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水野雅文「若者に知ってほしい精神疾患」

東京都立松沢病院 院長 水野 雅文

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今般の学習指導要領の改訂で、令和4年から高等学校の教科保健体育に、新たに「精神疾患の予防と回復」の内容が盛り込まれることになりました。
教科書にうつ病、統合失調症、不安症、摂食障害の精神疾患名、ならびにその症状や対処が記載されることは、実に40年ぶりになります。
公教育を通じてほとんどの子どもたちが精神保健を学習することは意義深いといえます。

さらに学習指導要領解説では、心身の不調の早期発見と、早くからの治療や支援の開始によって回復可能性が高まることを理解できるようにすることに加えて、専門家への相談や早期の治療などを受けやすい社会環境を整えることが重要であること、精神疾患に罹患することや精神に障害をきたすことは差別や偏見の対象ではないことなどを、高校生が理解できるようにすることも求められています。

そこで今日は、若者がメンタルヘルスリテラシー教育を受ける意義について、その背景と今後の期待についておはなししたいと思います。

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うつ病,統合失調症,不安症などの精神疾患による受診者は増加の一途であり,厚生労働省の平成29年の患者調査によれば、精神疾患を有する総患者数は約420万人とされており、なおも増加傾向です。
傷病別の患者数をみると脳血管疾患や糖尿病を上回るなど、国民にとって身近な疾患となっています。 この数は受診者数であり治療中断者や、発病していながら医療機関を受診していない人は含まれていません。精神疾患の受診行動の特徴の一つは、これら未受診者が多いことでもあり、実際には相当数の未受診の人びとがいると考えられます。

世界保健機構のまとめによれば、生涯のうち4人に1人は何らかの精神疾患に罹患しているにも関わらず、その3人に2人は受診したことがないとされています。この数値に比べると、先ほど示したわが国の420万人という患者数はまだ低めの数値です。

すなわち、日本のような医療先進国にあっても、精神疾患に罹患しながらも、実際には受診していない人が多数いることになります。優れた治療の開発により回復可能性が高まる中、残念な状況にあると言わざるを得ません。
精神疾患と発症年齢に関して、精神疾患全般を見るとうつ病、統合失調症、不安症、摂食障害などは、実は10代から30歳ぐらいの間で発症します。
成人の精神疾患患者のうち50%は14歳までに、75%は24歳までに発症することも明らかになっています。

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こちらの表はG7各国の死因順位を示しています。15歳から34歳までの若者の死因1位が自殺である国は、日本のみです。むろん自殺に至る原因は精神疾患だけではありません。
しかし自殺に至る前にはさまざまな形で心身の不調が現れます。

未治療、未受診の問題に加えて、受診にまつわるもうひとつの課題は治療開始の遅れです。
明らかに精神に変調を来しても、なかなか専門家を受診しない。その長きに亘る治療のロスタイムが疾患の経過に悪影響を与えることは、専門家の間ではよく知られていることです。

実際に統合失調症の場合には、半数以上の人が発症から受診までに半年以上を要しています。しかしこれまでは一般にはそもそも精神保健、あるいは精神疾患に関して知識や情報を得る機会が無かったので、無理からぬところもありました。

特に大都市周辺では、精神科や心療内科を標榜する診療所はおびただしく増加しているにもかかわらず、不安・不眠・抑うつ等の一般的な精神症状のために、何らかの精神科サービスを利用した人の割合は、諸外国の中で、非常に低位に留まっています。

受診が遅れる原因としては、スティグマの影響は大きいと思います。スティグマは、日本語の差別」や「偏見」などに近い英語で、個人の持つ特徴や疾病などに対する否定的な意味づけのことです。
精神疾患になる人は心が弱い人、特殊な人と考えてしまうこともスティグマの一種です。このため自分だけは大丈夫という思い込みから、自身の精神的な不調に気づかない、もし気づいていても、相談したり受診したりすると、周囲から弱い人間と思われるのではないか、差別されるのではないかと考え、受診しないということもよくあります。

そうした思いは他者への思いにも通じ、精神疾患から回復した人々、あるいは精神障害がありながらも社会生活を営む人々への偏見に通じる恐れがあります。
これらの解消、早期の受診、より軽症なうちからの治療や支援が、回復を促進する上で重要な点となるのです。

今般の学習指導要領では、高等学校保健の教育目標は「生涯を通じて人々が自らの健康や環境を適切に管理し,改善していくための資質・能力を育成する」とされています。

それが意味するところは、各疾患についての知識を得て早期受診への理解を増すことにとどまるものではなく、早期の治療による回復可能性についても十分に理解すること。
加えて、精神疾患に向き合う人々への配慮や社会の受け止め方についても、自ら考える行動する力をつけることが期待されています。

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限られた時間の中で授業を構成するのは難しいものですが、「精神疾患の予防と回復」に関する授業を通じて、精神疾患は...
・誰でもかかる可能性があり、思春期を含む若年で起こりやすいこと
・身体の病気と同じように早期発見と早期治療が回復可能性を高めること
・専門家への相談や早期治療を受けやすい社会環境を整えることが重要であること
を高校生がみずから考え、行動できるようになる学びの場として頂きたいと願います。

残念ながら、精神疾患に対する偏見・スティグマは、広く社会に潜在しています。精神疾患そのものへの知識不足に加えて、精神疾患がある人への差別感があります。
さらには、自分がかかった時に自己評価の低下につながってしまう、内なる偏見も存在します。
偏見には様々なレベルがあり、個々の偏見が社会生活に影響するということにも授業を通じて気づいてもらえればと期待します。
誤解や偏見が少ない生徒・学生の時代から精神疾患患者や障害者に接する機会をもつことは,接し方の態度の習得を可能とし,誤解や偏見の防止に極めて有用であると思われます。
すべての学校に障害がある当事者を招くことは困難であるとしても、ビデオやITを活用して、臨場感有る主体的・対話的な学びを通じて深い理解を得て欲しいのです。
精神疾患の初期の患者の多くが若年者であることを考えると、若年者が医療機関へ援助希求するのは難しく、教育機関との連携や父母への理解の促進も重要です。

WHO・世界保健機関では学校を基盤に、精神保健の知識・意識の向上を推奨しています。これまで学習の機会を得られなかった大人世代の人たちにもさまざまな機会を捉えて精神疾患の予防と回復について学んでいただければ幸いです。

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