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小長谷有紀「モンゴル遊牧民の先進性」

国立民族学博物館 名誉教授 小長谷 有紀

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モンゴル国は、日本の4倍の面積をもちながら、総人口はわずかに345万人です。人口密度を計算すると、1平方キロメートルあたり2.2人にすぎず、これは世界でもトップクラスの低さです。

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しかも、人口の大半が首都ウランバートル1ヶ所に集中していますから、草原部の人口密度はさらに低くなります。そこで暮らす遊牧民は総人口の27%にまで減少しているので、離れ離れに、とても孤立した状態にあると思われるかもしれません。本日は、モンゴル高原における遊牧の特徴から、彼らの暮らしの先進性の一端を指摘したいと思います。

ユーラシア大陸の内陸部には乾燥地帯が広がり、東の端にモンゴル高原があります。

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司馬遷は『史記』の中の『匈奴列伝』で、遊牧のことを「畜は草を食らい水を飲み、時に随いて転移す」と表現したように、古来より、水や草を求めて移動するという移動性の高さが注目されてきました。現代では、社会主義の下での近代化を経て、定住化の傾向が強まっています。移動の距離も短くなり、回数も少なくなりつつあります。

そのため、ヨーロッパの研究者は、移動生活を意味する「ノマディズム」は終わっており、移動する牧畜という意味で「モバイル・パストラリズム」と呼ぼう、と提言しています。

ただし、ここで注意しなければならないのは、英語圏におけるノマドには否定的なイメージがあるという背景です。Nomadという言葉は本来、移動する人々を指しており、どんな“なりわい”であるかは決まっていません。いまここでは、牧畜に焦点をしぼり、遊牧民としてのノマドに限定しておきます。ヨーロッパから見て遊牧民とは、例えば西アジアのように、文明の中心としてオアシス都市があり、それを支える農耕地帯が周辺に広がり、さらにその外側にいる人々のこととして位置付けられてきました。つまり、遊牧民と言えば、秩序ある世界の外側の存在なのです。

この点を逆手にとって、遊牧民の創造性クリエイティビティに期待する思想が、フランス生まれの「ノマドロジー」という哲学です。これまでの制度や規範を破壊し、新たな秩序をもたらすことをノマドに期待するわけです。しかし、この評価はあくまでも遊牧民が制度や組織を逸脱する存在であるという認識に基づいています。その前提は、アジアではそもそも当てはまりません。

ユーラシア乾燥地帯の東部においては、遊牧民は、その軍事力を生かし、政権に協力するなり、政権を自ら樹立するなり、秩序を作ることに貢献してきました。例えば、モンゴル帝国時代にユーラシアを貫いて整備された駅伝システムは、公的な証明を持った通過者に対して、遊牧民が馬と食事を提供することによって広域的な通信網を確立する制度です。マルコポーロなどヨーロッパからの旅行者は皆、これを使って安全に旅することができました。言語が異なり、文化が異なる人々も相乗りできるプラットフォームを提供するのが文明であり、遊牧はその一端をになってきたのです。

遊牧民が主体となって作ってきた歴史は「遊牧文明」と呼んでよいでしょう。文字を持ち、都市を作り、交易を推進し、農耕地帯を支配するすべを確立する、というように、ガバナンスのノウハウをシステムとして継承しながら、主役となる集団は次々と交代して遊牧文明を徐々に高度にしていきました。

遊牧民が自ら文字を持ったあかしが「突厥碑文」です。

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ユネスコの世界遺産に登録されているのは、モンゴル国中央部のホショーツァイダムというところにある、8世紀前半の石碑です。中国の唐に一度やぶれてから復活した、第二突厥時代の、第3代の皇帝ビルゲ可汗と、それを支えた弟のキョル・テギン、この2人のお墓にそれぞれ石碑が建てられました。そこには、皇帝がいかに貧しい人々を豊かにし、人々をまとめて、広域的な平和を構築したかが賞賛されており、いわばプロパガンダが書かれています。と同時に、一方で、金や銀、雑穀や絹など贅沢な物質の魅力に惑わされることなく、遊牧の暮らしを守るようにという子孫への警告も彫り込まれていました。

遊牧の暮らしの何を守れと言いたかったのでしょうか。

遊牧は移動性の高い牧畜です。移動できるための広い面積が必要なので、土地生産性という概念から判断すると、とても生産性の低い産業と言わざるを得ません。社会主義時代には、社会の進化論から見て、農業未満の遅れた産業と見なされていました。

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これが現代の典型的なゲルです。分散型のインフラが整っています。現代のように、環境を保全しながら経済を発展させるべきだという考え方のもとでは、判断も変わってくるでしょう。

乾燥地域の自然環境は温暖な地域に比べて変化が激しいので、どんなに草ばえの良い草原でも、毎年そこが良いとは限りません。旱魃や雪害などの自然災害や、紛争などの社会災害があれば、そうしたリスクを避けて移動できること、それがサステナブルであるための条件になります。

もともと、モンゴル語には距離の単位があっても、面積の単位がありませんでした。言い換えれば面積は無限大に開かれています。草原はみんなのものです。「コモンズ」です。日本でも山林や海岸はしばしば共有地でしたけれども、私たちの慣れ親しんできた入会(いりあい)の考え方と異なるのは、入会権を持つメンバーが固定されていない点です。モンゴルでも、先祖から代々利用してきた場所なら、継承して利用することができます。そういう意味ではメンバーシップがあると言えます。ただし、その場所がもし不都合になった時には、他の人がふだん使っている場所へ逃げ込むことも可能です。その代わり、誰かが困ってやってきたら、受け入れるものです。このように、草原という自然資源に対してオープン・アクセスが維持されていること、それが遊牧の要となります。

アクセスが自由なので、いつ、どこに、だれと、どのようにアクセスするかを決めるうえでの情報がとても大事になります。したがって、遊牧とは、家畜の移動を導くための情報産業なのです。

とりわけモンゴルの場合は、家畜の移動を家畜自身に任せるという特徴があります。というのも、ユーラシアの西方では、幼い段階でオスを殺して食べることによって頭数を制限するのに対して、モンゴルでは夏に降水量があり、豊かな草原が展開するので、オスを殺さずに去勢して維持しています。そして、それらのオスは、とりわけ大型家畜の場合、毎日、宿営地に戻ってくることはありません。人々は、自分の家畜がどこにいるかを掌握しているだけです。見失ったら探しに行きます。

動物の自律性に委ねて遠くへ放牧に出しているため、往々にして狼などの被害に遭います。だからと言って、群れに対する管理を徹底的に強化して、家畜の損失を減らそうとしないところが興味深いクールな点です。狼にさえもアクセスが許されているようなのです。草原のみならず、家畜もまた自然資源の一部であり、天候に恵まれれば増えるという生命現象への信頼があるのかもしれません。

遊牧を支えている、このような自然との関係は、地球環境の持続性を重視する現代において、先進的であると言えるのではないでしょうか。と同時に、所有ではなく、アクセスを重視し、利用を広く共有する生き方は、家畜を持っているか否かにかかわらず、現代を生きる私たちにとっても参考になるのではないでしょうか。

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