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栗田禎子「スーダンの行方」

千葉大学 教授 栗田 禎子

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アフリカ北東部のスーダンで、4月15日、国軍と準軍事組織(RSF「即応支援部隊」)との間の軍事衝突が始まりました。国軍とRSFとの激しい戦闘が続いた結果、首都ハルツームでも電気や水道が止まり、食料が不足し、病院も多くが機能を停止するなど、市民の生活と生命が脅かされる状況が生じています。

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地方でも、特に西部のダルフール地方などで激しい戦闘が起きています。このような状況のもと、安全を求めて、チャドやエジプトなど近隣諸国に難民として流出する人々も出ています。―なぜこのような事態が生じたのか、事件の背景や性格、今後の展望を探りたいと思います。

はじめに、今回の事件が起きたタイミングに注目したいと思います。

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スーダンには1989年以来30年近く軍事独裁政権バシール体制が存在しましたが、これに対し2018年12月から民主化を求める市民のデモ・抗議行動が始まり、バシール大統領は2019年4月退陣に追い込まれました。大統領退陣後も、これまで独裁体制を支えてきた軍部は従来通り権力を握りつづけようとしましたが、女性や青年を含むスーダンの市民は民主化を求めて粘り強い運動を続けました。2021年10月には、民政移行を妨害するため、軍部がクーデタを起こして権力を再度全面掌握しようとするという事件も起きましたが、これに対しても市民は1年以上にわたって抗議運動を続け、国連やアフリカ連合等、国際社会も働きかけを行なった結果、最終的に2022年12月、ことし4月に完全な民政移行を行ない、100パーセント文民から成る暫定政府を発足させて、軍は政治から手を引くことが決まったところでした。国軍とRSFとの間の突然の軍事衝突、首都ハルツームを戦場とする戦争という事態は、まさにこの4月からの民政移行直前というタイミングで、民主化へのプロセスを断ち切る形で発生したのです。

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 衝突の直接の原因は、民政移行に向けてのプロセスで国軍とRSFの組織の一本化、統合が日程に上る中で、国軍トップのブルハン司令官と、RSFを率いるダガロ司令官との間の権力闘争が激化したことだと言われています。真相は不明なのですが、国軍のブルハン司令官とRSFのダガロ司令官はいずれも、自分たちは民主化に賛成で、民政移行プロセスに協力するつもりだったのだが、相手側が混乱を引き起こし、それに乗じて権力を握ることを狙って、攻撃を仕掛けてきたのだと主張しています。

次に、国軍とRSFそれぞれの性格を見ておきましょう。国軍とRSFとは客観的には、共に独裁政権バシール政権を支えてきた存在と言うことができます。

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バシール政権は1989年にクーデタで成立した軍事独裁政権で、イデオロギー的には「イスラム主義」の立場に立ち、言論の自由や女性の権利などを厳しく制限すると共に、南部や西部など、国内の低開発地域に対する抑圧政策をとったことでも知られます。長年にわたる武力弾圧で苦しめられた南部は2011年に「南スーダン」として分離独立することを選びました。また西部ダルフールでも2003年以降政府による弾圧が激化していわゆる「ダルフール紛争」が発生し、30万人近くが犠牲となりました。国軍は、この軍事独裁政権を支えてきた屋台骨とも言える存在です。またブルハン司令官はじめ現在の国軍上層部には旧体制の思想的基盤だった「イスラム主義」と立場が近い者も多いとされます。他方、RSFは、元来はダルフール紛争の際、政府側が現地の住民を弾圧するために組織した民兵組織「ジャンジャウィード」が原型で、ダルフールでの住民殺戮で悪名高い存在ですが、その後「即応支援部隊(RSF)」という正規の治安部隊に格上げされ、首都ハルツームでの民主化要求デモの弾圧等にも投入されるようになりました。RSFはスーダン西部を本拠地とすることから、チャド・リビア等との国境地帯で強い勢力を有してきました。またバシール政権末期にスーダンがサウジアラビアの要請に応える形で他のアラブ諸国と共にイエメン内戦に出兵した際にはRSFが主力部隊として派遣されたという事情もあって、RSFのダガロ司令官は、特にアラブ首長国連邦等の湾岸アラブ諸国の政府とも太いパイプを持つようになったとされます。このため近年は欧米のマスコミ等、国際社会からも注目されるようになっていました。このように、国軍とRSFはその背景や成り立ちは違うのですが、いずれもバシール体制を支え、市民を抑圧してきた存在と言えます。今回、この2つの軍事組織が民政移行前夜に突如軍事衝突に至り、戦争を開始したことで、4月に予定されていた民政移行、民主化プロセスは完全にストップしました。首都自体が戦場となる異常事態が起きたことで、これまでデモ・ストなど非暴力的手段での活動を展開してきた市民は一瞬にして政治の場から排除され、政治活動はおろか生活・生命を維持することすら困難な状況に陥ったのです。今回の戦争は巨視的には、2019年以来4年以上にわたって市民によって粘り強く続けられてきた革命を、葬り去る効果を持つと言うことができます。

今回の事態に外部の勢力が関与している可能性はあるのでしょうか?

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スーダンは中東とアフリカの双方にまたがる国です。スエズ運河=紅海=ペルシャ湾=インド洋をつなぐ石油輸送のための海上輸送路(シーレーン)を睨む位置にあり、鉱物資源の豊かなアフリカ内陸諸国に隣接するなど、地政学的にも重要で、同国をめぐっては周辺諸国あるいは国際社会の複雑な思惑が渦巻いています。近隣の中東・アフリカ諸国は必ずしも民主的な体制をとっているわけではなく、スーダンで民主化が進むことを歓迎していない政権も多いと考えられます。またスーダンに着目する欧米、ロシア等の諸国も、ねらいはあくまで経済的・地政学的利害であり、国際社会は中東やアフリカでは「民主主義」より「安定」を重視する傾向があることも指摘されてきました。今回の事態に外部勢力が関与している可能性に関してはさまざまな指摘がとびかっていますが、真相は依然不明です。バシール体制崩壊後、多くの国は国軍のブルハン司令官、RSFのダガロ司令官の双方を重視し、親しく付き合ってきたのが現実と言えます。
軍事衝突開始直後、スーダンの市民を襲ったのは何よりもまず恐怖と驚きでした。しかし日が経つにつれ、「これはわれわれの戦争ではない」として即時停戦を求める声、国軍とRSFという二つの軍事組織が突如衝突を始め、市民の犠牲をかえりみずに戦争を続けていることへの怒りの声が上がり始めました。これまで民主化を担ってきたスーダンの民衆、政党や労働組合、市民団体などは現在、戦争をただちにやめ、100パーセント文民から成る暫定政権を発足させることを要求しています。軍事衝突によって頓挫した民政移行プロセスを再び軌道に乗せ、民主化を実現することを求めているのです。ブルハン司令官、ダガロ司令官の双方が政治から退くべきだという声、事件の真相や背後関係を究明するための調査委員会設置を求める声も上がっています。国際社会に対しては、停戦に向けた強力な働きかけを行なうこと、スーダンに対する人道支援を一刻も早く再開することを求めています。戦争の結果首都ハルツームでも市民の生活が成り立たない状況が生じていますが、今回の戦争以前から、スーダン国内にはダルフール等、長期にわたる内戦や紛争の傷跡を抱え、国際社会からの食糧・医療支援で人々がかろうじて生活を維持してきた諸地域が存在します。今回国際機関や諸外国のNGOが一斉に退避することを余儀なくされた結果、こうした支援がストップしてしまい、多くの人の命が危機に瀕しています。

日本を含む国際社会には、このようなスーダンの市民の声に耳を傾け、一刻も早い停戦の実現、停戦の恒久化のために力を尽くすと共に、民政移行、民主化プロセスの再開を応援すること、また国際機関等を通じてスーダンに対する人道支援を急ぐことが求められます。

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