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早川ユミ「ちいさなくらしが、みらいをかえる」

布作家 早川 ユミ

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わたしはいま高知の山のてっぺんの村でちいさな畑と田んぼを耕し、果樹園で日本みつばちを飼っています。なりわいは、農民服や山岳少数民族みたいな服つくり。「種みたいに土を着る服」と、絵を描くような気持ちで服をつくっています。

現代社会では、ごはんはファストフード、服はファストファッション中心。第三世界の人々が経済的に搾取されて、その犠牲のうえに、わたしたちは衣服を消費しています。どんどん買って、着られなくなると捨ててしまいます。服も経済だけが優先。そういう服ではなく、着るとうれしくなったり、踊りたくなるような、絵や音楽や映像などアートとおなじような感動のある服をつくり、全国のギャラリーで展覧会やワークショップをひらいてきました。またちいさな自給自足のくらしや服つくりのまいにちのことばを綴り、本をつくってきました。

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わたしは種まきが大好きです。種は土を着て育つ、まさに土着です。
ちいさな種をまくと、ルッコラやレタスやきゅうり、かぼちゃになり、たべものになります。種まきをしてたべものをつくると、うれしくなるのは、わたしたち人間は自然を生きる、生きもののひとりだからです。

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 いまでは家庭はすっかり消費するばしょになっています。うちでは収穫したり、保存したたべものの生産のばしょとして、たべものをつくる台所が家庭のまんなかにあります。「ていねいなくらし」とはちょっとちがう、土にまみれた土着のくらしです。お金がなくなると不安になるけれど、じぶんでたべものがつくれると、みらいのくらしをつくることができます。種まきをするようになってから、じぶんの手を信じることができるようになりました。みらいのくらしをじぶんの手がつくる。たよるべきはお金より自然です。

 こういうくらしをはじめた、きっかけは1980年代の旅でした。タイやミャンマーやラオスの国境の村を旅しました。山岳少数民族、アカ族やカレン族やモン族やリス族やレンテン族をたずねました。楚々とした佇まいの小屋。手でつくる竹かごなどのくらしの道具。うつくしい山岳少数民族の土着のくらしに心をうごかされました。糸を紡ぎ、布を織り、手で縫う独特の民族服。野生的な服つくりには、ファッションのための服つくりにはない魅力がありました。山岳少数民族のように民族のなかで着続けられるうつくしい服もあると気づき、服をつくりたいと思うようになりました。
 山岳少数民族のように土着的にくらしたい、25年まえに高知の山のてっぺんの村に移住しました。農業従事者ではなかったので、農地をもてず、ちいさな畑と田んぼを10年くらい耕し、やっとのことで農地を手に入れました。服や本つくりのかたわらで、田んぼ2反半と畑を1反半。ちいさな果樹園1反ほどを若い弟子たちとつくっています。果樹園には日本みつばちの巣箱をおいています。土着の日本みつばちは、果樹や虫たちと共生します。花粉を足につけるようすがかわいく、自然環境の安全をたしかめるための指標にもなります。

 コロナ後の世界をどう生きるか。この3年間感じたり考えたりして、こたえを探し、本に書いてきました。ポスト資本主義の世界は、ちいさな土着のくらしがみらいをかえるかもしれない。くらしこそは経済だし、政治だし、社会そのものだからです。
 わたしは家庭を生産のばしょにしたい。女だけじゃなく、男も共につくって。連れあいのテッペイさんは器をつくり、わたしは服をつくる。みそや梅干しやたくわんやラッキョウ漬け、玉ねぎやにんにくの保存や発酵食などたべものをつくるのはわたしですが、干すのはテッペイ。お茶の葉を摘んで発酵させた紅茶を干したり、スギナをとって野草茶を干したり、バジルや椎茸や梅を干したりします。
 わたしが、いまたしかだと思うのは、じぶんのたべものをじぶんでつくれるということです。手でつくると楽しいし、手がよろこびます。パソコンで文章を書くのとはぜんぜんちがう、手が葉っぱに触れるよろこび。田んぼに素足で入る感動。無心になって自然と触れると、こころが踊り元気になり、魂がふるえます。まいとし果樹園の梅をとって、梅酒や梅ジュースや梅干しをつくります。テッペイは「忙しいなら買えばいいじゃないか」とすぐいいます。「千円で、梅の実を買うか、千円で梅の苗木を買うか」と考えました。梅の実を買うと、まいとし梅を買わなくてはなりません。でもいちど苗木を植えると、まいとし、ざらんざらんとたべきれないほどの梅がなります。子どもたちも孫たちもご近所さんも梅を収穫することができるのです。梅の木に登って、梅を採るのに夢中になります。わたしのからだのなかには、たべものをもいだり、葉っぱをもいだりすると、うれしくなる縄文時代からの遺伝子がある。梅を買うくらしでは、梅の苗木を育てるよろこびや、木にのぼって梅の実をもぐゆたかさを感じることはないのです。
 さらに家のまえの田んぼに果樹を植えようとしていたら、村びとのとしこさんが「田んぼをやりなさい。いつお米に困るかわからんから」と米つくりのことを教えてくれました。村びとに助けられながら、去年は田んぼで、510キロのお米を収穫しました。これだけあれば家族と弟子たちの一年分のお米が十分です。お米つくりのおもしろさはわたしひとりじゃなく、みんなで共同作業でつくるってところです。いままで田んぼの風景がうつくしいなあと感動するだけでしたが、いまでは、村びとのしごとがうつくしさをつくっているとわかりました。田んぼをやりはじめてみて、25年たってやっと、ここでくらす村びととおなじになれたように思いました。
 
 村では贈りもの経済があたりまえです。贈りもの経済は、資本主義経済以前の未開な社会にあった贈与経済です。玄関にたけのこや、大根など季節の野菜、手作りのちらし寿司やおとうふやこんにゃく、はちみつが届くなんてこともありました。村じゅう、ぐるぐるみんなの贈りものにあふれています。贈りもの経済には棚田の石垣の治し方や田んぼへ水をひく知恵もふくまれます。贈りもの経済は、もらったら、また別のひとへとぐるぐる手渡してゆくのです。こんどは、わたしの知恵を、若い弟子たち、次の世代に紡いでいきたい。贈りもの経済とケアする相互扶助の助けあいがあれば、お金がなくても不安がなくなります。みらいは、民なる村びとの下からのちからが、くらしをつくるのです。みらいの世界は、グローバル経済ではなく、民なる人びとがつくる経済がまんなかになる。

 土を着るとかいて土着とよみます。土着とは、種みたいに土を着ること。種みたいに根をはること。先住民や山岳少数民族のなかには、生きるための土着の思想がいきいきと生きています。農村にも、まだまだ民なる土着の知恵が人間らしくあふれています。農村や先住民や山岳少数民族の、ちいさな共生社会や国に属さないくふうをみならいたいです。

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