NHK 解説委員室

これまでの解説記事

青山和夫「マヤ文明 最新の研究成果」

茨城大学 教授 青山 和夫

s230502_00.jpg

マヤ文明は、紀元前1100年頃から16世紀にかけて中米で独自に築かれた文明でした。私は40年近く、マヤ文明の調査を続けています。3年前、私も参加する国際調査団の調査で、マヤ文明の起源に迫る世紀の発見がありました。本日は、マヤ文明の起源に関する最新の調査成果とともに、調査の意義についてお話しいたします。

s230502_001.jpg

s230502_002.jpg

マヤ文明は、ユカタン半島を中心にメキシコ、グアテマラ、ベリーズ、ホンジュラスで栄えました。それは洗練された「石器の都市文明」でした。マヤの支配層は文字や暦、算術、天文学を高度に発達させました。人々は鉄器や大型の家畜を使わず、主要利器の石器と人力で巨大な神殿ピラミッドが聳える都市を建造しました。独自に発展したマヤ文明の研究は、西洋社会と接触後の社会の研究だけからは得られない、新たな視点や知見を人類史に提供し、いわゆる「四大文明」(メソポタミア、エジプト、インダス、古代中国)中心的な世界史の脱構築につながります。

私たちは2005~2017年に、グアテマラのセイバル遺跡において大規模な発掘調査に挑みました。そして、マヤ文明の起源と形成に関する重要なデータを得ました。従来の学説では、マヤ文明は紀元前1100年頃から小さな村々から出発して、徐々に公共建築を造り、西暦3世紀以降に最盛期を迎えたとされていました。

s230502_003.jpg

ところが、セイバル遺跡では紀元前950年頃に公共建築が建造されたことが明らかになり、アメリカの『サイエンス』に発表しました。従来のマヤ文明観に見直しを迫る大きな発見です。

セイバル遺跡の公共広場の東西には、太陽崇拝に関連した公共建築が建造され、同じ場所に増改築され続けました。グアテマラ高地産の黒曜石が搬入され、マヤ文明初期の特徴であるグアテマラ高地産の翡翠製の磨製石斧の供物が公共広場の東西軸線上に埋納され続けました。

2020年、セイバル遺跡の成果をさらに発展させる大発見がありました。

s230502_004.jpg

私も参加している日本、アメリカ、メキシコなどの国際調査団は、2017年からメキシコのタバスコ州で航空機によるレーザー測量、地上探査と発掘調査を行いました。

s230502_007.jpg

その結果、現在のところマヤ文明最大・最古の公共建築を発見して、イギリスの『ネイチャー』に発表しました。私たちは、これまで知られていなかったこの遺跡をアグアダ・フェニックス遺跡と名付けました。その最大の公共建築は、南北の長さ1413m、東西の長さ399m、高さ15mの巨大基壇です。その上には、太陽崇拝に関連した神殿ピラミッドや基壇が建てられました。巨大基壇を中心に幅50~100m、最長6300mに及ぶ計9本の舗装道路や人工貯水池が配置されました。

大規模な発掘調査と年代測定により、巨大基壇が紀元前1100年頃に建造され、数百年にわたって増改築されたことがわかりました。その建造は、定住生活と土器使用が始まって間もない時期にあたります。

視聴者の皆様は、マヤ文明最大の公共建築がこれまで全く知られていなかったことを不思議に思われるかもしれません。

s230502_008.jpg

しかし、アグアダ・フェニックス遺跡の巨大基壇は平面的にあまりにも大きすぎるので、自然の丘なのか人工の建造物なのかを航空機によるレーザー測量なしに地上で確認するのは困難なのです。

アグアダ・フェニックス遺跡の巨大基壇は河岸段丘上に建造され、体積は320万~430万立方メートルと推定されます。それは、マヤ地域で最古かつ全マヤ文明史を通して最大の体積を有した公共建築です。

王が出現した後の時代の垂直的な神殿ピラミッドは、王権を誇示する政治的道具でした。神殿ピラミッドでは水平性だけでなく、むしろ高さつまり垂直性が強調されました。同時に神殿ピラミッドは神聖な山を象徴し、マヤの山信仰と深く結び付いていました。アクセスは排他的であり、王など一部の支配層に限られました。

アグアダ・フェニックス遺跡では、権力者を表象した石造彫刻は見つかっていません。

s230502_009.png

ペッカリー(ヘソイノシシ)を模った独自の様式の石彫が出土しているだけです。つまり中央集権的な王がまだいない、社会の階層化がそれほど進んでいない社会でした。

s230502_011.png

王権が確立する前のマヤ文明初期には、巨大基壇の水平性が際立ちました。人々の開放的な交流が可能な水平的な空間が好まれたと考えられます。

巨大基壇の東西の側縁には、計20の基壇が建造されました。20は20進法を用いたマヤ暦の重要な数字であり、暦が既に発展しつつあったことを示唆します。アグアダ・フェニックス遺跡では、セイバル遺跡と同様に、グアテマラ高地産の黒曜石が搬入されました。巨大基壇の上では、セイバル遺跡と同様に、公共広場の東西の軸線上にグアテマラ高地産の翡翠製の磨製石斧を埋納する儀礼が執行されました。水平性を強調した巨大基壇は、人々が参加する共同体の祭祀の場であり、集団の統合を象徴したと考えられます。

アグアダ・フェニックスには巨大基壇の建造を計画・指揮する指導者はいても、王のような中央権力者はいませんでした。人々は強制されることなく自発的に共同作業を行い、巨大基壇を造りあげたのではないでしょうか。おそらく公共建築の必要性や宗教儀礼を共有していたのでしょう。公共建築の共同作業が、定住生活の始まりという大きな転換点において、集団のアイデンティティを創生し、マヤ文明の起源と発展に重要な役割を果たしたのです。

さて、マヤ文明をはじめとするメソアメリカ文明は、アメリカ大陸で独自に興隆した一次文明でした。一次文明とは、もともと何もないところから独自に生まれたオリジナルな文明を指します。メソアメリカ文明は、メソポタミア、古代中国や南米のアンデスと共に「世界四大一次文明」をなしました。マヤ文明をはじめアメリカ大陸の一次文明の適切かつ十分な記述ぬきには、バランスの取れた「真の世界史」とはいえません。マヤ文明は広い地域を統治する統一王朝が存在したメキシコ中央高原のアステカや南米のインカなど他の中南米の文明と異なり、王が出現した後の時代には各地に独立した王権が栄えるネットワーク型の文明でした。社会の多様性が、マヤ文明が2500年以上も長続きした理由の一つでした。最大・最古の公共建築の発見は、こうしたマヤ独特の文明の起源を知るだけでなく、人類の文明の起源・形成を探求する上でも極めて重要です。

こちらもオススメ!