くらし☆解説 「東アジアで人気 村上春樹の"小確幸"」2013年10月08日 (火) 

菊地 夏也  解説委員

【岩渕】
くらし☆解説です。
明後日、10日にノーベル文学賞の受賞者が発表されます。
きょうのテーマは受賞の可能性が話題になっている村上春樹さんについてです。
菊地夏也解説委員です。
 
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タイトルは「東アジアで人気 村上春樹の『小確幸(しょうかっこう)』」ですが、「小確幸」は村上さんの本のタイトルではないのですね。

【菊地】
「小確幸」は村上春樹さんのエッセイに出てくる村上さんの作った造語です。
その意味は「小さいけれども、確かな幸福」ということです。
村上さんの作品は欧米だけでなく東アジアでも人気を集めていて、この「小確幸」という言葉は台湾では流行語になっているということです。
東アジアでどうして村上さんの人気があるのか、「小確幸」という言葉を参考に考えながら、その作品の魅力の一端を紹介したいと思います。

(台上の本)
【岩渕】
こちらは中国や韓国、台湾で出版された村上さんの小説や研究書の一部です。
この装丁は今年、出された小説ですね。

【菊地】
日本では4月に出た「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を韓国で翻訳、出版したもので、装丁は日本のものと似ていますが文字はハングルです。
こちらの映像もご覧ください。
(映像)
今年7月のソウルの書店での発売初日の様子です。
領土問題などで日本と韓国の関係はギクシャクしているといわれますが、村上さんの作品は人気があります。
 
【岩渕】
ソウルでの人気は分かりますが、東アジアの他のところでも人気があるのですか。

【菊地】
中国では「ノルウェイの森」と「1Q84」の発行部数が、それぞれ100万部を超え、台湾では「ノルウェイの森」は50万部、「1Q84」は40万部を超えているということです。
台湾で書かれた若者向けの人気小説で30万部ということで、村上さんはそれを上回っています。
 
【岩渕】
なぜ人気があるのですか?

【菊地】
私はその理由を知ることができるのではないかと東京大学の中国や台湾などからの留学生を中心に一昨年作られた「村上春樹研究会」を取材しました。
 
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この写真は今年7月に開かれた「村上春樹研究会」のシンポジウムの様子で、私も聞きに行きました。
この中では村上春樹さんに影響を受けて小説を書いている「村上チルドレン」と呼ばれる中国の若手作家の紹介など、その人気ぶりが分かる発表がありました。

さらに、なぜ村上さんは人気があるのか取材したところ、「村上春樹研究会」の台湾からの留学生、謝惠貞(しゃ・けいてい)さんから、ある指摘がありました。
 
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それは、村上さんの作った「小確幸」という言葉が好きだ。
台湾の若者はブログで使うなど流行語にもなっているということでした。
「小確幸」は、村上さんの「うずまき猫のみつけかた」というエッセイの中で「生活の中に個人的な『小確幸』(小さいけれども、確かな幸福)を見出す」と使われています。
そして例えば「激しく運動した後に、きりきりに冷えたビールを飲むこと」や「焼きたての温かいパンを手でちぎってかりかりと齧る」ことを「小確幸」だと言っています。
謝惠貞さんも勉強の合間にコーヒーを飲みながら村上さんの小説に出てくる「蜂蜜パイ」を食べると「小確幸」を感じると話しています。
 
【岩渕】
「小確幸」というのは誰でも自分にあてはめて考えられそうな、いい言葉ですね。

【菊地】
では、岩渕さんの「小確幸」は何ですか。

【岩渕】
休みの日に目ざまし時計をかけないで朝寝をすることですかね。
菊地さんはどうですか。

【菊地】
私は子どもたちと歩いて近所のコンビニに買い物に行く時に「小確幸」を感じます。
仕事や生活の中での、ほっとするひと時といったところでしょうか。
この「小確幸」ですが、村上さんの他の作品にも「小確幸」という言葉をそのまま使っていなくても、よく表れていると思います。
 
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こちらは「村上春樹研究会」の中国からの留学性、徐子怡(じょ・しい)さんです。
徐さんは中国のインターネットの掲示板で村上さんの作品のどこが好きなのかアンケート調査を行っています。
それによりますと「ノルウェイの森」の人気が圧倒的で理由は「青春、恋愛に対する共感」、「主人公の生活スタイルが好き」などでした。
「ノルウェイの森」では高度経済成長が進み学生運動が盛り上がるなか、そうした社会の大きな動きとは一線を画した主人公の恋愛が描かれています。
村上さん自身、東京の大学に通いながらも学生運動からは距離を置き、学生結婚をして、小説家として食べていくまでは小さなジャズバーを開いて生活していました。
東アジアの若者たちは、今、あたかも高度経済成長当時の日本のように、激しく経済成長が進むなかで、社会に揉まれながら学び、働いています。
「村上春樹研究会」の留学生は、そうした社会に翻弄される東アジアの若者たちが、村上さんの小説の主人公や村上さん自身のように、大きな社会の動きと一線を画したところに、ほっとするひと時を感じたい、日々の暮らしの中で自分なりの「小確幸」を見つけたいという思いがあるのではないかと指摘しています。
 
【岩渕】
私も「小確幸」の大切さは分かります。

【菊地】
さらに村上さんの作品が人気を集めているのには理由があります。
「小確幸」に惹かれるという謝惠貞さんは「村上さんの作品はこれからの生き方の方向性を示してくれる」とも話し、それは「文化的雪かき」という言葉に表れていると指摘しています。
「文化的雪かき」は、村上さんの小説「ダンス・ダンス・ダンス」に出てくる言葉です。
この小説の主人公は、女性雑誌で美味しい食べ物屋を紹介する記事を書いています。
大きな仕事ではないかもしれませんが、雪が降る中、こつこつと雪かきをして道を開いていくように、誰かがやらなければならない仕事をすることを「文化的雪かき」という言葉で表しています。
「文化的雪かき」は例えば「自分がやるべきことを、こつこつとやる」ということです。
村上さんは、最新の短編小説「恋するザムザ」で、「文化的雪かき」という言葉そのものを使ってはいませんが、戦争が行われている中でも家の錠前を直す仕事を続ける登場人物を描いて次のように記しています。
 
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「世界そのものがこうして壊れかけているっていうのに、壊れた錠前なんぞを気にする人がいて、それをまた律儀に修理しに来る人間がいる。(中略)そういうものごとの細かいあり方をそのままこつこつと律儀に維持していくことで、人間はなんとか正気を保っているのかもしれない」
壊れゆく世界で錠前を直すというのは村上さんがこつこつと小説を書いている姿に重なり、村上さんの仕事も「文化的雪かき」のように思えます。
また、村上さんの作品には、よく暗闇が出てきますが、まわりを闇に閉ざされても自分の信念で生きていく、「文化的雪かき」を続ける主人公に東アジアの若者たちは共感しているようです。
さらに「村上春樹研究会」の留学生は、国と国の関係や国民感情が悪くなっていると言われる今だからこそ国境を越えて文化的な理解を深めていくことが大事だと話していますが、これも「文化的雪かき」にあたると思います。
 
【岩渕】
「小確幸」や「文化的雪かき」という言葉からは、いろいろな意味が読み取れますね。

【菊地】
そうした村上春樹さんならではの言葉から、私たち読者の思いが拡がるというのも、村上さんの作品の魅力ではないでしょうか。