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復帰50年 沖縄の自立は

沖縄国際大学 教授 前泊 博盛

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沖縄は今年5月15日に、復帰50年の節目を迎えました。復帰から50年。復帰で沖縄の何が変わり、何が変わらなかったのか。整理してみましょう。

■沖縄の「復帰」とは施政権の日本移管
 「復帰」とは、「もとの場所、地位、状況などに戻る」と辞書に書かれています。戦後、沖縄も含めて日本は連合国、事実上はアメリカの占領下におかれました。
1952年4月28日に発効したサンフランシスコ講和条約によって、日本は連合国による占領に終止符を打ち、主権を回復しました。

ところが、講和発効のこの日に、沖縄は日本から施政権を切り離され、事実上のアメリカ軍による統治下におかれました。本土決戦のための「捨て石作戦」と呼ばれる沖縄戦で多大な犠牲を強いられた沖縄ですが、戦後も日米安保体制維持のため在日アメリカ軍基地の多くを背負わされました。

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沖縄がアメリカ統治におかれた背景には、昭和天皇がマッカーサー宛に出した「天皇メッセージ」があります。
「沖縄は日本に潜在的主権を残した上で25年ないし50年以上、アメリカの統治下においた方が日本とアメリカのためになる」とのメッセージです。このメッセージは沖縄住民に大きな波紋を広げました。
日本やアメリカにとって沖縄は、いざという時には「人身御供」に供される「エクスペンタブル」な存在、「消耗品、代替品」に過ぎないと、アメリカの歴史学者G・Hカーは指摘しています。

■「復帰」を必要とした米兵犯罪と基地・演習被害の増加
VTR(銃剣とブルドーザー)
 日本国憲法の外に置かれた沖縄では、アメリカ軍の「銃剣とブルドーザー」による土地の強制接収に拍車がかかりました。その結果、現在につながる極東最大級のアメリカ軍基地が建設されました。
 アメリカ統治下の沖縄では、地方自治や財産権、生存権など憲法が定める基本的人権が無視され、蹂躙されました。そんなアメリカ統治の横暴に対し、沖縄住民が救いを求めたのは「祖国復帰運動」でした。
 「祖国日本に帰ろう」。これが復帰運動の始まりです。その時、議論になったのが「日本は祖国か」との問いでした。もともと沖縄は琉球王国という一つの国でした。それが1609年の薩摩の琉球侵攻、さらに1872年に始まる明治政府の琉球処分によって、琉球王国は日本に強制的に「併合」されたとの指摘です。
その言葉も踏まえ、その後は「本土復帰」「日本復帰」という言葉で表現されるようになりました。

■「復帰」に託した沖縄の願い
 沖縄が本土復帰に託した願いは何だったでしょうか。
当時の新聞紙面には「平和憲法の庇護の下へ」という米軍犯罪や演習被害からの脱却を、復帰に託したことがわかります。復帰が決まると、今度は「核抜き・本土並み」が沖縄返還運動のスローガンになります。
その後の調査で、当時の沖縄には1200発の核兵器が配備されていました。
「非核三原則」を国是とする日本に復帰する沖縄にとって、本土並みに核のない沖縄を目指し、配備されているメースBなど核兵器の撤去がスローガンになりました。
もう一つのスローガンが、沖縄に集中するアメリカ軍基地の過重負担の「本土並み」の軽減でした。
核抜き、本土並みの実現。そして最終的には「基地のない平和な沖縄」が、復帰後の沖縄のあるべき姿として日本政府に要請されました。

■復帰による「本土並み」の変化
 1972年5月15日の本土復帰によって、沖縄は「琉球政府」から「沖縄県」に変わりました。

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沖縄県には日本国憲法が適用され、米軍基地は貸借契約によって日本政府が地代を補償するようになり、基地従業員も日本政府が雇用契約を結び、米国に派遣する形となりました。地上戦で焼失した戸籍や所有者不明だった地籍の明確化なども加速されました。
 憲法と同時に、沖縄には日米安保条約と日米地位協定が適用されました。「基地のない平和な沖縄」の願いとは裏腹に、自衛隊法も適用され、復帰と同時に沖縄にも自衛隊が配備されました。「本土並み」の中には、自衛隊の本土並み配備も含まれていました。今に続く自衛隊配備問題は、復帰と同時に始まっています。

■復帰後も変わらない基地負担
 「本土並み」の基地負担軽減は、復帰後50年を経た現在も実現していません。在日アメリが軍の専用施設は国土面積の0.6%に過ぎない沖縄に70%が集中しています。沖縄に過重負担を強いる状況を「構造的差別」と呼ぶ人もいます。
基地の過重負担は犯罪被害の集中も招いています。復帰後50年間に沖縄で起きたアメリカ兵の犯罪件数は6千件を超えています。そのうち殺人、強盗、性的暴行、放火などの凶悪事件が580件と一割近くを占めています。
アメリカ軍の爆音被害は、むしろ激しさを増し、救済を求める嘉手納や普天間基地周辺では爆音訴訟が何度も繰り返されています。

■未達成の「自立経済」の背景に「ザル経済」の実態
政府の沖縄振興開発計画は「本土との格差是正」「沖縄の自立的経済発展の基礎条件の整備」を二本柱としました。計画は10年を一区切りに4度延長され、第五次計画となる「沖縄21世紀ビジョン計画」まで続いてきました。しかし、残念ながら、目標とする格差是正、自立経済の達成には至っていません。

復帰後50年を経てなお、全国最低の賃金水準、低貯蓄、高物価の東京を下回る全国最低の持家率、全国の倍の30%を超える「子供の貧困率」、非正規雇用率も43%と高水準で推移しています。復帰時に政府が目標に掲げた沖縄の「自立経済」には程遠い現状が続いています。

復帰後50年間に政府が投じた沖縄予算は13兆5000億円に上ります。その間に投じられた公共事業などを検証すると、政府発注の公共工事のうち半分近い46.3%が県外企業に発注され「地元歩留まり率」の低さが浮き彫りになりました。沖縄振興に投じられた資金が本土に還流する「ザル経済」「漏れバケツ現象」と呼ばれる状況です。

■次の50年の展望 新10K経済へ
復帰から50年を経て、いま沖縄県は新たな振興計画を策定しています。50年間の沖縄振興の成果を活かし、課題を克服し、民間主導でアジア太平洋地域の発展に寄与する「万国津梁」の拠点を目指す戦略です。
最大の成果は、米軍基地返還後跡利用です。
那覇新都心や北谷町の美浜地区、那覇市小禄の金城地区など、米軍基地返還後の跡利用で返還前に比べ10倍から100倍もの経済波及効果を上げています。雇用効果も29倍から93倍まで急増しました。新規雇用効果は2万3千人を超えています。今後も返還が合意された普天間飛行場など5基地の返還で、実現が見込まれる直接経済効果は8900億円。誘発される雇用効果は8万人超と推計されています。4兆5千億円の県民総所得が1兆円も増える計算です。

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基地・観光・公共事業偏重の3K依存経済から、基地返還跡利用、環境保全型公共事業、医療ツーリズムなど新観光ビジネスへの転換に加え、健康、環境、金融、交通、教育、研究、交易など「新10K経済」と呼ばれる新たな発展分野が注目されています。
少子高齢化の中で、全国が人口減少を迎える中、沖縄は首都圏を超える人口増加率、地価上昇など、時代を担うホットスポットとして外国企業からも注目されています。
癒しの島、国際観光の島、そして日本経済の発展に貢献する交流拠点として、沖縄は注目されています。

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