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「高校生裁判員時代の法教育」(視点・論点)

弁護士 今井 秀智 

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いよいよ今年4月から、成人年齢が18歳に引き下げられます。選挙権が18歳以上となったのは2016年でしたが、裁判員となる年齢は据え置かれていました。しかし改正少年法が、今年4月から施行されることに伴い、裁判員に選ばれる年齢も、20歳以上から18歳以上に引き下げられることになりました。候補者名簿の整備を経て、実際に運用が始まるのは2023年、令和5年からです。
高校三年生が裁判員となる可能性もでてきました。

高校生が裁判員になることの意義と問題点

18歳以上が裁判員の対象になることについて、不安を示す方々がいます。
たとえば、20歳を超えたばかりで殺人事件の裁判員を務めた人は、「社会経験のない自分が、人の一生を左右する裁判に加わっていいのか。」と、責任の重さを痛感したと語っています。また、「裁かれる被告人も、きちんと判断してもらえるのか不安になるのではないか。」、という人もいます。

ところで、「選挙権」も「裁判員」も、民主国家における主権の行使、という意味では同じですが、「何万票中の一票を担う選挙権と、6人の市民のうちの1人になる裁判員とはぜんぜん重みが違う。」と言われるように、主権行使の仕方がまったく異なります。
選挙権は、国会議員や地方議会の議員、あるいは首長を選ぶものです。そして選挙で選ばれた議員が法律や条例を作って、それに基づいて権力を行使します。つまり選挙権は、いわば間接的な主権の行使といえます。
これに対し、裁判員は、司法権という権力を直接担います。有罪にするのか、あるいは死刑にするのか、という判断において、裁判官とあわせて9名のなかの1票を担います。まさに直接的に主権を行使するものなので、ここに大きな違いがあります。
そのため、世界各国では、選挙権と、裁判に参加する下限年齢は、必ずしも一致していません。

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たとえばロシアやイタリアでは、選挙権は18歳以上ですが、裁判に参加するのは25歳以上とされています。
わが国でも、選挙権は20歳から18歳に引き下げられましたが、被選挙権は25歳のままです。したがって、民法や少年法を改正して、成人年齢を18歳にしたからといって、裁判員もこれに統一する必要はないともいえます。
それぞれの制度の趣旨と民主制の在り方について、今後とも十分な議論をすべきであり、それを怠ってはいけないと思います。

とはいえ、制度は動き出しました。来年からは現実に、18歳の裁判員が生まれます。
世の中で起こるさまざまな事件は、社会の問題を映し出すものであり、多様性の観点からも、若者の感覚が裁判に反映されることが望ましい、という声も多く、私自身も、裁判員の年齢引き下げ自体に、反対するものではありません。
しかし、ただ引き下げればいい、というものでもありません。

問題は、いかにして、高校生に裁判員が務まるだけの十分な資質や能力を授けていくか、ということです。
ここに、高校はもちろん、小・中学校の時代から、法やルールについて学ぶ「法教育」を、これまで以上に充実させる必要性がある、といえます。

法教育が果たす役割

法教育とは、「法律専門家ではない一般の人々が、法や司法制度、これらの基礎になっている価値を理解し、法的なものの考え方を身につけるための教育」と定義されています。
六法全書の条文を覚えるような「法律教育」でも、裁判の仕組みを学ぶ「制度教育」でもありません。
法やルールについての考え方を身につけ、主体的かつ積極的に社会に参加する「市民」を育てる教育です。いわば、主権者教育の基礎をなすもの、といえるでしょう。

法教育の現状

法教育の充実を図った学習指導要領が平成23年度から施行されて以来、これまで法教育は、教員と法律家の連携の下で、学校現場において広がりを見せてきました。しかし10年を経過した今、すべての学校において十分に実施されているか、と聞かれれば、必ずしも十分とは言い切れません。
私の感触としては、むしろ近年、広がりがやや停滞しているように思います。
その要因として考えられるものは、法教育の範囲が広くて曖昧で、何を教えていいのかが掴み切れていない、という現状や、教育現場がいわゆる「○○教育」ばかりで教員が極めて忙しいこと、外部から授業者を派遣してもらうにしても、その財政的基盤はもちろん、派遣元の人材が足りていないなど、さまざまです。

しかし私は、根本に、これまでの授業と法教育授業との決定的な違いについての、教員間、あるいは生徒間での相互了解がない、ということが一番の要因だと考えています。
日本の教育は、高校までは、先生が正解を握っていて、児童・生徒がそれにいち早く到達することを目指す、いわば「正解発見型」の教育です。
これに対し、法教育は、正解を見つける教育ではありません。自ら考えて、他人と話し合いながら結論を出し、それに皆が従う。そのプロセスそのものに価値を見出す法教育、とのギャップに、現場が追いつけてない、という感想を持っています。

模擬裁判の授業の後、「本当の裁判ではどうなりますか。」と聞いてくる生徒がいます。時には教員がそのような質問をしてきます。まさに正解は何か、という呪縛に囚われています。そうです。法教育として行う模擬裁判は、みんなで真剣に話し合って出した判決が、答えなのです。

高校生裁判員時代にいかなる法教育が必要か

では、高校生向けに行う法教育の授業は、どのようなものが必要でしょうか。

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私が代表を務める一般社団法人リーガルパークでは、大学生や法科大学院生を引き連れて出張授業を行っていますが、2016年に選挙権が18歳に引き下げられてからは、模擬投票の授業の要望が格段に増えました。主権者教育の一環として、リアルに選挙を体感してもらうこの授業は、高校生の関心を高めるものとして、とても有意義なものとなっています。

そこで、高校生に、裁判員としての資質と能力を授けるには、同じような体験、すなわち「模擬裁判」がベストか、というと、必ずしもそうとは言えません。
もちろん、裁判の流れを知るという意味ではよい機会ですが、裁判官や検察官、弁護士になるための教育ではありませんので、役割を作り込み、演じさせるような模擬裁判では意味がありません。

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事実は証拠に基づいて認定する。その事実を「法」という物差しに当てはめ、合理的で常識的な結論を導き出す。こういった法的思考をしっかり身に付けさせる授業こそが必要と考えます。

法教育は、まさに日本国憲法が最大の価値とする、憲法第13条の個人の尊厳に基づく「価値相対主義」教育です。多種多様な考え方のなかから、議論を通じてよりよい価値を選択し、社会を自律的に動かしていくための「力」を養う教育です。
同じ土俵で、共通のルールに従って話し合い、他人の意見を自分の意見と同じものとして尊重すること。あらゆる科目において、こういった授業を、繰り返し繰り返し行うことこそが、求められているものと思います。

制度をしっかり動かしていくために必要なこと

最後に、高校生裁判員時代を迎えるにあたって留意すべきことは、法教育を通じて、高校生に対し大人に近づくことを求めるのではなく、逆に、裁判官を含め、裁判員として参加する私たち大人が、高校生の意見を、純粋で貴重な若者の意見として尊重する、という、その土壌を作ることが大切です。
裁判員としての参加の機会を与えるだけで、「何もわからない子供なのだから、大人の意見に従いなさい。」というような姿勢で臨むならば、高校生裁判員を傍観者にするだけであり、制度は崩壊します。
評議の場面において、大人こそが、まだ経験の浅い高校生に対し、社会の仕組みや、制度、ものの考え方をしっかりと教え導き、高校生が、自らの判断として、責任ある意見を表明する場にできるか否かにかかっているものと思います。

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