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酒井啓子「イラク戦争から20年」

千葉大学 教授 酒井 啓子

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今年でイラク戦争から20年になります。イラク戦争にはどういう意味があったのか、イラク戦争はいったい何を残したのか、本日は考えてみたいと思います。

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アメリカのブッシュ元大統領は開戦から43日後の5月1日に、イラク戦争の「主要な戦闘」が終了した、と宣言しました。しかしその後も、アメリカ軍を中心とした暫定連合当局が、1年2か月イラクの占領統治を行い、さらに2011年12月まで、イラクに駐留し続けました。
一方、攻撃を正当化するために掲げられた「イラクが大量破壊兵器を保有している」というアメリカの主張は、戦後、当時のパウエル国務長官自身が、「大量破壊兵器はなかった」と発表して、覆されました。イギリスでは、チルコット報告書と呼ばれる報告が2016年に発表されましたが、ここでは、イギリスがイラク戦争に参戦したことは間違いだった、と結論づけられています。今年3月には、アメリカ上院が、当時のイラク戦争承認決議を撤回するとの法案を採択しました。
このイラク戦争が、イラクや周辺国、国際社会に何を残したかを考えると、次の四点指摘することができます。

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第1は、イラク国内およびアメリカ、イギリスなど駐留軍の人的、財政的コストの大きさと、戦後のテロや内戦などの増加です。
2番目は、そうした軍事的、経済的負担の結果として生じたアメリカの国力、指導力の低下であり、中東地域からの退場です。3番目は、アメリカの指導力の低下によって浮上した域内対立で、具体的には域内大国であるサウジアラビアとイランの間の緊張関係です。4番目は、イラク国内の問題です。これだけのコストをかけてアメリカが立ち上げたはずの戦後のイラク政治体制は、今、国内社会から激しい反発を受けています。

まず第1の、イラク戦争が残した人的、財政的コストについてです。アメリカ国防総省の発表では、イラク駐留中に死亡したアメリカ兵は、2010年までで4431人にのぼります。アメリカ以外では、最も多いのがイギリスで179人、その他の多国籍軍は138人でした。被害は軍人だけでなく、たとえば駐留米軍に雇用された民間企業の死者は、2012年時点で1569人だったと発表されています。日本では、外交官二名を含む六人の命が失われました。
イラク人の死者はどうかといえば、過去20年間で20万人以上が命を落としたと推計されています。戦後3年間で、65万人以上が死亡した、という医療専門誌の推計もあります。
人的被害だけではありません。イラクには、戦争およびその後の復興事業に多額の資金が費やされました。アメリカのブラウン大学で2010年に開始された「戦争のコスト」調査プロジェクトによれば、イラク、シリア方面で費やされた資金は2兆1000億ドルです。一方経済学者のジョセフ・スティグリッツは、イラク戦争を「3兆ドル戦争」と呼んでいます。日本もまた、戦後復興に50億ドルを供出しました。

さらに、戦争と外国軍の駐留は、中東・イスラム社会での反米意識の高まりを生み、アルカーイダやイスラム国による国際テロが、活発化することになりました。イギリスのブレア元首相が、イラク戦争がなかったらイスラム国は出現していなかった、と述べたのは、イラク戦争こそが国際的なテロの蔓延、治安の悪化の原因であることを、よく示しています。
戦争の悪影響が明らかになるにつれ、アメリカでは2006年ごろには、「米軍がイラクで軍事力を行使することは間違いだった」、という世論が多数派になりました。これを受けて、イラク戦争に反対していたバラク・オバマ氏が大統領に就任し、アメリカは「世界の警察官」を辞める、と述べるに至ったのです。

この第2の問題、つまり中東地域からのアメリカのプレゼンスの低下は、その後の政権にも引き継がれ、2021年の米軍のアフガニスタン、イラクからの撤退へとつながりました。
このアメリカの中東からの退場によって、親米アラブ産油国の間での対米不信が生まれました。その結果、域内諸国は、アメリカに頼らず域内紛争に対処する道を模索しなければならない、という意識を強めます。

そこで生まれたのが、特にイランとサウジアラビアを中心とした中東域内の、「地域冷戦」です。これが、イラク戦争が生んだ第3番目の問題です。というのも、イラク戦争後、イランと密接な関係を持つシーア派イスラム主義の政党がイラクで政権与党となり、その結果ペルシャ湾岸域内でイランの影響力が拡大したからです。特にサウジアラビアは、イランの覇権拡大に緊張感を募らせました。その緊張関係のピークが、2016年のサウジアラビアの対イラン断交です。その頃イラクとシリアで「イスラム国」が出現、両国の領土の3分の1を支配しましたが、この「イスラム国」掃討作戦に戦果を挙げたのが、イラン・イスラム革命防衛隊でした。イランの革命防衛隊は、シリア内戦やイエメン内戦にも深く関与し、サウジアラビアとの間で、「代理戦争」を展開することになりました。
そのイラン・サウジアラビア関係改善に大きな役割を果たしたのが、中国です。今年3月、中国の仲介で、両国間の外交回復を謳った共同声明が発表されました。こうした展開も、従来親米路線だったペルシャ湾岸諸国のアメリカ離れを、よく表しているといえましょう。

では肝心のイラク国内は、どうなっているのでしょうか。原油価格の高騰によって石油収入が増加しているせいもあり、最近は治安や経済も安定を見せているようです。しかし、3年半前の2019年10月には、数百万もの若者たちを中心に、首都バグダードなど各地で、政府に対する抗議運動が広がりました。デモ自体は2年前には収まりましたが、若年層や女性、貧困層の戦後政治に対する不満は、解消されていません。彼らが最も問題にするのが、政治支配層の腐敗、汚職です。

なかでも主要政党の間で、宗派別、エスニシティー別に、ポストや財源を山分けする、ムハーササと呼ばれるシステムは、人々から広く批判されています。
このように見れば、イラク戦争という、大国が軍事介入によって他国の政治体制を変える、という行為は、攻撃された側もした側も、大きな傷を負うばかりか、国際社会全体のパワーバランスや安全保障観を変質させる結果を生みました。
さらには、イラク戦争が、国連の了承なしで行われた、ということに対する反省は、ほとんどなされていません。
大国による他国への軍事攻撃という現実を前に、国際法に何ができるのか、国際規範を形骸化させないことができるのか、という問いは、イラク戦争後20年の間に、十分論じられてきたとはいえません。
しかし、ウクライナに対するロシアの軍事攻撃という問題に直面する今こそ、イラク戦争の十分な反省と総括が必要なのではないでしょうか。

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