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尾﨑久仁子「ウクライナにおける戦争犯罪と国際社会」

中央大学 法学部特任教授 尾﨑 久仁子

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1.戦争と戦争犯罪
 社会で生じる様々な事象の中で最も悲惨なものが戦争であることは論を待ちません。戦争は、その理由や結果がどのようなものであれ、多数の人々の心身を深く傷つけ、社会全体に破壊的な影響を与えます。国連憲章は、戦争を含む武力の行使を一般的に禁止しています。
 しかし、現実の国際社会では、国家間の戦争のみならず、内戦や地域紛争が頻発しています。また、今回のウクライナ侵攻に見られるように、違法な戦争を制止すべき国連の安保理は、全ての常任理事国が一致しない限り機能しません。
 戦争の禁止とは別に、国際社会は、仮に戦争が起こった場合であっても、当事者が戦場で守るべき最低限のルールを作って、戦争に伴う被害を最小限に抑える努力を行ってきました。軍隊同士の殺傷行為はやむを得ないとしても、武装していない市民や弱者が戦闘に巻き込まれたり、残虐行為の対象になることを防ぐためのルールです。このようなルールは国際人道法と呼ばれています。

 中でも、赤十字国際委員会が作成した、1949年の4つのジュネーブ条約や1977年の2つの追加議定書がよく知られています。これらの条約は、傷病兵、捕虜、及び戦場や占領地における文民の保護を各国に義務付けています。軍事目標以外の目標への攻撃や、原子力発電所などの特殊な施設への攻撃、戦闘員に対する攻撃であっても無用の苦痛を与えるような手段を用いることも禁止されています。ウクライナもロシアもこれらの条約に入っています。

2.戦争犯罪の処罰
 このようなルールの中で、特に重要なものについては、各国は、これに違反した個人を処罰する義務があります。これが戦争犯罪です。例えば、文民や捕虜の殺害、拷問、非人道的待遇などは戦争犯罪に当たります。今回、ウクライナにおいては、ロシア軍兵士によって、文民に対してこれらの行為が広範囲に行われた痕跡がありますし、今後、これ以外の犯罪行為も明らかになってくる可能性があります。

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 ウクライナがこのような犯罪を自国の裁判所で処罰することは当然であり、既に、捕虜となったロシア軍兵士について裁判が行われています。また、本来であれば、ロシアも、自国軍人によるこのような犯罪を処罰しなければなりません。
 戦争犯罪の処罰に当たっては、これが公正に行われることが重要です。特に、被疑者・被告人の権利は、十分に尊重される必要があります。
上述の第一追加議定書75条は、武力紛争に関連する犯罪についての公正な裁判手続について規定しています。被害国の国民が戦争犯罪者に対して厳しい処罰感情を持つのは当然のことです。しかし、だからこそ、いかなる処罰も公正な手続に則って行われなければならないのです。

3.国際刑事裁判所の役割
 戦争犯罪の処罰には様々な困難が伴います。多くの場合には、戦争で疲弊した国には裁判を行う能力がありません。仮に行おうとしても、政治的な理由で公正な裁判が行い得ない場合もあるでしょう。

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このような場合に備えて、1998年に、ローマ規程という条約に基づく国際刑事裁判所、通称ICC、が設立されました。現在の締約国は、日本を含む123カ国です。
 ICCが対象とする犯罪は、戦争犯罪のほか、人道に対する犯罪、ジェノサイド罪、及び侵略犯罪です。なお、人道に対する犯罪とは、広範又は組織的に行われた文民の殺害などの犯罪です。これらは、いずれも、国内法上の犯罪であるか否かを問わず、国際法上の犯罪です。ICCは、締約国で行われた、あるいは、締約国国民が行ったこれらの犯罪について、関係国が捜査・訴追を行わない場合に、裁判を行います。ICCは、特に、これらの犯罪について指導的な役割を果たした軍司令官や組織の指導者を対象としています。

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 ロシアもウクライナもICCに入っていませんが、ウクライナはICCの管轄権を受諾していますので、今回、ICCは、ウクライナ当局と協力して戦争犯罪や人道に対する犯罪などの捜査を行っています。何らかの理由でウクライナが処罰できないようなロシア側の戦争犯罪の指導者については、今後、ICCが訴追を行う可能性があります。しかし、指揮系統などについての証拠はロシア側にあると考えられますので、捜査は容易ではありません。更に、仮に責任ある指導者に対して逮捕状を発しても、ロシアは締約国ではありませんので、引渡しを行う義務はなく、容疑者の身柄の確保は現時点ではむずかしいでしょう。

4.戦争犯罪の根絶のために国際社会ができること
 戦争犯罪や人道に対する犯罪は、国際社会共通の正義に反する犯罪です。また、これらの犯罪には、国家が加担することが多く、国内においては処罰が困難である場合があります。特に、犯罪の指導者の処罰には、すでに述べたような様々な困難があります。
 現在の国際社会においては、依然として、紛争下の悲惨な人道被害が後を絶ちません。

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今回のロシアによるウクライナ侵略に伴う戦争犯罪は、国際社会に大きな衝撃を与えました。特に衝撃的であったのは、本来国際の平和と安全を守るべき立場にある安保理常任理事国が侵略を行い、かつ、国際人道法について十分な訓練を受けているべきその正規軍がこのような犯罪を行ったことです。このような事態を放置すれば、国際社会がこれまで積み上げてきた努力を無にすることにもなりかねません。
 戦争犯罪の処罰の目的は、正義を実現し、将来の犯罪を予防することです。しかし、捜査と裁判、特に、指導者の処罰には大変な努力と時間が必要であり、国際社会全体の粘り強いサポートが必要です。直接的には、証拠の収集や犯人の身柄の確保への協力、間接的には、被害者への支援を含む資金的支援があるでしょう。ウクライナ以外で行われている人道犯罪に目を向けることや、戦争犯罪の公正な裁判が行われることを国際社会が見守ることも重要です。また、戦争をなくし、文民の被害を減らすためには、裁判のみならず、様々な政治的努力も必要となってきます。
 近代国際社会を構成するのは国家であり、国家が圧倒的に大きな発言力を有しています。
しかし、国家の政策を決めるのは国民です。この意味で、国民一人一人の意思も問われています。
 

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