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くらし☆解説

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「国内最高齢のゾウ 『はな子』が残したもの」(くらし☆解説)

名越 章浩  解説委員

国内最高齢のゾウ「はな子」が69歳で死にました。井の頭自然文化園には、連日多くの人たちが花束や好物の果物などを持って訪れ、はな子の死を悼んでいます。
「はな子が残したもの」をテーマに、名越章浩解説委員がお伝えします。

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メスのアジアゾウの「はな子」は、昭和24年に戦後初めて日本に来たゾウでした。
最初は東京・上野動物園で飼育され、昭和29年からは武蔵野市の「井の頭自然文化園」に移され、多くの来場者に親しまれましたが、5月26日、呼吸不全のため死んでしまいました。
井の頭自然文化園によりますと、ゾウは60歳くらいまで生きるということで、はな子は、かなり長生きした方でした。

はな子が死んだ翌日、ゾウ舎の前に献花台が置かれました。朝から雨が降っていたにもかかわらず、手を合わせに来る人が途切れませんでした。
また、献花台の近くには、はな子宛てのメッセージを書くコーナーが設けられ、「今までありがとう」「ゆっくり休んでください」などの思いが書き込まれていました。

【戦後の日本を元気づけた「はな子」】
1つは戦後の日本を元気づけた存在だったからだと思います。
昭和24年、連合国軍の占領下の時代にタイからやってきたはな子は、まだ2歳半くらいの子供でしたが、娯楽の少なかった当時の日本で大歓迎を受けました。神戸港から上野動物園に運ぶ途中の駅では、見物人があふれるほどだったと言います。
はな子が生まれた国・タイは、当時、日本との外交関係が中断していたため、はな子は「平和の使者」として戦後の日本を元気づけたのです。

【名前の由来に、戦争中の実話】
人の心を動かした理由は、ほかにもあります。はな子の名前の由来ともなった、戦争中に起きた悲しい出来事です。

戦争中、逃げ出したら危険だという理由で餓死させられた上野動物園の3頭のゾウ。
ゾウたちは、餌をもらおうと、必死に芸をしてみせますが、ついには息を引き取ってしまうという悲しい実話です。
この話は、「かわいそうなぞう」というタイトルで絵本となったほか、小学校の国語の教科書にも採用されました。罪もない動物たちが人間の戦争の犠牲になる、その理不尽さを、広い世代に伝え、記憶に残っている方も多いと思います。
この3頭のうちの1頭の名前が、「花子」でした。26日に死んだはな子の名前の由来になったのです。

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「戦争を二度と起こしてはならない」、ゾウのはな子と聞くだけで、そう感じる人も少なくないと思います。

【“数奇な運命”が人々の心を動かす】
さらに、はな子の「数奇な運命」も、多くの人の心を動かした理由です。
はな子は、昭和29年、上野を離れ、井の頭自然文化園にやってきました。それ以降、仲間のゾウはいない、たった1頭だけの生活が始まりました。
そして、このあと悲劇が続きます。
昭和31年、深夜に、中年の男性が、酔っぱらって飼育施設に忍び込んだのですが、はな子は、その男性を踏んで死亡させてしまいました。さらにその4年後には飼育員の男性を死なせてしまったのです。
“人殺しのゾウ”というレッテルを貼られ、薄暗い飼育施設で、足を鎖でつながれてしまったのです。

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しかし、やせ細ったはな子の姿を見て心を動かされた飼育員が、半年後、足の鎖を外しました。そして口元まで餌を運んだり、話しかけたりして、はな子の心を開かせようとつきっきりで世話をしました。その結果、はな子は、子どもたちから手渡しで餌をもらうなど、元の姿を取り戻していったのです。
この飼育員との交流は、その後、本やテレビドラマにもなって、はな子が、さらに多くの人たちから愛されるようになりました。

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【人々がはな子に求めたもの】
死後、手を合わせに来た人たちに話を聞いてみますと、癒しであったり、生きる希望であったり、人によって様々な捉え方で、はな子と向き合っていました。
このうち、はな子が死んだ翌日、ゾウ舎の写真を撮り続けていた男性がいました。
東京・府中市に住んでいる原島寿恵治さん(77歳)です。
原島さんは、子供の頃から何度もはな子を見に訪れていて、「自分の生きてきた人生が、はな子を見ることでよみがえるんです」と語っていました。

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特に初めてはな子を見たときの記憶が忘れられないと言います。
それは、昭和25年頃で、小学生だった原島さんは兄弟4人で電車を乗り継いで上野公園まではな子を見に行きました。まだテレビがなく、ゾウという動物を話でしか知らなかったので、長い鼻も大きな耳も、すべてが衝撃的だったと言います。
そして、その日に見た、上野の街の風景も、はな子を見るとよみがえります。
公園には戦争で家や仕事を失った人たちが大勢座り込んでいたと言います。平和になったからこそゾウを見ることができるようになった状況と、戦争の爪痕が同居しているかのような景色が、子供だった原島さんの記憶に焼けつけられました。
原島さんにとって、はな子は同じ時代を生きた同志のような存在で、また人生の歩みを再確認できる、タイムマシーンのような役目を果たしてきたのだと思います。

【精神的な支えにも】
一方、はな子は、人々の精神的な支えにもなっていました。
はな子が死んだと聞いて、千葉県八千代市から来たという渡辺裕子さん(65歳)です。渡辺さんは、仕事や人間関係などで、自分が辛いときには、よくはな子に会いに来ていたそうです。
そして、4年前、9年近く介護を続けた母親が亡くなったときに、大きな喪失感が渡辺さんを襲い、生きているのも辛くなったと言います。
はな子の所へ通い詰め、祖国を離れて、けなげに生きているはな子を見ていると、「自分も頑張ろう」と思い、元気になったと言います。渡辺さんは「生きる力をもらった」と話していました。
異国から慣れない環境に身を移し、苦難を乗り越えてきたはな子の姿が、多くの人たちの心に響いたのだと思います。

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【はな子の後継となるゾウは来るの?】
今のところ来る予定はありません。というのも、最近の動物園は、なるべく自然の環境に近い姿で飼育するという方法が世界的な考え方で、ゾウはもともと群れで暮らす動物なので、今の場所では、複数のゾウを飼育することが難しいからです。
戦後復興と一体となって、日本に夢や希望を与えてきた井の頭自然文化園のゾウ舎ですが、その歴史は、はな子の死とともに、幕を下ろすことになりそうです。
園では、6月12日までゾウ舎の前に献花台を置く予定で、その後、はな子のお別れの会を開くことも検討しているということです。

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