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石井菜穂子「グローバル・コモンズ 地球環境を守る責任」

東京大学教授 石井 菜穂子

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私たちホモ・サピエンスは、誕生してから20万年、いくたびかの氷河期を生き延びてきましたが、12,000年前に気候が温暖なところで安定し、農耕ができるようになってはじめて、文明を築くことができました。人類文明は、安定的な地球環境の賜物なのです。

18世紀に産業革命が始まり、特に20世紀の半ば以降、人間の経済活動は、目覚ましい発展をとげました。しかしその急拡大は、地球環境に大きな負荷を与えてきました。

地球温暖化や、世界各地での生態系の攪乱は、その表れです。
それまでは、人間は小さい存在で、地球は無限に大きい、だから何をやっても大丈夫だ、と思われていました。しかし今、その前提は崩れ、人間の経済活動が、安定的な地球環境を壊しつつあります。
地質学者は、新たな地質時代「人新世」に入ったと考えています。
地球は、生物と非生物による複雑な循環や相互作用によって成り立っている、一つの大きなシステムです。

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2009年、地球科学者のグループが、この地球システムの安定性に最も重要な働きをしている九つのドメインを特定し、「人類が安全に活動できる範囲」を推定しました。
これは「プラネタリー・バウンダリー」と呼ばれ、「安全に活動できる範囲」を示す緑の部分と、不可逆的な転換点に至る可能性のある黄色、そして取返しがつかない赤の3つの領域からできています。私たちは、すでに多くの項目で、「安全に活動できる範囲」を超えています。特に、地球システムの安定性の観点から、その重要性において、気候システムと双璧を成す、生物多様性は、大きな危機にあります。

このまま方向転換がされなければ、地球システムの安定は一層損なわれ、灼熱地獄や海面上昇、数知れない生物の絶滅、そして食料調達の困難、といったスパイラルを、止めることができなくなります。
貧しい国や地域には、より大きな負担がかかります。この動きに歯止めをかけるには、経済社会のシステムを転換し、私たちが地球の容量の枠内で暮らす必要があります。
この方向転換のための猶予はあと10年、事態はそれほど切迫しています。

科学からのメッセージが、これほど明白になっているにもかかわらず、温暖化や生物多様性の喪失には、歯止めがかかりません。人類は自らの手で、繫栄の礎である安定的な地球環境―人類共有の資産として「グローバル・コモンズ」と呼びましょうーを壊しつつあります。
「コモンズ」はもともと、地域で共有する資産、たとえば、森林、牧草地、水源、漁場を指し、コミュニティーには、魚の乱獲や過度の森林伐採をいましめるルールがありました。
コミュニティーの構成員は、自分がルールを守らなかったら、コミュニティーにどう跳ね返るかを理解しており、皆で共有資産を守ることの重要性を認識していました。その根底には、コミュニティーへの帰属意識がありました。しかし経済がグローバル化し、自らの行為の結果が見えにくくなると、ルールに則った節度ある対応は失われます。その結果が、「経済活動には限界がない」という前提で出来上がった、現在の経済システムです。
今、私たちは、グローバル・コモンズを守る仕組みを、グローバルな経済社会のなかで、作る必要があります。
これは、我々が慣れ親しんだ経済システムの前提をひっくり返そうという話なので、容易ではありません。しかしそれに失敗すれば、私たちだけでなく、次の世代の暮らしや命さえも危険にさらすことになってしまいます。

そうしたシステム転換をどう起こすのか?
ここでは、食料システムをとりあげましょう。食料システムは、実は地球環境の悪化の大きな原因になっています。特に農業は、温室効果ガス排出の3割、淡水利用の7割を占め、熱帯雨林の伐採などによる生物多様性喪失、化学肥料の過剰使用による海洋汚染の原因にもなっています。また、人間の健康という観点からも、8億人が飢えに苦しんでいるいっぽうで、20億人が肥満になっています。
さらに、生産された食料の3割は食べられずに捨てられています。
これも、食料システムが「壊れている」と表現される理由となっています。

日本の食卓について考えてみましょう。
日本は、カロリーベースで食料の6割超を輸入に頼っており、私たちは、日々海外からの輸入品で作られるメニューを食べています。
その輸入品の出所(でどころ)を辿っていくと、生産過程で、環境に大きな負荷をかけていることがわかるのです。

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東京大学グローバル・コモンズ・センターでは、国内生産による環境負荷に加えて、輸入品の消費による、環境負荷を可視化する取り組みを行っています。こちらに示しているのは、日本とインドネシアの比較です。日本の場合、国内生産による負荷はそれなりの成績ですが、輸入品の消費による負荷については、非常に成績が悪い。
一方で、インドネシアは国内生産における負荷が大きく、輸入品の消費による負荷は小さい。日本が消費のために輸入する食料や原料が、生産国であるインドネシアの、気候システム、生物多様性、土地、水に悪影響を与えている構図が見えてきます。
この問題は、日本に限ったことではありません。
視点を、生産から消費に移すと、環境先進国と言われるヨーロッパ諸国も、輸入を通じて大きな環境負荷を海外で生み出していることがわかります。

安定的な地球システム、すなわち「グローバル・コモンズ」を守るために、豊かな国が、国際的に果たすべき責任の大きさが見えてくるのです。

では食料システムをどのように変えていけば良いのでしょうか。国連の食料システム・サミットでは、再生可能な農業が、おおいに注目されました。森林を壊して農地に転ずることを止め、過度の化学肥料や農薬に頼らず、本来の土壌の豊かさを活かした農業が提唱されています。

私自身が「ゲームチェンジャー」と考えるのは、「自然資本」をいかに適切に価値づけし、経済取引に取り込んでいくかです。自然は、食料生産の大前提ですが、従来の経済システムでは、まさに環境の一部として、ただで無限に使っていいものでした。ここから、経済システムと地球の限界の「衝突」が起こったわけです。しかし、自然が有限であることが、ようやく理解されるようになった今、その貴重で希少な自然の価値を評価し、それを損なう行為を「コスト」と認識することで、市場経済と自然の矛盾を緩和することができます。
また、食の生産・流通の過程で生じる環境負荷を「見える化」し、その情報を消費者に伝達することで、消費者の行動変容を後押しすることも重要です。
デジタル化がこれをいかに促進できるかという点にも期待をしています。

ウクライナ情勢がさらけ出した、国際協力の機能不全と相互不信が渦巻くなかで、経済システム転換を進めること、グローバル・コモンズを守ろうとすることは、大変に困難なことです。しかしこうした危機にあっても、私たちには、人類の叡智を振り絞り、国際協力を強化して、一国や一企業では果しえない、グローバル・コモンズを守る責任があります。

コロナ禍からの回復は、過去への回帰ではなく、持続可能なシステムへの転換であるべきです。それは、自然資本の価値づけや循環型経済の推進などを通じ、人類が壊しつつある地球環境の回復、すなわちグリーン・リカバリーを進めることに他ならないと考えます。

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