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科学の未来を担う若者たちへ

東京工業大学栄誉教授 大隅 良典

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日本の基礎科学の研究力の低下が叫ばれて既に何年も経ちました。今日私は、そろそろ一線を退こうとしている一基礎科学者として、未来を担う若者にメッセージを送りたいと思います。

 現在、ウクライナで日常が突然、無残にも破壊され、生命すら脅かされる映像を見入るにつけ、個人として何ができるか、人間は進歩しているのだろうか、など沢山の思いが頭をよぎってしまいます。私は、戦争のない、平和な戦後の日本を生きてきました。
私が子供の頃は、地球は大きく、可能性は無限に見えました。しかし現在、地球上の1つの生物種である人類の10年、20年、さらには100年後を見据えると、早急に解決を迫られる課題が山積しています。地震、津波、台風などの自然災害、エネルギー問題、食糧危機など地球が1つの限りある星であることを感じます。科学と技術の進歩によって、人間活動は急速に広がり、その結果生じた環境破壊、地球温暖化、医療と生命倫理、さらに核や AIなどにも真剣に向き合う必要があります。
科学は、知的好奇心という人間の本性に根差した活動によって蓄積されてきた人類の知の総体なので、原始時代に巻きもどすことが不可能です。人類に未来があるとすれば、科学の健全な発展と、人々の中に科学的な考え方が広がることにしか解決の道は無いでしょう。

まずお話したいことは、科学と技術の関係です。古典力学の法則、相対性理論、電磁気学の基本法則、生命のいわゆるセントラルドグマの発見などは、まさしく科学の成果であり、今日の社会の発展の基礎を与えたことは言うまでもありません。一方で社会の変化の多くは技術の進歩によってもたらされました。技術は科学の知識を土台として、人工物を創造する活動で、発明と言う言葉で表されます。
 日本では明治時代に西洋科学をヨーロッパから導入し、富国強兵の国策として推進されてきた経緯からか、今日まで、政府の政策の中で「科学技術」という1つの言葉で語られます。確かに今日両者の関係は密になり、その境界は曖昧になりましたが、科学と技術はやはり違う概念だと思うのです。
 日本で学生が家で自分の科学研究の話をするとしばしば受ける質問は、それ何の役に立つの?という質問です。
それは科学研究にはそぐわない問です。科学は、自然の法則性や構造を明らかにする活動ですから、すぐに役に立つとは限りません。私がオートファジーの研究を始めたのも、純粋に細胞の中で起こる、タンパク質の分解の機構に興味を抱いたからで、決してそれが、将来癌や神経変性疾患などの克服につながると確信していたわけではありません。オートファジーの基本的な機構の解明を契機に、今日オートファジー研究は世界中で展開され、そこから沢山の新しい発見がなされ、医療などへの応用研究が展開されます。
では科学の話になると、なぜ、役に立つという質問が出るのでしょうか?役に立つ人になりなさいと言ったり、学生も役に立ちたいので企業で働きたいという声も耳にします。しかし“役に立つとは何か”ということはあまり真剣には議論されていないように思うのです。何か便利なものを作ること、病気を治せる薬を開発すること、企業で利益をあげることでしょうか、実は何が役に立ったかどうかには長い時間をかけた検証が必要です。便利だと思ったら、あとで害があったり、すぐに役に立たなくなる例が沢山あります。
なので、私は科学を役に立つという基準で評価してはいけないと思うのです。純粋に知の広がりを楽しむ余裕のある社会が必要だと思います。そもそも人生は役に立つことだけを追求している訳ではありません。
素晴らしい音楽や絵画に感動したり、文学を楽しんだり、スポーツ競技の美しさに感動するのと同じように、私は科学も文化の1つだと考えて欲しいと思うのです。
 科学は未知のこと誰もまだ知らない世界への挑戦です。科学の発展は突然ある考えが閃いた特殊な人が作る世界といったイメージがあるかもしれませんが、多様な考え方や専門分野が違う研究者がいて、初めて科学は進歩して行くのです。実は研究は偶然から学んだり、失敗の連続なのです。思い描いた通りの答えが得られないことが日常です。うまくいかない結果から次のアイデアが生まれて、それをまた検証をする作業の繰り返しです。思った通りだということは、既に想像できていたことだという意味で、画期的なことではないのかもしれません。
新しい概念の創出はまさしく思いよらないことから生まれます。それを楽しむことが科学者の醍醐味だと思うのです。その楽しみには知りたいという気持ちを持ち続けることが大切です。

私はこの歳まで研究者を続ける幸運に恵まれたわけですが、最近強く思うことは、科学が社会的な存在であり、人間の歴史の中にあるということです。私が学生時代に分子生物学に憧れて研究者を目指したのも、酵母という優れた研究材料に出会ったのも私が生きてきた時代を反映しています。さらに私がまだそれほど興味を持たれていなかった、分解に興味を抱いたのも大きな歴史の中にあると思うのです。人は、分解から興味を持つことはあり得ず、それは合成の研究の後にくる課題だと思うからです。
 確かに私が酵母で始めたオートファジーの研究は想像を遥かに超える人々の興味、関心を呼ぶことになりました。あまり注目されない課題から今や年に1万報の論文が出される領域になってきました。研究は広がり、細分化され、その応用面へと展開されて行きます。新しい研究手法が開発されると、そこから新しい研究が生まれます。科学の進歩は先人の到達点を、次の世代が乗り越えていく終わりのない過程です。その意味で科学の世界に権威は不要です。
若者は先人の築いた知を学ぶ必要がありますが、それは沢山の知識を得るためではなく、そこから何を考えるかが大切です。現在、パソコンの普及により、昔より、はるかに素早く沢山の情報を得ることができるようになりました。何らかの情報を得たことで、知っていると思ってしまい、思考停止をすることが、現代人の恐ろしさだと私は思います。自分の疑問を大事に育て、解くべき問い持ち続けることこそが大切だということを強調したいと思います。
今、社会全体が内向き志向になっているように感じています。その結果今基礎科学を志す若者が減ってきていると感じています。最近、私は財団を立ち上げたこともあって、小中高生と話をする機会がありますが、しばしばどうしたら失敗しないか、失敗した時にどうしたかという質問を受けます。人生1回でも失敗が許されないという思いが大変強くなっているように思います。私は若者が元気でない社会はいずれ衰退すると常々言っています。失敗は発展の原動力ですし、若者の特権です。
今日の話で私から若い世代の皆さんに伝えたいことは
人類の未来は君たちの手にあること、そして
人と違うことを恐れずに自分の人生を切り開く
です。

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