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ロシア・ウクライナ"戦争"の悲劇を見て思うこと

歌手 加藤 登紀子

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ロシアがウクライナに侵攻してから3カ月近くたちました。
長い3カ月だった。5月8日はドイツが第二次大戦に降伏した日、ソ連で戦勝パレードが5月9日。終わるころだとおもっていた。

ショックだったのはその直後に、バイデンさんが武器貸与法にあらためて署名した記事をよみました。
このままいくと、ベトナム戦争、アフガニスタンの時のようにアメリカとロシアの対立、代理戦争が持続していきそうでとても心配です。
若いひとたち、とてもおおきな衝撃でこの戦争をみまもっていると思う今の歴史の中で戦争が起こっていることを考えていただきたい。
ひとつ大事な歴史は、ロシアとウクライナは1000年以上の長い歴史の中にありますが、その歴史の中では計り知れないつながりだと思いますが、一番近い歴史としては1989年のベルリンの壁崩壊という出来事です。
これは鉄のカーテンという東西対立で言うと、これで平和が来ると私たちはとても期待した。

そしてそのベルリンの壁崩壊のきっかけを作ったのはソ連におけるグラスノスチ。
情報公開をして、表現の自由を取り戻して、それぞれの共和国の自立した権利を認めようということに踏み切ったということです。
そしてソ連は崩壊し、ロシアになる。
ワルシャワ条約機構という軍事同盟はそのまま崩壊していくことになりました。

最近になってはっと気がついたのは、そのときの対立軸としてあったNATOというものは解散することはなかったんですね。今もNATOはロシアを包囲するような形で、ワルシャワ条約機構に入っていた国々たちもNATOに参加していくという形で存在しています。今回の紛争のきっかけがここにあったのではないかと思えてなりません。 

百万本のバラという歌は、ソ連が80年代、それぞれの共和国にわかれていく、歴史の過程の中で、自由な表現と平和というものを願って歌われてきた曲だと思うんですね。もともと、ラトビアというバルト三国で、子守歌として生まれたものを、ボズネセンスキーという詩人が、ジョージアのニコ・ピロスマニという画家の物語として翻訳しました。
このボズネセンスキーというひとは、大変、反体制的な詩人として改革政策を推し進めてきた人でしたので、ボズネセンスキーが書いた詩がロックシンガーによって歌われるということが、当時のソ連では大事件だったと思います。

これが新しいソ連の始まりなんだということが、劇的にわかる曲が百万本のバラだった。
だからこの歌が広いソ連の中で、一気にヒットソングになった意味の中に、このソ連がロシアに変わっていく時代のうねりを表現していたと思うんです。
各地でこの歌が愛された、いま残念ながら戦争が起こっているが、大きな国だけど、それぞれの国に自由と独立した権利があっていい。
どんなに大変でもその夢を失うことを止めようね、表現し続けようねと言った百万本のバラは、この国たちを今も、まだ花束で結びあっているような気がしています。

私が産まれたのは1943年。満州、今の中国東北部のハルビンという街だったんですね。そこには、ウクライナ、ロシア、いろいろなところから亡命してきた人たちなどがいる街で私たちは育ったんですけども、戦争が終わった時にはソ連の参戦があって、2歳8カ月で引き揚げるまでは、難民生活をおくっていたわけなんです。

でもその中でうちの母がいつも言っていたのは、
「登紀子。人はね、どんな時もあなたと私という関係で向き合っていけばいいのよ。たとえ、戦争をしている関係であっても、ひとりとひとりの関係になったときには、ひとはみんな普通のひとになれる。国は関係なくなるのよ」
この言葉は、母からもらった宝物だと思っている。

私は歌をうたっていく一人として、あらゆる国境が、愛でつなぐものである。
そういう可能性を持ったものだと思って、これまでも歌ってきましたし、日本は幸い、表現の自由がありますし、平和憲法も持っています。
世界に胸を張って日本は戦争しない国なのよと言って歩きたいですし、それによって、世界をもっと平和にもっていけるように、歌い続けたいなと思います。

きょうは最後に私の新しい歌を聞いていただきたいと思うんですけれども、ウクライナを支援するためにつくったCDの中の一曲です。
「声をあげて泣いていいですか」。

(♪~ 加藤登紀子さん 弾き語り)

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