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「『アジアのノーベル賞』 マグサイサイ賞とアンコールワット」(くらし☆解説)

道傳 愛子  解説委員

アジアの平和や発展に尽くした個人や団体に贈られるマグサイサイ賞。
ことしの受賞者に、カンボジア研究の第一人者 上智大学の石澤良昭教授が選ばれました。

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【マグサイサイ賞とは】
Q 「“アジアのノーベル賞”マグサイサイ賞とアンコールワット」道傳解説委員とお伝えします。
まずこのマグサイサイ賞とはどのような賞なのでしょうか。

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A マグサイサイとはフィリピンで人気のあった大統領の名前です。旧宗主国のスペイン系の政治家が多い中、マレー系で独立後にさまざまな改革を打ち出したのですが在任中に飛行機事故で亡くなりました。そのマグサイサイ大統領を記念して1957年に創設された賞で、今年で丸60年になります。これまで緒方貞子元国際協力機構理事長やマザーテレサ、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世など、教育、貧困削減などの分野でアジアの平和や発展に尽くした個人や団体に贈られています。

Q それで“アジアのノーベル賞”と言われるんですね。石澤教授はどのような業績が評価されての受賞となったのでしょう。

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A 石澤教授はカンボジアの世界遺産アンコール遺跡の修復や、専門的な知識をもったカンボジア研究者の育成に50年近くにわたって力を尽くしてきました。

石澤「カンボジアの人たちが遺跡を自分たちでやっているのを手伝う、というのが私の哲学」

内戦が続いたカンボジアで、カンボジアの人たちとともに荒廃した遺跡を修復し、専門家を育て、カンボジアの文化の復興に大きく貢献したことが評価されたのです。

Q どんなきっかけでカンボジア研究に進まれたのでしょうか。

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A ご自身では、自分はあまり熱心な学生ではなかった、1960年に上智大学の神父に連れられてアンコール遺跡を研修で訪ねたところ、世界のどこにもない不思議な形の遺跡に圧倒され、自分はここに残りたい、と言って以降、ずっと研究を続けているのです、とおっしゃいます。上智大学はカトリックの大学なのにどうして、ヒンドゥー教・仏教の遺跡アンコールの遺跡の修復なのですか、とよく質問されるんですよ、でも、困っている人を助けるのに宗教は関係ない、ときっぱり話されます。

Q 世界的に有名なアンコールワットの遺跡の修復に、日本人がそんなに長くに渡って深く関わっていたとは知りませんでした!

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A アンコール遺跡は世界遺産ですし、日本人にとっても人気の観光地ですね。世界最大の旅行サイトの調査でも、去年と一昨年、2年連続で日本人に人気の観光地第一位になっています。世界遺産への登録も、石澤教授の研究は調査が大きなはずみとなりました。アンコールワットの西参道、観光客が必ず訪れる場所ですが、この場所も石澤教授が率いる上智大学が今も修復を手がけているのです。

【アンコール遺跡の修復・人材育成はなぜ重要か】
Q アンコール遺跡は外国人の私たちにとっては観光地ですが、カンボジアの人たちにとってはどのような意味を持っているのでしょうか。

A カンボジアは仏教国ですが、アンコール遺跡は12世紀に建てられたもともとはヒンドゥー教のお寺です。でも宗教に関係なくカンボジアの人たちが一生に一度はおまいりしたい「生きている信仰の場」です。 

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ご覧のように国旗の真ん中に描かれていますし、紙幣にもアンコール遺跡群の寺院が描かれています。国のシンボルであると同時に、どれほど身近なものかがわかリます。日本人にとっての富士山といったところでしょうか。

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ですから遺跡が内戦で破壊されたことは、カンボジアの人たちにとって民族のアイデンティティが破壊されるに等しいことだったと石澤教授は語ります。だからこそ、遺跡の修復は「建造物の修復」というだけでなく、民族のアイデンティティ再生し、カンボジアの文化の復興、平和を取り戻すことにも大きく貢献したと言えるのではないでしょうか。

Q それだけ大事な遺跡の修復ですから、カンボジア人自身が修復に関わる、ことは特別な意味を持つのでしょうね。

A その通り。アンコール・ワットの修復現場を訪ねるとこんな掲示板があります。

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注目したいのはカンボジアの技術者全員の名前と写真が掲示されていること。カンボジア人が主役の修復ということを示しているのです。
というのも、カンボジアでは1970年代のポルポト政権下で、150万人とも言われる研究者や技術者など多くの知識人が虐殺され、世界的な遺産を守り、後世に伝えることが極めて難しくなりました。石澤教授も40人いたカンボジア人の研究仲間うち、あとで生存が確認できたのは3人という現実に愕然とされたそうです。「アジアの研究者として、自分がゼロから人を育てよう」と決心されたのもその時だそうです。

Q 専門家の育成はどのようにして行われてきたのでしょうか。

A 実は日本製のクレーンでやってしまえば短期間で修復できるでしょう、とも言われたことがあるそうですが、日本から石積みの職人がカンボジアに行って、カンボジアの伝統的な技術を大事にしながらカンボジア人の職人をマンツーマンで指導してきました。

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<VTR 2012年シエムリアップ・アンコール遺跡群>
アンコール遺跡群のひとつ、バンテアイ・クデイを訪ねた時の映像です。遺跡の発掘現場では、石澤教授の大学の教えを受けた研究者たちが将来、修復の担い手となるさらに若い世代のカンボジア人の学生たちを指導して、調査、研究を行っています。考古学や建築を学ぶ大学生です。

女子学生「将来は考古学者になって文化遺産を守りたい」

インタビューに応えてくれたティダさんは大学を卒業し、今では話していた夢のとおり、調査団に加わって国際会議などでも発表し、遺跡を守る仕事に就いているそうです。

さらに石澤教授がもっと若い子どもたちを対象に2010年に始めた活動がこちら。

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遺跡の近くに住む子どもたちのための遺跡見学です。その教材がこちら。

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Q 紙も丈夫、広げて見た時の大きさも、子どもたちにちょうどいいですね。地図みたいになっていますが、これを持ちながら遺跡を見学できる、ちょっとした探険マップでしょうか。

A そうです。どのような仏像や壁画があり、どんな意味があるのか、また世界遺産は人類にとって大事な財産だから次の世代にみんなで大事にしましょう、と簡単なクメール語で書かれています。子どもたちは大きくなってからも遺跡と共存し、保存にも密接に関わり続けることになります。つまりアンコール遺跡の将来を担うことになるのですよ、というメッセージが込められているのです。

Q 石澤教授はすでに50年、取り組みを続けていますが、遺跡を守る、というのは本当に何世代にもわたる息の長い取り組みなんですね。

A 今後、遺跡をどう守っていくのか、石澤教授にマグサイサイ賞受賞が決まった日にこう語りました。

「建物をつくるとき、そこには心がこもっている、人のこころ、希望が込められている。それを後世に伝えるのが私たちの仕事」「彼らが彼らの手でできる日が近づいている。あとは何度も練習して遺跡を後世に伝えられる。それが何よりもうれしい」

半世紀にわたる取り組みで、石澤教授の後継者の、そのまた後継者が育っていることがわかります。カンボジアの復興に、日本は和平の締結や経済支援などでも大きな役割を果たしてきました。首都プノンペンは見違えるような発展をしていますが、研究者や学生たちが遺跡の現場でカンボジア人のために、カンボジア人とともに取り組みを続けていくことも、日本ができる平和のための取り組みなのではないでしょうか。

(道傳 愛子 解説委員)

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