2008年05月30日 (金)視点・論点 「幸せの経済学――GNPからGNHへ」
明治学院大学教授 辻 信一
ぼくはいつも不思議でした。環境危機というのは実に奇妙な出来事です。人間が自分自身の生存の基盤を壊してしまう。いったいそんなことがなぜ起こるのでしょう。自分で自分の、また自分の子孫たちの首を絞めるようなことを、私たち人間はどうしてやってしまうのでしょうか。
そんなことをするからにはよほどの理由があったはずです。私たちを駆り立てる、よほど魅力的な何か、いったいそれは何だったのでしょう。――ぼくが行き着いた結論、それが「豊かさ」幻想です。
ぼくは、この『幸せって、なんだっけ――「豊かさ」という幻想を超えて』という本で、このことについて考えてみました。
この一、二年、政治家や行政、企業の皆さんも、急に環境問題に熱心になったようにみえます。それまでは、科学者や環境運動家が警鐘を鳴らしても、あまり耳を貸してくれなかった。理由はいつも単純明快でした。環境問題に取り組むと経済に悪影響が出る、というのです。「経済成長のためには少しくらい環境破壊も止むを得ない」とか、「環境問題は経済成長なしに解決できない」などと言う人さえいたのです。いや、実は、今だにたくさんいますけど・・・
どちらにしても、経済が何より優先だったのです。その結果、国際競争力のためと言っては環境税に抵抗し、景気を上向かせるために無駄な公共事業を進め、会社の業績アップのために偽装すら行う、という時代が続いてきたのです。政府や企業だけではありません。私たち市民の多くが、「豊かさ」幻想にとらわれ、経済成長にワクワクし、環境のことなんか二の次だったのです。
で、確かに日本は経済成長を遂げ、世界で一、二を争うGNPやGDPを誇る「豊か」な国になりました。
では、その「豊かさ」の中身はどんなものだったのでしょう。環境を犠牲にして、でもそのおかげでとても幸せな社会がつくられて、そこに生きる人々も幸せだ、というなら、ある程度納得がいきますよね。
そこで、皆さん、自問してみてください。自分は幸せか。日本は幸せな社会か。世界は幸福な場所か、と。
GNPとGNH
これまで、「豊かさ」を測る指標として世界中で使われてきたのが「GNP(国民総生産)」や「GDP(国内総生産)」です。Pはプロダクツ、つまり商品としてお金でやり取りされたモノやサービスの総量と、それをやりとりしたお金の総額です。世界中の国々がこのGNPやGDPの上昇を目標にしてきました。
これに対して、もうひとつ、GNHという言葉があります。それはヒマラヤの小さな国ブータンのジグメ・シンゲ・ワンチュク前国王が1970年代に作った言葉です。「GNP(国民総生産)」をもじって、最後の「P」の代わりに、ハピネス、つまり幸せの「H」を入れる。GNH、直訳すれば「国民総幸福」です。
ある演説の中で前国王は、「GNPより、GNHの方が大事だ」と言いました。なんかオヤジギャグみたいですが、それ以来30年、ブータンの人々は大真面目で、このGNHという考え方に取り組んできました。そして、この春、民主主義の国として歩み始めたばかりの新生ブータンでは、このGNHが国の基本理念となったのです。
GNHは、世界中に広がって「常識」のようになっていた経済成長という考え方への批判でもありました。
「豊かさ」にはいろんな問題があります。まず、「豊かさ」が偏っていることです。世界の人口のたった2%の金持ちが、世界中の総資産の半分以上を所有している。逆に世界人口の貧しい方の半分が総資産の1%しかもっていない。あきれるほどの不公平です。
不公平が問題なら、では、世界中がアメリカや日本のように金持ちになればいいのでしょうか。いや、全部の国が世界一豊かなアメリカのように高いGNPをもつようになって、アメリカ人のような暮らし方をするためには、地球が4つも、5つも要るといいます。
また、不公平なのは、単に今生きている人間の間だけではありません。自然環境の破壊は未来の土台そのものを壊すこと。言い換えれば、ぼくたちが富と呼んできたものは、未来に生きるはずの無数の人間たちや他の生きものたちが享受すべき分を奪い取ったもの、つまり、「未来からの盗品の山」だったということです。
幸せはGNPに勘定されない
今、アメリカでは大統領候補指名選の最中ですが、1968年、つまりちょうど40年前の6月6日、次期大統領の呼び声が高かったロバート・ケネディは、候補指名選のキャンペーンの最中に、暗殺されてしまいます。
その2ヶ月あまり前のスピーチで彼は、GNP、つまり「使われたお金が多ければ多いほどいい」という経済成長の考えを、こんなふうに痛烈に批判していました。
アメリカは世界一のGNPを誇っている。でも、そのGNPの中には、タバコや酒や薬、離婚や交通事故や犯罪や環境汚染や環境破壊に関わる一切が含まれている。「戦争で使われるナパーム弾も、核弾頭も。警察の装甲車もライフルもナイフも、子どもたちにおもちゃを売るために暴力を礼賛するテレビ番組も」
ケネディは次に、GNPに勘定されないものを挙げていきます。
「子どもたちの健康、教育の質の高さ、遊びの楽しさはGNPに含まれない。詩の美しさも、市民の知恵も、勇気も、誠実さも、慈悲深さも・・・」
そしてこう結論します。
「要するにこういうことだ。国の富を測るはずのGNPからは、私たちの生きがいのすべてがすっぽり抜け落ちている」
こうしたロバート・ケネディの考え方を、40年ぶりにアメリカ人が思い出してくれるといいのですが。
かつて、「豊かな国の国民は、貧しい国の国民より幸せだ」とか「人は金持ちになるほど幸せだ」というのは「常識」だと思われていました。でも、最近のいろいろな研究によって、この常識は今ではすっかり覆されています。
ケネディやブータンの前国王は、数十年前にすでにこのことを予言していました。そして、「豊かさ」幻想が、欲望の無限増殖を引き起こし、幸せどころか、むしろ不幸や苦しみの原因になってしまう、ということを見抜いていたようです。
ブータンに行ってみた
2005年の春、ぼくは、ブータンに行ってみました。そこで、すっかりブータンの魅力にとり憑かれ、その後も2度訪問しています。
実際、ブータンの村々を訪ねてみると、ぼくの言う「スローライフ」が健在で、老若男女を問わず人々の幸福度はかなり高そうです。豊かな自然、自給型農業、コミュニティの助け合い、人々が誇りとし、心のよりどころとする伝統文化・・・。人々はよく集い、歌い、踊ります。子どもたちの楽しげで生き生きとした様子にも強い印象を受けました。
同じ国の中では、むしろ「豊か」な町の方に問題が多くて、暮らしづらそうです。聞けばたいていの問題にはお金が絡んでいる。お金がないことではなく、お金があることが問題らしいのです。
「幸せって、なんだっけ?」。ブータンはぼくたちにこの忘れかけていた問いを思い出させてくれます。
6月は環境月間ですね。「100万人のキャンドルナイト」の季節も近づいています。今年は夏至から七夕までの毎晩、電気を消してスローな夜を過ごそうと呼びかけています。この機会に皆さんもぜひ、一度立ち止まってみてはいかがでしょう。
私たちが「豊かさ」という幻想に囚われていたせいで、環境問題をはじめとした多くの深刻な問題を引き起こしてしまった、とぼくは言いました。とすれば、そろそろ、この幻想から脱け出す時です。その第一歩が、「幸せって、なんだっけ?」という問いです。その先に、GNPからGNHへの道筋が見え、「幸せの経済」や「幸せの政治」へ向けての展望が開けてくるのではないでしょうか。
投稿者:管理人 | 投稿時間:23:08
