2008年09月10日 (水)アジアを読む 「イラク南部湿原再生計画」
【冒頭映像】
イラクの南部、チグリス川とユーフラテス川の合流点に広がる広大な湿地帯。
砂漠の多い中東にあって、多くの鳥や魚が生息する自然の宝庫です。
豊かな自然は、人類最古の文明の一つ、「メソポタミア文明」を育みました。
しかし、イラクの旧フセイン政権は、政府に反乱を起こした
この地域の住民を弾圧するため、ダムや堤防を作って、
湿原に水が流れないようにしたのです。
湿原は干上がり、消滅の危機に瀕していました。
この湿原を再生させるプロジェクトが、
国連や日本政府の支援で進められてきました。
今は、湿地の60%がもとの姿を取り戻しています。
先週来日したイラクのオスマン環境相へのインタビューを通して、
日本の復興支援のあり方を考えます。

『日本の支援で復活! 再生が進むイラクの湿原』
(小林恵子 キャスター)
ここからは、取材した出川展恒解説委員とともに進めます。
よろしくお願いします。
中東と言えば、砂漠が広がっているというイメージが強いですが、
イラクにも湿原があったのですね。
(出川展恒 解説委員)
はい。決して砂漠ばかりではありません。
世界4大文明のひとつ「メソポタミア文明」は、
チグリス川とユーフラテス川の2つの大河に挟まれた
「肥沃な三日月地帯」と呼ばれる湿原で生まれました。
旧約聖書のエデンの園も、ここにあったとされます。

多くの魚や鳥が生息し、植物が生い茂る自然の宝庫で、
世界最古の文明を育んだのです。
魚を捕り、水牛を飼い、アシで家をつくるなど、
「砂漠の遊牧民」とは異なる文化です。
(小林)
その湿原が干上がり、消滅の危機に瀕するようになったのはなぜですか。
(出川)
イラクのフセイン元大統領が、湿原を意図的に干上がらせたためです。
干拓して農地にするというのが表向きの理由です。
川の上流にダムや堤防を建設し、湿原に水が流れこまないようにしました。

衛星写真を比較すると、変化は一目瞭然です。
1970年代には、2万平方キロメートルあった湿原は、
2000年には、10分の1の大きさにまで縮小しました。

しかし、実際は、干拓よりも、フセイン元大統領が、
自らの権力を守るという政治的理由が大きかったと見られています。
1991年の「湾岸戦争」の直後、この地域一帯で、
イスラム教シーア派の住民による大規模な反乱が起きました。
フセイン元大統領は、反乱が二度と起きないよう、
反対勢力が身を隠していた湿原を干上がらせようとしたのです。
生活基盤を破壊することで、
反乱への報復や見せしめにする狙いもあったようです。
その結果、30万人にのぼる人々が生活の場を失いました。
(小林)
消滅の危機に瀕した湿原を再生させる計画はどのように始まったのですか。

(出川)
2001年、UNEP・国連環境計画は、イラクの湿原の衛星写真を公表し、
「このまま放置すれば、5年以内に湿原の生態系が完全に消滅する」
と警告しました。
2003年、イラク戦争で、フセイン政権が崩壊すると、
住民たちは水門を開け、堤防を取り壊し、水が再び湿原に流れ始めました。
しかし、国連などが行った調査で、
飲料水には適さないほど、水質が悪化していることが判明しました。
下水や農薬が原因です。
2004年、国連環境計画による
「イラク南部湿原再生プロジェクト」がスタートし、
日本とイタリア政府が支援しました。
(小林)
具体的にどうやって、湿原を再生させるのですか。
(出川)
旧フセイン政権が建設した堤防などを取り除くことで、
水が再び流れ込むようになり、
湿原はすでに、もとの面積のおよそ60%まで回復しました。
重要なのは、水質の改善です。
浄化施設や水道管の設置によって、住民に安全な飲み水を提供できなければ、
人々が戻ることはできません。
水を浄化するはたらきがあるアシなどの植物を活用する方法もあります。
日本政府は、プロジェクトの開始以来、
これまでに、総額1290万ドル(日本円で13億8000万円)を拠出し、
主に4つの分野で支援を行ってきました。

具体的には、
▼安全な飲み水を、住民およそ2万2000人に供給する。
▼水質改善に向けたデータを集め、分析するシステムをつくる。
▼イラク人の指導者や専門家およそ500人を育成する。
▼イラク政府と国連や支援国との間の協力体制をつくる。

こうした内容です。
(小林)
プロジェクトはうまく行っているのでしょうか。
(出川)
国連環境計画のプロジェクトは、今年末に終了する予定で、
これまでの成果を評価するための専門家の会合が、先週、京都で開かれました。
国連や日本政府の担当者に加えて、
来日したイラクのオスマン環境相も出席しました。
オスマン環境相は、クルド人の女性閣僚で、もともとは学者です。
フセイン政権時代のクルド人弾圧で、亡命生活を送りました。
プロジェクトの成果を高く評価し、日本に感謝の気持を表しました。
【オスマン環境相】
「このプロジェクトは、次世代の子供たちのためのものです。
日本の支援によって、世界で唯一のこの湿原の生態系や文化的な価値について
科学的な調査を実施できたことは、とても重要なことです」。
オスマン環境相は、また、滋賀県のびわ湖を訪れ、
湿地再生の取り組みを視察しました。
びわ湖や周辺の河川では、生活排水による水質汚染を食い止めるため、
有害物質を吸収する効果のあるアシを群生させています。
オスマン環境相は、イラクでもぜひ応用したいと話していました。
(小林)
日本の支援の意義をどう見ていますか。
(出川)
先ほど述べたように、日本の支援は、資金の提供、
データの収集・分析、それにイラクの人材育成を中心に行われてきました。
治安への不安が払拭できませんので、
日本人のスタッフは、これまで、イラク国内には入らず、
周辺国や日本国内からの、いわば「遠隔操作」で支援を実施してきました。
それでも、湿原の再生に向けて、目に見える成果が生まれています。
そもそも、フセイン政権時代のイラクには、
環境問題にとりくむ役所も、考え方も、存在しませんでした。
排水や汚染物質を「たれ流し」してきたのです。
環境を守ることの重要性をイラク人に認識させ、
人材を育ててきた意義は大きいと思います。
イラクには、湿原の問題以外にも、上下水道の不備に始まって、
劣化ウラン弾、化学兵器、放射能による汚染といった
フセイン政権の負の遺産とも言える深刻な環境問題が多数あります。
【オスマン環境相】
「フセイン政権は4500もの村を襲い、水源を破壊しました。
森をまる裸にし、化学兵器まで使用して、湿原を干上がらせたのです」。
【国連環境計画 青木千鶴さん】
「新しくできた環境省を支援することで、環境保護の体制作りもできます。
環境に適切な技術は、湿原以外にも応用できます。
イラク全体で、こうした技術が普及してゆくでしょう」。
(小林)
イラクの湿原を再生し、環境を守ってゆくためには、何が必要でしょうか。
(出川)
▼湿原の水と面積を回復するだけでは不十分です。
生態系が回復しなければ、問題が解決したとは言えません。
地雷や汚染物質を一掃して、
生き物が戻れるようにするにはどうするかという難しい課題があります。
▼国連や日本の支援が終了した後、
イラク政府が、プロジェクトを継続してゆけるかどうかも重要です。
イラク政府は、異なる民族や宗派間の対立で、まともに機能していませんし、
治安もまだ十分に回復していません。
▼イラク政府の努力が重要ですが、国際的な支援も欠かせません。
計画の立案から実施まで、イラクが一本立ちできるまで
継続した支援が必要だと思います。
そんな中で、ひとつ明るい材料があります。
国連環境計画は、イラク南部の湿原について、
ユネスコ・国連教育科学文化機関の
「世界遺産」への登録をめざす方針を明らかにしました。
実現すれば、再生計画に大きな弾みがつきます。
これについて、ユネスコの担当者に尋ねたところ、
「イラク政府からきちんとした申請があれば、
『自然と文化の複合世界遺産』として登録されるだろう」
と話していました。
最後に、イラク戦争と復興を、現地で取材した立場から言えば、
このプロジェクトは、比較的少ない予算とスタッフで、
危険を冒さずに、成果をあげ、しかも相手に感謝される支援ですから、
日本としても、こうした支援を積極的に続けてゆくべきだと思います。
(小林)
ありがとうございました。
きょうは、イラク南部の湿原を再生させる取り組みについて
出川解説委員に聞きました。
国連環境計画 イラク湿原プロジェクト
http://marshlands-jp.unep.or.jp/
投稿者:出川 展恒 | 投稿時間:18:24
