話に終始した」と、川端と谷崎を評価する声が多く聞かれたことを明かしています。
三島については「比較的若く、日本では真剣に考えられていない」、西脇は「多くの人が彼のことを聞いたことがない」と、あまりよいコメントをしていません。
川端と谷崎の優劣については、「2人に順位をつけることはこのうえなく危険である」「どちらがすぐれているかを決めるのはほとんど不可能である」といった声を紹介しています。
そして、最後に次のようにまとめています。
「川端と谷崎が真に考慮されるべきであろうと考えられる」。
ただ、「どちらが賞に値するかは、資料が限られているなかで、結論を導き出すことはできない」。
そこで、「2人に同時授与することが考えられる」と提言しているんです。

Q)日本人2人の同時受賞があったかもしれなかったんですね。

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A)報告書には、この調査の目的について「日本の教養ある人々が4人の候補者とノーベル文学賞をどのように考えているか、また賞を1人、あるいは2人の作家に授与した場合の考え得る反応について調査した」と記されています。
スウェーデン・アカデミーが、日本人作家2人に同時に賞を贈る可能性を検討していたことを示しています。

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ところが、この年の7月30日、谷崎は79歳で亡くなります。このため最終選考には残らず、議事録には「この作家は最近死亡した」という短い一文が残されているだけです。

Q)スウェーデン・アカデミーは、なぜ、これほどまで日本人に注目してきたのでしょうか。

A)この時期の資料からは、アカデミーが「西洋偏重」を変えようとしていたことがうかがえます。
ノーベル文学賞は1901年に始まりましたが、文学作品の理解には欠かせない言葉や価値観の壁は大きく、受賞者の大半はヨーロッパの人です。アジアでは1913年にインドの詩人、タゴールが受賞していますが、英語で発表した作品が評価の対象になっています。

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議事録の日本人候補者に対するコメントを見ますと、1963年には「新しく重要な言語領域にノーベル賞を広げることを強く望んでいる」という記述が見られるほか、66年にも「日本に賞を授与することは、賞の地理的拡大を意味する」と記されています。

Q)地域的な偏りをなくしていこうという流れのなかで、日本人への授賞が考えられてきたんですね。

A)東アジアの作家が1人も選ばれていないなか、独自の美意識に加えて西洋文学の影響もみられるとして、日本文学を対象に議論を重ねてきた様子がうかがえます。

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スウェーデンの文芸ジャーナリストは、次のように指摘しています。
「アカデミーは、賞を贈る対象があまりにも狭すぎるという批判にさらされていた。そこで、賞を新たな地域に広げたいと考えて日本文学に注目したが、日本のことは何もわからなかった」と。そこで、日本で調査を行ったわけですが、これは「自分たちの判断や選択に対する日本側の反応を大変気にしていた。彼らの自信のなさを示している」。このような解釈をしていました。

日本人2人への同時授賞を検討していたというのは、大変夢のある話ですが、当時のスウェーデン・アカデミーにとっては、『判断材料が限られているなかで、自信を持って1人を決められるのか』という状況のなかでの、苦肉の策だったのかもしれません。

Q)年明けの1968年の資料の公開も、どんなことが分かるか楽しみですね。

A)次はいよいよ、川端康成が受賞した時の選考過程が公開されます。川端がどのような評価を受けたのかが具体的に分かるでしょうし、同じ年に三島の評価がどうだったのか、あるいは別の日本人が候補に挙がっていたのかどうかなど、新たな事実が判明する可能性があります。日本文学が世界でどのような評価を受けてきたのか、さらに解明が進むことを期待したいと思います。

(高橋 俊雄 解説委員)

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