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「世界遺産推薦の巨大古墳 『保存の原点』」(くらし☆解説)

名越 章浩  解説委員

巨大な前方後円墳が並ぶ大阪府の「百舌鳥・古市古墳群」。
日本政府は、来年の世界文化遺産への登録を目指して、ユネスコに推薦書を提出しました。
「世界遺産推薦の巨大古墳 “保存の原点”」をテーマに、名越章浩解説委員が解説します。

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【百舌鳥・古市古墳群とは】
大阪府の百舌鳥と古市の2つの地域にある古墳群です。

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この地域には多くの古墳があり、このうち、4世紀後半から5世紀後半にかけて造られた49基に上る古墳群が推薦されました。
中でも最も大きなものは、堺市にある仁徳天皇陵とされる古墳、「大仙陵古墳」。
全長が486メートルに及ぶ、国内最大の前方後円墳です。
百舌鳥・古市古墳群は、日本列島における古代王権の成り立ちを表す遺跡として、世界文化遺産に推薦されたのです。

【いたすけ古墳に注目!】
この古墳群の1つが、今回の解説の主役です。
堺市にある「いたすけ古墳」です。

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一般的にはあまり知られていない古墳なのですが、実は日本の考古学ファンの間では有名な古墳です。
なぜかというと、戦後の文化財の保存活動の、いわば「原点」のような古墳だからです。

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では、どんな古墳なのか、詳しく説明しましょう。
いたすけ古墳は、前方後円墳です。大きさは、全長が146メートル。
5世紀前半につくられた古墳で、国の史跡に指定されています。
ずんぐりした形が特徴的ですが、注目してもらいたいのは、写真の下の方に見える、出っ張った構造物です。

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これ、コンクリート製の橋なんです。
実は、この橋。
63年前の昭和30年、この古墳を取り壊すために、工事用のダンプカーなどが通行できるようにかけられた橋です。
今は朽ちるなどして半分壊れていますが、当時は橋が完成し、まさに古墳が壊されようとしていました。

【戦争と開発 「古墳保存の危機」】
では、なぜ取り壊そうとしたのでしょうか。
背景には、戦争と開発があります。
いたすけ古墳がある大阪・堺市は、戦争による空襲で焼け野原になりました。
ですから、その10年後の昭和30年という頃は、復興のための街作り、さらには高度経済成長に向かう宅地開発が急がれていた時代です。
建築資材が不足するなか、古墳は開発の波にさらされました。
仁徳天皇陵など、宮内庁が管理している古墳などは守られましたが、それ以外の古墳は、古墳の土が住宅の土壁の材料に適しているとされ、当時、次々と掘り返されていたのです。

実は、堺市内には、もともと、100基以上の古墳があったという記録が残っているのですが、戦後、44基にまで減ってしまいました。
 
【保存に向けて立ち上がった市民】
そういう時代の流れの中で、立ち上がった市民が保存活動を始めました。

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当時の活動の中心メンバーの1人、大阪・堺市の歯科医師、宮川すすむさん(85歳)を訪ねました。
(※「すすむ」は、ぎょうにんべんに「歩」)

宮川さんは小学生の頃から古墳が好きで、発掘調査にも参加していたそうです。
戦後、宮川さんは地元で多くの古墳が壊されていくのを目にしたといいます。

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宮川さんは、「終戦直後から、あんなに古墳が潰されている現場にいきあたって、なぜこれの価値が分からないのかなということで、非常にもどかしかった。まだ文化財という言葉に(世の中は)馴染みが無かった」と、当時を振り返りました。
 
そんな中、昭和30年、宮川さんが大学生のころ、当時、民有地だった、いたすけ古墳が開発の対象になっているという情報が入ってきました。

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そこで、考古学の研究をしていた先輩をリーダーに、保存を呼びかける運動を始めました。

宮川さんは保存活動の際に、地図を作成しました。
そのときの思い出を次のように語ってくれました。

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「百舌鳥古墳群の分布図を作りました。赤く色を付けた部分が戦後に破壊された古墳です。危機感で保存活動に立ち上がったわけです。そのときにこの地図をこしらえて、各地の研究者や先輩の先生方、新聞社に送って、保存に協力して欲しいという手紙を書いた。そのときに地図を入れたわけです」
 
また、2万枚のチラシを手作りし、配ったそうです。
すると、宮川さんたちの運動は大きく報じられ、署名活動は全国に広がりました。

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そして、運動開始から2か月あまり。
堺市が、いたすけ古墳の土地を業者から買い取ることを決定しました。
その後、国の史跡に指定されたという歴史があるのです。

【”保存活動の原点”いたすけ】
全国各地にある古墳を守り、後世に伝えようという動きは、この活動がきっかけの1つになっているといわれています。

今は大きく崩れかかっている、あの橋も、悲しい歴史を乗り越えてきた、保存活動の、いわば”証人”として、残されることになっています。

それにしても、「いたすけ」って、どういう意味なのか、不思議に思う人もいると思います。
これには諸説あり、専門家も、ハッキリしたことは分からないということでした。
大きさなどから、当時の有力者の墓であることは間違いなさそうなのですが、誰の墓なのかも分かっていない謎の多い古墳なのです。

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【古墳を保存する意義】
では、なぜ古墳を残す必要があるのでしょうか。

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宮川さんたちが実際に63年前に配ったチラシには、その問いへの答えが書いてありました。
 
長いので要約すると…、法隆寺や東大寺の大仏よりも古い時代の古墳には、それらを築いた祖先の知恵があり、歴史の源がそこからうかがえる、ということが書かれています。
つまり、壊されてしまうと、祖先の知恵や歴史から、学べなくなってしまうということです。
また、今は、例え価値が低いと思われるものであっても、50年後、100年後には、新しい技術や発見によって、とても貴重な文化財だと分かるかもしれません。
ですから、本物を残し、きちんと次の世代にも伝えていく、ここに意味があるというわけです。

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そもそも世界遺産の目的も、このいたすけ古墳と同じです。
1960年以降、世界で急速に進んだ人間による開発の波が、文化財や自然環境に及び、その破壊から人類の宝を守ろうと、世界各国が知恵を出し合った結果生まれたのが世界遺産でした。

しかし、世界のどこかで戦争や環境の破壊は続いています。
そんな時代だからこそ、いたすけ古墳の保存に至る歴史を、日本人はもちろん、世界の人にも知ってもらうのには、大きな意味があると思います。
今回の世界遺産への推薦は、そのきっかけになるのではないでしょうか。

(名越 章浩 解説委員)

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