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「北方領土 先祖のお墓を建て直す 元島民の願い」(くらし☆解説)

石川 一洋  解説委員

北方領土には多くの日本人の墓地が残されています。戦後73年ロシアの支配が続く中で、倒れたままになった墓も多くなっています。そうした中でビザなし訪問を利用して倒れた墓をもとに戻そうという試みが行われました。
ビザなし訪問に同行した石川解説委員に聞きます。

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岩渕)なぜ墓地を直すことが大事なのですか。

A)北方領土に住んでいた元島民の平均年齢は83歳、先祖の眠る墓地を訪れたいという気持ちがとても強いのです。
今回のビザなし訪問は先月27日から31日まで国後島と択捉島を訪問しました。

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墓地の立て直し事業が行われたのは択捉島の紗那、ロシアはクリルスクと呼んでいる町です。街並みはすっかりロシア風に変わっています。
今回中心となったのは元島民二世の井桁正美さんです。お母さんが紗那に生まれ、択捉に家を開いたひいお爺さんのお墓も紗那の墓地にあります。井桁さんは一級建築士で建築事務所を経営しており、その知識を生かして、墓の立て直しに取り組むことを決意しました。島に向かう船の中では参加する団員とともに作業手順など入念な打ち合わせが行われました。

井桁さん「この位置を決めます。位置を決めたら掘って石を敷きます。本来なら機械でだんだんって・・・・・」

岩渕)今回のお墓を直す事業で一番難しかったのは何ですか。

A)領土問題があることからくる時間の制約です。日本政府は国民に北方4島への渡航はロシアの支配を認めることにつながりかねないとして、自粛を求めています。その中で、相互理解を進めて平和条約の締結に繋げようと行われているのが査証を取らないで渡航するというビザなしの枠組みです。限られた回数の中で井桁さんが訪問できるのは今回だけで、お墓の修復に使えるのは3時間だけです。
領土問題ゆえにロシア側との関係で難しい問題が出てきます。

岩渕)どんな問題ですか。

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A)例えばロシア側が墓地の修復を建築工事と捉え、正式な許可申請を要求すると難しい問題になります。今回は「ビザなしの中での人道的な事業だ」という認識で日本とロシアが一致し、協力することができました。

岩渕)短い時間の中でお墓を立て直すことができるのですか。

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A)三年計画です。井桁さんは去年墓参で同じ墓地を訪れた時にどのお墓を直すのか決めて、墓を立て直す手順を決めてきました。幾つかある倒れた墓のうち、比較的軽く、手作業でも動かせるお墓を選びました。今回はまず墓の土台を作り、来年墓を立て直す計画でした。
島の会社ギドロストロイが水や砂、セメントや作業道具を用意しました。日本人墓地は丘にあり、ビザなしの団員が力を合わせて運びます。今回立て直すお墓は、大正元年に亡くなった高橋直孝さんのお墓です。手作業で動かせるといっても重さは200キロ以上あります。
参加したのは元島民2世のプロレスラーや落語家、陸上自衛隊の元司令官など10人余りで、土台を作るためにまず墓石を動かします。隠れていた土台が見つかり、これを補強する形で新たな土台を作ることにしました。当初の設計を現場で臨機応変に組み替えなければなりません。現場で協力したのはギドロストロイのサケ孵化場の副場長のセルゲイさんです。日本人墓地に詳しく、小さな墓石は自分で直したと言います。
建築作業の経験の無い団員が事前の指示に基づき、セメントを練り、その間、スコップで枠組みを入れる穴を掘り、土台の型ができます。鉄骨を入れてセメントを流し込む、最後に重さ200キロを超える墓石を土台のそばに運びました。ギリギリの作業でした。

井桁さん「本当は来月とか来れて建てたいのですが、これが一年に一回しかこれなくて、もっと自由に来れればよいですね」
セルゲイさん「かつては日本人が住んでいて、今は我々が住んでいます。歴史がそうなりました。早くこの問題を解決して一緒に住みましょうよ」

岩渕)これで来年、お墓を立てることができますね?

A)ところが思わぬことにセルゲイさんが今月に入って、もう大丈夫だとお墓を土台の上に建てたということです。ちょっと心配なのですが、井桁さんは次行くときにしっかり点検したいとしています。

岩渕)せっかちですね。でも島のロシア企業はなぜ今回協力したのですか?

A)かつてソビエト時代は日本人の墓が壊され、家の土台にするような酷いこともありました。今回協力したギドロストロイ社は択捉島からサハリンを足場にロシア有数の漁業会社となっていて、水産加工場や孵化場、ホテルも建てています。ギドロストロイの経営者も、日本人が住んでいた住居跡などの保存、復興に協力したいとしています。ギドロストロイ社が日本人の心情に配慮するのは、島での日ロの共同経済活動の話し合いが始まっていて、観光や水産業の分野で日本の協力を得たいという思惑もあります。

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岩渕)元島民とくにもともと島に住んでいた一世の方にはお墓は大事なのでしょうね。

A)そうですね。
実は同じ墓地には井桁さんのひいおじいさんの墓もありますが、倒れたままです。あまりに大きいため今回は断念しました。井桁さんはいつか墓を立て直したいと考えています。井桁さんは、島から戻り母の美智子さんに島の報告をしました。
美智子さんは小学校6年生まで暮らした島の生活が忘れられません。
去年からは元島民の負担を軽くするため、航空機で島に行く航空機墓参が始まりました。
今年は択捉島の紗那のホテルで一泊できたと聞いて、美智子さんは故郷を歩いてみたいといいます。

井桁さん「できればお墓を直して、一族でお墓の前で手を合わしたい」
美智子「姉も97歳ですがまだどこも悪くなく元気ですから行くと言いますよ」

岩渕)今回の墓地修復の意義と今後の課題は?

A)日本人はそれぞれの島の様々な場所に住んでいました。墓地も4島で52か所もあります。今では道路もなく、墓地の場所が分からなくなったところもあります。
元島民で作る千島歯舞居住者連盟では、墓地の調査と墓地へのアクセスの道を整備することなどを政府に要望しています。

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今回の修復事業は日ロが善意に基づいて協力したことは大きな成果です。しかし限界も明らかです。
今後は一つはビザなしの枠組みの中に集中してお墓の調査や修復を行う訪問を組み込むことです。あるいは今日ロの間で話し合いが進められている共同経済活動が可能となれば、その仕組みを使ってより大規模にお墓の修復を行うこともできるかもしれません。

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元島民の高齢化が進む中で北方領土に残された日本人墓地の調査や修復作業が進み、元島民が自分の故郷に行きやすくなる環境が整うことを望みます。

(石川 一洋 解説委員)

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