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清水池義治「酪農危機の打開策」

北海道大学 准教授 清水池 義治

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 牛乳・乳製品は、私たちの食生活に欠かせない食品のひとつです。この牛乳・乳製品の原料である生乳を供給するのが酪農です。
 現在、日本の酪農は危機的な状況にあります。その危機には大きく2つの側面があります。1つはコロナ禍が引き金となったかつてない需給緩和、つまり生乳の過剰、もう1つは2022年のロシアのウクライナ侵攻が引き金となった生産資材高騰、これによる酪農経営の急激な悪化です。この生乳過剰と資材高騰とが同時に起きていることが、今回の酪農危機の大きな特徴です。
 本日は、これら酪農危機の背景を解説し、危機打開に向けた方策を提案します。

 1つ目の危機は、コロナ禍による生乳の過剰です。

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 10年ほど前に社会問題化したバター不足を受け、酪農家や農協、政府は生乳増産対策に取り組んできました。その対策の効果が出て生産が増え始めた時に、コロナ禍が起きてしまいます。生産増加に、コロナ禍による外食・観光需要の減少が重なり、生乳の過剰が発生しました。
 生乳の過剰は、乳製品在庫の増加という形で現れます。特に、需要が大きく減少した脱脂粉乳の在庫が急激に増加し、過剰在庫が深刻化しました。

 この過剰在庫に対し、酪農家と乳業メーカーは共同して資金を拠出し、在庫削減対策を2020年から行っています。資金で脱脂粉乳などを値引きして、家畜向け飼料や輸入品との置き換え、あるいは輸出に振り向けて在庫処理をしています。酪農家の負担額は2022年度に100億円、23年度は100億円を大きく超え、経営に大きな影響を与えています。
 この懸命な在庫対策にも関わらず、一向に在庫が減らないため、22年度からは北海道の農協で、2007年度以来となる生乳の生産抑制・減産が取り組まれています。この生産調整は、生乳過剰時における最後の手段であり、酪農経営への影響が多大です。短期的には収入を減らし、特に規模拡大中の経営にとって計画通りの借金返済ができなくなる恐れがあります。長期的には、将来的な生産調整を懸念して牧場投資を行うインセンティブを低下させる可能性があります。

 この生乳過剰の影響が継続する中で、2つ目の危機となる資材高騰による酪農家の所得減少が起きます。
 ロシアのウクライナ侵攻を発端とする食料高騰と、日米の政策金利差に由来する歴史的な円安の進行は、生乳生産に必要な飼料・肥料といった生産資材価格を大きく上昇させました。
この価格高騰は劇的であり、2022年後半には、2020年と比べて、配合飼料、輸入牧草、肥料の価格は実に1.5倍、電気などの光熱動力は1.2倍、建築資材は1.4倍に跳ね上がりました。
 また、酪農家の副収入である牛の価格も下落しました。雌牛は生産抑制による需要低下、雄牛は飼料高騰によって肥育農家が子牛の買い控えを行ったため、価格が最大でそれぞれ50%、80%も低下したのです。

 2023年4月時点での生乳1kg当たりの酪農所得を推計してみます。

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先ほど述べた資材価格高騰と牛価格低下による所得減少をベースとし、2022年11月の飲用向け生乳価格10円/kg引き上げ、23年4月の乳製品向け生乳価格10円/kg引き上げ、そして配合飼料の購入価格を抑える補填金を加味しても、2020年と比べて、北海道では53%の所得減少、都府県では実に91%の所得減少です。すでに行われた生乳価格引き上げではまだ十分ではなく、酪農家の自助努力では対応できない甚大な影響と言わざるを得ません。

 酪農経営の悪化は、酪農家戸数と生乳生産量の減少という影響をもたらしています。
2022年の酪農家戸数の減少率は7%近くになり、例年のおよそ2倍になっています。また、増加を続けていた生乳生産量も2022年度は、北海道、都府県ともに減少に転じました。北海道での減産は生産抑制の結果でもありますが、都府県では離農の多さが生産減少につながったと言えます。
 この生産減少によって、過剰から一転してバター不足を懸念する声も出てきています。

 さて、酪農家の自助努力だけでは到底対応できず、生乳価格の引き上げでも経営を十分に改善できない中では、政府による対策が非常に重要です。政府はどのような対策をしているのでしょうか。

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 酪農危機に対応した臨時対策としては、配合飼料価格の上昇を抑える補填金の加算や、生産コスト削減と国産飼料の利用拡大に取り組む酪農家への支援、在庫削減対策の支援、生産抑制のために乳牛頭数を減らす酪農家への奨励金など、さまざまなメニューが用意されています。酪農向けの予算額は500億円程度と思われ、1年の予算額としては決して小さな額ではありません。
 しかし、これら対策を全ての酪農家が利用できるわけではありません。皮肉なことに、優秀な酪農家であるほど、これ以上削減できるコストはなく、すでに十分に国産飼料を使っている上に、減らせる乳牛もいません。また、酪農家が自助努力を行う際の追加支出を部分的に減らす対策がほとんどで、酪農家の所得を直接増やす対策にはなっていません。

 いま対応すべきことは大きく2点あり、生乳過剰の解消と、酪農所得の回復です。

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生乳過剰への短期的対策としては、政府が脱脂粉乳在庫を買い上げ、不合理な生産調整を酪農家が一刻も早く終了できる環境を作るべきです。脱脂粉乳3万トンを輸入価格で買い上げる場合、必要な財源は160億円ほどです。
 その上で、長期的な対策としては、チーズ向け生乳奨励金制度の創設です。輸入チーズの国産化を進めて国産需要を増やし、生産調整を二度としない仕組みを作るべきです。輸入チーズは生乳換算で300万トンもある一方、国産チーズは40万トンしかなく、自給率は1割強です。国内のチーズ向け生乳価格を輸入価格水準まで下げ、その引き下げ分を奨励金として酪農家に交付します。対象となる生乳は40万トンで、これに必要な財源は年間で78億円から158億円です。

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 次に、酪農所得の回復に向けた短期的対策は、全酪農家を対象とした直接的な所得補填です。生乳1kg当たり10円、あるいは乳牛1頭当たり10万円を支払うのに必要な財源は740億円ほどです。場合によっては複数回行う必要もあるでしょう。
 長期的な対策としては、酪農家と国が共同拠出した所得補償基金の創設です。酪農家が生乳1kg当たり1円を負担し、政府も同じ額を負担すれば、10年間で生乳1kg当たり13円の所得補償を行い、現在の在庫削減対策と同規模の対策を行える基金を造成できます。これに必要な政府の財源は、年間で80億円です。
 これら全ての提案に必要な予算額は、長期的対策のみだと年間で最大240億円程度です。予算が限られているのであれば、より効果の高い政策を行うべきです。

 予算を付ければ、食料安全保障が自ずと達成されるわけではありません。農産物を生産するのは、あくまでも農業者です。危機の中では農業者の所得を直接、補償する農業政策が必要であり、それこそが食料安全保障の実現に寄与します。今回の酪農危機は、私たちに、農業政策の基本的な理念の転換を突きつけていると言えます。

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