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「ウクライナ軍事侵攻の衝撃」(視点・論点)

防衛研究所 政策研究部長 兵頭 慎治

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 2月24日、ロシア軍がウクライナへの軍事侵攻に踏み切り、国際社会に大きな衝撃を与えています。これは、2014年3月のクリミア併合をはるかに越える「力による現状変更」であり、ウクライナの主権及び領土の一体性を侵害する国際法及び国連憲章への重大な違反行為です。

昨年10月末より、ロシアはウクライナ国境付近に10万人以上の兵力を集結させ、米国や北大西洋条約機構(NATO)に対して、NATOの不拡大、1997年以前の態勢にNATOの軍事力を縮小すること、ロシア国境付近への攻撃兵器の不配備、などを要求しました。ロシアと米国・NATOとの間で交渉が行われましたが、結果的にロシアが満足するような回答が得られず、プーチン大統領は軍事侵攻という最悪のシナリオを決断したのです。

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まず2月21日に、プーチン大統領は、ロシア系住民の多いウクライナ東部の2州の独立を一方的に承認し、翌22日に同地域に対して「平和維持」を名目にロシア軍の派遣を指示しました。そして、24日、東部2州の住民がウクライナ軍から危害を加えられているとして、ウクライナ軍の武装解除を目的とした「特別軍事作戦」を行うと宣言しました。この軍事侵攻によりゼレンスキー政権を打倒した上で、ロシア寄りの政権を樹立し、ウクライナのNATO加盟を阻止する狙いがあるとみられています。

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ロシアによる軍事侵攻は、まずミサイル攻撃などでウクライナの軍事拠点が破壊され、ロシア及びベラルーシ国境の3方向から戦車などの地上兵力が投入されました。戦闘が続くにつれてロシア軍の支配地域は拡大していますが、現時点では首都キエフの軍事掌握には至っていません。他方、ウクライナのゼレンスキー政権は、国民総動員により徹底抗戦の構えを見せており、ウクライナ軍も善戦しています。
米国やNATOは、ウクライナ軍に武器などを支援していますが、自らの兵力を直接投入することは控えています。NATOとロシアが軍事的に直接対峙すれば、核戦争も含めて第三次世界大戦に発展する可能性があるからです。現時点では、ウクライナ領内における局地戦にとどまっていますが、これ以上事態がエスカレートしないことを強く望みます。
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻を受けて、国際社会は国連などを通じて非難の声を強めるとともに、一部のロシアの銀行を国際銀行間通信協会(SWIFT)の決済網から排除する、さらにはロシア中央銀行の国外資産を凍結するなど、強力な経済制裁に乗り出しました。これに対して、27日、プーチン大統領は「核抑止力部隊」に特別態勢を命じるなど、核兵器の使用を示唆するような動きを見せて国際社会をけん制しています。

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3月1日には首都キエフでテレビ塔が破壊されたほか、4日には南東部のザポリージャ原発がロシア軍に制圧されるなど、ロシア軍による軍事行動の対象は非軍事施設に及んでいます。3日に行われた第2回目の停戦交渉では、東部のマリウポリにおいて市民を脱出させる「避難ルート」の設置が合意されましたが、この「避難ルート」で市民が脱出した後、ロシア軍による軍事行動が激化する恐れがあります。そのため、既に130万人以上のウクライナ国民がポーランドなどの国外に避難しています。
昨年末からロシア軍がウクライナ全土に侵攻する軍事態勢は整っていましたが、ロシアにとっては失うものが多く、プーチン大統領がそのような非合理な決断をする可能性は高くないと、私も含めて多くの専門家は考えていました。残念ながら、悪い意味でその予想は外れてしまいました。一般市民への容赦ない攻撃や頻繁な核使用を示唆する発言など、米国ではプーチン大統領が理性を欠いているのではないかという見方が強まっています。今後の情勢を読み解くにあたり、プーチン大統領の意図を合理的に読み解くことが難しくなっています。

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 クリミア併合時には、それまで低下傾向であったプーチン大統領の支持率が9割近くまで上昇しました。対外強硬路線を通じたナショナリズムの鼓舞や国威発揚により、プーチン大統領は自らの政治的求心力を高めてきた経緯があります。但し、今回のウクライナ全土への軍事侵攻に関しては、ロシア国内でも疑問の声が広まっています。既に反戦デモや政府批判の動きが高まっており、政権に近い新興財閥や退役将校などが公然と非難の声を上げています。
ウクライナはロシアの歴史的ルーツであり、同じ東スラブの兄弟民族である両国民が多数犠牲になることを、ロシア国民も受け入れることは難しいでしょう。クリミア併合はほぼ無血でしたが、今回は多数のロシア兵の犠牲やロシア国民の経済生活への影響が予想され、かつてのチェチェン紛争のような厭戦ムードがロシア国内で高まる可能性もあります。
ウクライナ側は、SNSなどを通じてロシア軍による攻撃の様子を生々しく世界に発信し、その情報がロシア国内にも流入しつつあります。そこで、プーチン大統領は、SNSやネットの規制に加えて、4日には、ロシア軍の活動について誤った情報を拡散した場合に罰則を科す法律に署名しました。これにより、欧米のメディアがロシア国内での取材や報道を停止する動きもみられています。
今回の軍事侵攻により、ロシアは国際社会で孤立し、国連などで強い非難を受けるとともに、厳しい経済制裁に直面しています。見通し得る将来において、ロシアが欧米諸国との間で、政治的、経済的な信頼関係を取り戻すことは難しく、むしろ両者の対立はさらに深まっていくことが予想されます。日本企業も参加するサハリンの石油・天然ガス開発事業から欧米企業が撤退を表明しました。今後、世界とロシアとの間の経済関係も大きく縮小していくこととなり、石油価格の高騰などの余波は既に日本にも及びつつあります。
欧米諸国との関係が悪化すれば、ロシアは中国に接近する傾向があり、反米という観点から中露の戦略的な連携も強まるでしょう。最近では、中露は日本周辺で共同した軍事行動をとるようになっており、ロシア軍の動きも活発化しています。今回のウクライナ侵攻は国際秩序の根幹を揺るがすものであり、中国を含めた東アジア地域への否定的な影響も懸念され、決して「対岸の火事」ではありません。
国際社会で孤立するロシアに、日本がどう向き合うのかという点も深刻です。2014年のクリミア併合時は、北方領土問題を抱える日本の経済制裁は欧米諸国より緩やかなものでした。今回日本は厳しい制裁に乗り出すことから、日ロ間の平和条約締結交渉も停滞することは避けられません。本年中に改訂が予定されている我が国の「国家安全保障戦略」においても、対露認識に根本的な修正が求められることになるでしょう。
 停戦協議は続いていますが、両者の主張に隔たりが大きく、プーチン大統領も強気の姿勢を崩していません。
当面、戦闘が続いていくと思われますが、停戦協議を通じて一刻も早く事態が改善され、戦火が収まることを心から願いたいと思います。                         

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