解説アーカイブス これまでの解説記事

くらし☆解説

twitterにURLを送る facebookにURLを送る ソーシャルブックマークについて
※NHKサイトを離れます。

くらし☆解説 「謎の青銅器『銅鐸』淡路島で新発見!」

柳澤 伊佐男  解説委員

【前説】
きょうは、兵庫県の淡路島でこのほど見つかった弥生時代の青銅器「銅鐸」について、取り上げます。

kkk150522_00mado.jpg

【銅鐸とは?】
柳澤)岩渕さんは、「銅鐸」はご存じですね。

岩渕)社会科や歴史の授業で習いました。  
緑色をした細長い鐘のようなものですね。

kkk150522_mokei-s.jpg
   
柳澤)当時の姿を再現した模型を千葉県にある国立歴史民俗博物館からお借りしてきました。

岩渕)画像で見た銅鐸と、色が全く違うのですが・・・。

柳澤)緑色に見える銅鐸は、緑青、さびている状態なんです。

kkk150522_01_2.jpg

▼銅鐸は、青銅、銅とスズの合金でつくられていて、当時は、模型のような金色だったのです。
▼こうした銅鐸、近畿地方を中心に全国で500点あまりみつかっていますが、山の斜面など、予想もしなかった場所から見つかることが多く、何のためにつくられたか、はっきりしません。
▼また、紀元前200年頃から、およそ400年間使われましたが、その後、突然消えてしまいます。
▼家畜の首に吊す鐘のようなものが大陸から伝わり、日本で独自の発展を遂げたと考えられていますが、わからないことが多く、「謎の青銅器」ともいわれます。

岩渕)今回の発見、どんな点に注目すればよいのですか?

柳澤)ひとつは、見つかった銅鐸が一か所にまとまっていた可能性が高いことです。
まず、こちらの映像をご覧ください。

【淡路島で発見】

kkk150522_5416-1285.jpg

柳澤)これが、今回見つかった銅鐸です。
銅鐸の高さは30センチ前後、合わせて7点見つかりました。

岩渕)当時は輝いていたのでしょうね。

柳澤)銅鐸は丘陵や山の斜面で見つかることが多いのですが、今回は、淡路島の南西部にある南あわじ市の石材メーカーの工場の資材置き場で見つかりました。
銅鐸が見つかったのは資材置き場の砂からで、この砂は、市内各地で何回かに分けて集めたものでした。
ただ、そのたびに銅鐸を掘り出すというのは、ほとんど考えられませんので、今回の銅鐸は、1か所にまとめて埋められていたのではないかと考えられます。

銅鐸が1か所からまとまって見つかるのは、極めて珍しく、専門家の中には、「何十年に一度といってよいほどの発見」と話す人もいます。

【まとめて見つかった理由は?】
岩渕)どうしてまとまって見つかったのですか。

柳澤)さまざまな説があります。

kkk150522_02.jpg
  
▼病や米の不作、敵の侵入を防ぐための捧げ物として埋めたという見方、
▼祭りのあり方が変わり、役目を終えた銅鐸を集めて埋めたという考え、
▼中国の政治体制の変化で社会が不安定になったため、貴重な銅鐸を隠したとする声もあります。
▼今回の場合、海に近い場所で見つかった可能性がありますので、海の神に捧げる大がかりなまつりで埋めたという説も成り立ちますが、いずれも確証は得られていません。

岩渕)謎は深まるばかりですね。

【淡路島の重要性】
柳澤)その一方で、明らかになったこともあります。
古代における淡路島の重要性がより確かになったことです。
淡路島ではこれまでも同じ南あわじ市の松帆という地区で、合わせて9点の銅鐸が出土したり、江戸時代に出土したという記録が残されたりしています。
また、地区の別の場所で、14本の銅剣も見つかっていることもあり、
今回の銅鐸はこの地区に埋まっていた可能性が高いと見られています。

kkk150522_05.jpg

専門家の一人は、「淡路島は瀬戸内海の東に位置し、弥生時代、大陸のものが九州を経由して近畿地方に伝わる際の重要な交通路だったことがうかがえる」と話しています。

【珍しい「入れ子」状態】
岩渕)淡路島は特別な場所だったのですね。

柳澤)さらに、銅鐸の中に、ひとまわり小さな銅鐸を納めた「入れ子」という状態が、3組確認されたことも注目されます。

kkk150522_03.jpg

こちらがその画像です
銅鐸に詰まった砂の中から一部分見えるのが、小さな銅鐸です。
こうした状態、確実な例としては、島根県の加茂岩倉遺跡に次いで、2例目になります。

岩渕)なぜ、銅鐸の中に別の銅鐸を納めたのですか?

柳澤)金色に輝く銅鐸には神秘的な力があったと思われますので、重ねて埋めることに特別な理由があったと考えられますが、よく分かりません。
弥生人の心に迫るのは難しいことです。

岩渕)銅鐸の中に詰まっている砂は、取り除かないのですか?

柳澤)砂も大切な資料なんです。
中の銅鐸を安定させるため、当時の人が、意図的に砂を詰めた可能性があります。
2000年ほど前の状態とも考えられますので、取り除くのは、X線などを使って中の様子を十分調べたあとになると思います。

【聞く銅鐸】
岩渕)調べることは多いのですね。

柳澤)これらの銅鐸が当時、どのように使われたかを知る手がかりも、今回、見つかりました。

kkk150522_04.jpg

それがこちら、棒のように見える「舌」と呼ばれる部品です。
長さは10センチあまりで、先端に穴にひものようなものを通して、銅鐸の中で吊していたと考えられています。
7点の銅鐸のうち、少なくとも3点には、こうした「舌」が伴っていました。
銅鐸と青銅製の「舌」がいっしょに見つかるのは、今回が3例目です。

この模型にも、青銅製の「舌」がついています。
どのような音がするか、鳴らしてみましょう。

(模型を鳴らす)
「カン、カン・・・」

岩渕)遠くまで響く音ですね・・・

柳澤)貴重な銅をふんだんに使ってつくった銅鐸は、集落にとって大切な存在で、重要な祭りの場で打ち鳴らしたと考えられています。
これまで見つかった銅鐸の中には、米を保管する倉庫や米つきの様子を文様として表現したものなどがあり、稲作など、農耕の祭りに関係する道具なのではという考えが有力です。
実物の銅鐸を鳴らした映像がNHKにありましたので、ご覧ください。

kkk150522_5418-1285.jpg

岩渕)当時の祭りの様子が、浮かんできますね。

【聞く銅鐸から見る銅鐸へ】
柳澤)このように、銅鐸は、音を聞かすために使われたと見られますが、時代が進むにつれて大型化し、音を鳴らすよりも祭りの道具としての装飾性が強くなったといわれます。
どのように変わったかをこちらに示しました。

kkk150522_hikaku.jpg

岩渕)大きさや形がずいぶん変わっているのですね・・・

柳澤)銅鐸は、形や特徴の違いから、大きく4つのタイプに分けることができます。
こちらが最終段階の銅鐸ですが、最も大きなもので、高さが1メートル30センチあまりあります。
重さが40キロを超えるものなどもあり、とてもつるして鳴らしていたとは考えられません。
こうしたタイプの銅鐸は、音を聞かすためではなく、祭りのシンボルとして飾る「見る」ための銅鐸になったと考えられています。

今回見つかった銅鐸は、初期の段階のものですが、兵庫県教育委員会では、「入れ子」の状態になっている銅鐸の内部などを調べるともに、もともとあった場所がどこなのか、特定を進めることにしています。
まだまだ謎が多い銅鐸ですが、今回の発見で、私たちの祖先のくらしや心のありようの一端が解き明かされることに期待したいと思います。
 

twitterにURLを送る facebookにURLを送る ソーシャルブックマークについて
※NHKサイトを離れます。

キーワードで検索する

例)テーマ、ジャンル、解説委員名など

日付から探す

2016年06月
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
RSS