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上村洋行「司馬遼太郎 生誕100年」

司馬遼太郎記念館 館長 上村 洋行

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 司馬遼太郎は大正十二年八月の生まれですから今年は生誕百年になります。そのことを改めて意識したのは昨年の新緑のころでした。記念館の庭から、司馬遼太郎の書斎を眺めていますと、本名から作家、司馬遼太郎への道を歩んだころのことが浮かんできました。

 私の姉が司馬遼太郎と結婚したものですから、私は義理の弟になります。二人とも大阪の新聞社の同僚で、私も後になって同じ新聞社の記者になりましたが、その頃は小学六年生でした。司馬遼太郎が私どもの家に遊びに来まして、私に「絵を描いたろうか」と言うんです。うれしくなってクレパスを持ってきました。たまたま姉の部屋にあった色紙に、私の目の前で三十分ほどで書き上げました。
 絵はこれから夜が明け始めるというまだ暗い丘陵の風景で、一本の常緑の木が立ち、側面が月の光を浴びて黄色く輝いている構図です。やや抽象的で、私には一目で印象に残る絵でした。「一枚の絵」と自分でタイトルをつけまして、大事にしまい込んで、ときおり見ていました。
 そのまま年月が流れ、平成八年の二月、司馬遼太郎が亡くなってしばらく経ったころでした。姉との話の中で「一枚の絵」のことが出ましたもので、絵を持ってきて、はじめて額から出したんです。色紙の裏を見て驚きました。
 司馬遼太郎の自筆の文章が描いてあったんです。
「暁闇に立つ一本の孤峭な樹を描きました。人生へのきびしい覚悟としたかったのです。昭和 三十年十一月十四日 定一」と書かれていました。
 署名は本名の福田定一で、その日付に二度驚きました。『ペルシャの幻術師』という司馬遼太郎名がはじめて公になった小説で、講談倶楽部という雑誌の賞を受けた作品があります。この賞の締め切りは十二月で、署名の日付直前だとわかったからです。書き終えたことで、作家への道を進む、という覚悟を「一枚の絵」に託したメッセージとして私にくれたように受け取っています。
「その覚悟」は、多くの直木賞作家を輩出した同人雑誌「近代説話」の発刊につながっていきます。「近代説話」は友人だった作家、寺内大吉さんとの語らいの中で生まれました。司馬遼太郎は、文学愛好家の集まりというより、小説を説話の原点に戻して、プロとして成り立つ、おもしろい作品を発表する雑誌、そういう主旨なら創ろう、という提案をして昭和三十二年に第一号が創刊されました。
 会費はとらず、出せる者が出す、例会も開かない、同人同士は発表作品について批評しあわない、といったユニークなものでした。それに、同人の中から直木賞作家が相次いで誕生しました。司馬遼太郎が三十五年一月に『梟の城』で受賞、続いて寺内大吉、黒岩重吾、永井路子、伊藤桂一、胡桃沢耕史といった方々が受賞されました。
 司馬遼太郎はこの時期を経て、『竜馬がゆく』や『坂の上の雲』などの長編の歴史小説、あるいは『街道をゆく』、エッセイなどの執筆活動を続けていきます。
 記念館では生誕百年にちなんだ企画展として、今年の前半は、小説だけでなくエッセイや講演、対談といった作家活動から見た「司馬遼太郎の視点」というタイトルで展開しました。後半は、新聞記者から作家への道をたどる時期をとらえ、作家の道へ―― 司馬遼太郎と「近代説話」というタイトルでこの五月から始めまして、来年の二月まで展示します。
 私は記念館業務に携わって二十年余りになります。その間に多くの方々から司馬作品についての話しを聞きました。その内容はいくつかに集約されます。
 「五十年、六十年前に書かれていながら今出版されたような鮮度を感じる」「何度も読み返しているが、その都度、年代に応じて新たな発見がある」「今の時代の問題に対してどこかヒントになるメッセージとして受け取っている」というようなことでした。
生誕百年の節目の年に合わせて昨年の秋、「私の好きな司馬作品」というアンケートをインターネットで行いました。回答数は一五六七人でした。回答者の年齢は小学四年生の女子から九十四歳の男性まで幅広く、四十代以上の中高年層が八割を超えました。ネットで行ったおかげで十代から三十代の若い世代からの反応を得たことが大きかった、と思っています。
 その結果、一位が『坂の上の雲』二位が『竜馬がゆく』三位が『燃えよ剣』で、四位に『街道をゆく』が入りました。
 今回のアンケートで私自身が感動したのは、記入しなくてもいい自由回答欄、例えば「好きな作品を選んだ理由」「初めて読んだのはいつ頃」「次世代へのお勧めの作品は」といった問いかけでしたが、全回答者の八割の方が熱っぽく書いてくださったことでした。
 その中で、『坂の上の雲』を推した三十代の女性が「公のために、という忘れられがちになっている大切な気持ちを思い出させてくれた」と書いておられて、うれしく思いました。
 今回のアンケートでも記念館活動の中でお聞きした司馬作品の印象と同じ内容が多くありました。中高年の八割が「司馬作品を読み返している」と答えられ、初めて司馬作品を読んだのはいつだという問いに対して、十代、二十代と答えた方が六割でした。
アンケートから司馬作品は過去から現在へのメッセージとして受け取られている、そう思いますと、司馬作品はこれからも読み継がれていくのだろうか、という連想が広がりました。司馬遼太郎の命日であります二月の菜の花忌の催しとして例年、東京と大阪交互でシンポジウムを開いていますが、今年は大阪で開きました。「司馬作品を未来へ」というテーマでして、次世代に読み継がれていく司馬作品はどんなものがあるのか、識者のみなさんにお聞きしたいと思ったわけです。
 今回の識者の皆さんの発言やアンケートの結果から司馬作品を読んでくださる方々の力強い後押しを感じ、司馬作品が次世代にも読み継がれてほしい、という気持ちを新たにしました。
 同時に本を読むということの大切さを改めて思いました。今やネット社会はAIやメタバース 仮想現実ですね、そういう世界へ、時代はこれまでにない速さで大きく変化していきます。私どもは、変化の過程で恩恵を受けるけれども、同時にそれらに操られて自分を見失うことにもなりかねません。そうならないためには、正しい判断力や想像力を個々人で養っていかなければなりません。
 そのことに関連して思い出すのは司馬遼太郎の言語に関する想いです。
私どもの国語である日本語は、日本文化二千年の所産であるだけでなく、将来、子供たちが生きてゆくための唯一の生活材であり、精神材であり、また人間そのものを伸びさせるための成長材でもある、と言います。人間は言語によってイメージを結ぶわけで、言語生活が豊富であればあるほど、その人の頭はシャープになっていきます。その意味で国語力をこれまで以上に育てていかねばなりません。
 加えて、司馬遼太郎は「国語力は、家庭と学校で養われる。国語力にとっての二つの大きな畑といってよく、あとは交友、そして大事なのは、読書である」と言っています。

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