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中村桂子「次の世代に向けての「平和と日常」」

JT生命誌研究館 名誉館長 中村 桂子

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今は高齢化社会と言われています。私も正真正銘の高齢者です。高齢者の一人として長く生きていることの意味を考えています。
私は、「生命誌」という、科学が明らかにする事実をもとに「生きているってどういうことだろう」と考え続けてきましたので、「人間は生きものであり、地球上に暮らす様々な生きものと共に命を大切に暮らす」という当たり前のことを大事にしています。自分が生きるだけでなく、他の人も、他の生きものたちも、これから生まれてくる人や生きものも思いきり生きて欲しいと願っています。
その気持ちを「愛づる」と言っています。生きていることは素晴らしいと愛しく思うことです。そこで、年を取っても生きることは愛しい、「老いを愛づる」という気持ちです。

この気持ちは、次の二つのことにつながります。
一つは、一日一日が大事という気持ちがこれまでよりも強くなっているということです。日常を大切に、小さなことを丁寧に暮らしています。もう一つは、体験を通して感じたこと、考えたことを次の世代に伝えていくことです。生きものは続いていくことが大事なのですが、なかでも人間は体験を語り継げますので、次の人はそれを学んで、より賢く生きることができるのです。
日常を大切にという思いと、時代の体験を語ることを考えた時、浮かんでくるのが戦争です。歴史を重ね、すこしづつ賢くなっていくのが人間のはずですのになぜか戦争はなくなりません。今も、ロシアのウクライナ侵攻という戦争が行われており、心が痛みます。
私は、太平洋戦争の敗戦の時に小学校4年生でした。東京に暮らしていましたので家は空襲で焼けてしまいましたえ。一番悲しいのは子どもの頃の写真がないことです。3年生の時に親元を離れて集団疎開をしました。おやつは小さく切ったサツマイモばかり。アイスクリームやショートケーキの画を描いて、それを食べた時のことを話し合いながらおイモを食べていました。
敗戦の日、8月15日は正午の天皇陛下のお言葉で象徴されますが、私にはその意味はすぐには分かりませんでした。その日の夕食の時に、食卓の上の電灯をつけた父が、それまで周りを覆っていた黒い布を外したのです。外に明かりが漏れないようにしていた布です。明るい!これが普通の暮らしなんだと思いました。食卓の上にあるのは相変わらずのおイモご飯ですが、それまでと全く違って美味しそうに見えました。戦争は普通の暮らしを奪うものなのだということが深く心に刻み込まれました。日常の大切さがその後の私の考え方、暮らし方の原点になりました。

それから78年、平和憲法を持つ戦争のない国で暮らせたのは幸せでした。異常気象とか格差のある社会など問題は山ほどありますが、戦争のない世界を求めながらの日々だったと思います。でも最近どこか戦争の匂いのするニュースが増えました。日本だけが戦争に巻き込まれなければよいというのではありません。そうではなく、戦争というばかばかしいことは止めましょうという発信をするのが日本の役割です。被曝体験、平和憲法を活かして。現実は、どんどん戦争に近づいているようで気になります。
ここで、「平和」という言葉を口にしたら恐らく平和ボケではありませんか、理想を語るだけで現実を見ていませんねと言われるでしょう。悩みながら、人間について考え続け、晩年になって「永遠平和のために」という本を書いた哲学者カントの言葉を思い出しました。
「人々は平和を戦争と戦争の間と捉えている」というのです。つまり、人々は戦争はあるもの、あって当然のものとしてとらえているというわけです。確かに、明治以降日本が近代化の中で行ってきた戦争について書かれたものを読むと、戦争こそ国を大きくし、利益をもたらす大事な仕事と考えて戦争を始めているのです。しかも実際には、上に立つ人が出世したり勲章をもらうことが目的になっていくことが少なくないように思います。そのために多くの人が心ならずも人を殺めたり、自分の命を失ったりするのです。
しかも、科学技術が最新兵器を産み出し、無人のドローンで市民の上に爆弾を落とすなどすべての人を巻き込むのが現代の戦争です。ウクライナの子どもが、「ぼく死にたくない」と言った映像は頭から離れません。これに対して、平和という言葉が現実性を持って対抗できないことをもどかしく思います。
 
そこで、ウクライナの子どもの日常を壊すのが戦争なのだと思い、黒い布をはずした電灯がもたらしてくれた日常を思い出しました。
年齢を重ねた今、一日一日を丁寧に生きたいと思っている日常。戦争と対置されるのはこの日常なのです。「戦争と平和」というと、平和は戦争と戦争の間に置かれ、実現は難しいものとされてしまいますが、「戦争と日常」とすれば、文字通りすべての人が生きる毎日であって必ず存在するものになります。それを壊す戦争は、人間が生きることそのものの否定につながる馬鹿げた行為と位置づけられます。もちろん「平和」という言葉にこめられた思いは大切であり、これを否定するものではありません。大事な言葉です。ただ、「平和」は何か特別の状態であり、現実味のないものとされてしまっては意味がありません。
今は21世紀です。地球について、生きものについて、人間について、生きることについてたくさんのことを学びました。
例えば、80億人という世界中の人間はすべて、アフリカを故郷とする仲間であること、人間はとくに共感力が強い生きものであることなどが多くの研究者によって明らかにされてきました。仲間といえどもちょっと苦手という人はいるでしょう。いつもニコニコとは行きません。でも、共感は働くはずです。ここから出る答えは、敵はないということです。本来敵はないのです。無理に敵をつくらず、仲間内での小さな諍いを乗り越えながら日常を大切に生きていくのが21世紀の生き方です。これを大事にして「いのちを愛づる」生き方をしていきます。その日常を若い人たちにも伝えていきたいと思っていますので、それをぜひ受け止めていただきたいと思います。

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