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ウクライナ マリウポリの壁画と共に

アーティスト ミヤザキケンスケ

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 今年2月にロシア連邦がウクライナに軍事侵攻を開始して以来、現在も両国による軍事衝突が続いています。中でもウクライナ東部に位置する都市、マリウポリでは多くの犠牲者が出ています。

今から5年前の2017年7月、私はこのマリウポリで壁画制作を行っていました。
国連難民高等弁務官事務所の招待で、当時多くの国内避難民を受け入れていたマリウポリで「平和と共存」をテーマに、ロシア派との軍事境界線に近い、学校の壁に壁画を制作することになりました。
 
壁画の題材を決めるにあたり、私はウクライナの絵本「てぶくろ」を思いつきました。幼少の頃読んだ絵本で「平和と共存」を表現するのにピッタリだと思ったからです。

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おじいさんが雪の森の中に、手袋を片方落とし、くいしんぼうねずみがその手袋を見つけ、その中で暮らします。そこに、ぴょんぴょんがえるや、はやあしうさぎ、おしゃれぎつね、きばもちいのしし達が次々とやってきて、くいしんぼうねずみの仲間になり、手袋に動物たちが集うという物語です。
手袋の中で場所を分けあいながら暖をとる姿が微笑ましく、大好きなお話です。
私はこの手袋の中にウクライナや世界中の人々の姿を一緒に描き、共存していくことの大切さを描きたいと思いました。そしてその手袋の上にはウクライナ発祥のイースターエッグを描き、そのたまごは人々の優しいぬくもりで孵化して、希望の鳥が巣立っていくというストーリーを考えました。

「人々が譲り合い、共存しようという思いはいつしか希望の卵を孵化させその希望は私たちに幸せを運んでくれる」
そんなメッセージを込めました。

壁画制作には3週間を要しました。現地では満足な設備が揃わず、木材屋へ行き、足場を作るところからはじめました。子供たちのために日本から持ち込んだ画材でワークショップを行い、壁画制作を手伝ってもらいました。

【VTR:Over the Wall 2017ウクライナプロジェクト映像】
最初は怪訝そうに見ていた大人たちも壁画が進むにつれて興味を持ってくれるようになり、みんなで協力して制作している姿は現地で話題になり、壁画制作を進めるにつれて多くの人が壁画を見に訪れるようになりました。
壁画近くに住んでいる子供たちは毎日のように壁画の前に集まり、作業を手伝ってくれていました。言葉が通じない中でも絵を描くことで心を通わせ、信頼関係が構築されることを実感できました。手袋の中には様々な人種の人々と共に、連日壁画を見に来てくれていた子供たちの姿が描かれています。

彼らはいま、どうしているでしょうか?

1か月ほど前にマリウポリを脱出する直前に撮ったという壁画の写真を、現地で知り合った友人が送ってくれました。

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その写真を見ると壁画は砲撃で大きな穴が空き、爆風で色が変色していました。壁画を描いた当初、「この絵を見て兵士が武器を置いてくれたらいいね」という話をしていましたが、現実は甘くはありませんでした。そこで学んでいた子供たち、そこで暮らしていた人々は今どうしているでしょうか?

私は世界の人々と一緒に壁画を制作するOver the Wallという活動を行ってきました。ウクライナの活動もその一環ですが、きっかけとなったのは2011年の東日本大震災でした。
日本中が未曾有の災害で大混乱に陥った時、「絵描きとして自分に何が出来るのか」を真剣に考えました。しかし生活に必要不可欠ではない絵は無力に思えました。
最初は物資を運ぶボランティアをしながら避難所をまわっていたのですが、そのうちに避難所にいる子供達のために、絵画教室を開くようになりました。

そんなある時、大船渡の理容室の店主から、津波で流されてしまった街で営業を再開させるために看板を描いて欲しいという依頼を受けました。
津波が襲った大船渡の街は色を失っていました。仮設のプレハブを建てて営業を再開したものの、誰もそこで営業していることに気づかず、人目につく看板が必要だと感じたのです。

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私は近所の人やボランティアの方々と協力してお店の外壁を全面カラフルにペイントしました。険しい表情で瓦礫を処理していたボランティアの人たちにも笑顔が戻り。家を失い、店を失った人たちも、街に明かりがともったようだと喜んでくれました。
灰色一色だった大船渡の街にあらわれたこのカラフルな店舗は、復興の象徴のような存在となり、多くの人達の交流の場になっていきました。

この経験から私は絵には人と人をつなぎ、人の心を前向きにする力があると気づきました。それから世界中の困難に直面する人たちのために絵を描きたいと考えるようになりました。

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アフリカ・ケニアでは100万人が住むと言われるキベラスラムで、現地の人たちと学校に壁画を制作しました。彼らと生活を共にしながら作り出した壁画は地域の人々に愛され、いまも現地の人々と深い絆でつながっています。

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東ティモールでは独立間もないこの国のために、国の起源とされる「少年とワニ」を題材に壁画を描きました。独立戦争のために多くの犠牲者を出したこの国で、未来を担う子供たちと国のシンボルとなる壁画を残すことが出来ました。

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エクアドルでは女性刑務所内に受刑者たちと壁画を描きました。この刑務所は受刑者の子供たちも一緒に暮らす保育施設があり、壁の外に出ることなく育つ子供たちに受刑者の母親達が花を一輪ずつ描き、大きな壁画を完成させました。

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ハイチでは国境なき医師団と協力して、シテソレイユの病院に壁画を描きました。患者や医療従事者たち、様々な立場の人々と一緒に絵を描きました。事故で右手を失いふさぎ込んでいた子供が、左手で一生懸命絵を描いている姿を見て、アートには医療では治せない心の治癒ができると感じました。

言葉が違っても、文化が違っても、環境が違っても、みんな並んで壁画を描いていくうちに一体感が生まれていきます。完成した時はともに喜べる仲間になっています。Over the Wallの活動を通して、人と人は協力することで絆を深めることが出来ると気がつきました。世界から争いを無くすためには、「人類の未来のために協働する意識」が必要だと思います。

戦争は人々の生活を破壊します。マリウポリで「平和の象徴」として描いた絵は、平和と真逆の方法で破壊されてしまいました。当初は無力感を感じ、自分が行ったことに意味がなかったのではないかと感じました。
しかしマリウポリで知り合った人々がSNSで「またいつか壁画を描きに来て欲しい」という投稿をしてくれているのを見て、私が残したのは壁画だけでなく、人と人のつながりだと気づかされました。

私はマリウポリでお世話になった方を日本で難民として受け入れることにしました。彼らをサポートしながら、いつかマリウポリで一緒に壁画を描くための準備をしようと思っています。壊されたら何度でも描きにいく、それが私なりの「世界に平和を訴える」方法だと思っています。

いつかマリウポリに色鮮やかな壁画を現地の人々と残せる日が来ることを心から願っています。

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