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「人間が幸福になる経済を求めて」(視点・論点)

東京大学 名誉教授 神野 直彦 

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 新しき年が明けて、私は76才になり、母は97才になります。不思議な話と思われるかもしれませんが、私が経済学の研究を志したのは、この老いたる母から、幼き頃、「お金で買えるものには価値がない。お金で買えないものこそ大切だ」と、言い聞かされてきたからです。
 そのためか、「それで人間は幸福になるのか」という根源的問いを、常に心に秘めて、経済学を研究して参りました。
 そこで今日は、コロナ・パンデミックによって、人間の社会が崩れ落ちていく「危機の時代」に、どのようにしたら「幸福な社会」を、追求できるのかを考えてみたいと存じます。

 「コロナ危機」は、パンドラの箱を開けてしまったかのように、人間の社会にあらゆる悲惨をもたらしています。
そのため、人類の存亡が問われる「根源的危機の時代」に、足を踏み入れてしまったのではないかという恐怖を、誰もが抱いていると思います。
 しかし、私は「コロナ危機」に襲われて、「根源的危機の時代」になったのではなく、「コロナ危機」が「根源的危機の時代」を襲い、それを増幅させて、浮き彫りにしているのだと考えています。
私たちが既に、「根源的危機の時代」に生きていたということは、1991年にローマ法王ヨハネ・パウロ2世が、私の恩師宇沢弘文先生に相談され、100年振りに「レールム・ノヴァルム(新しき事柄)」という回勅を、出されたことからも明らかです。
 「レールム・ノヴァルム」は「根源的危機の時代」に、ローマ法王が出される回勅だからです。
 この回勅では、人間の生存に必要な二つの環境の破壊が、深刻化して、「根源的危機の時代」に足を踏み入れていることが、指摘されています。
 二つの環境破壊とは、一つは、人間と自然との関係としての自然環境の破壊であり、もう一つは、より深刻だとされる、人間と人間との関係としての社会環境の破壊です。
 こうした二つの環境破壊が、どうして深刻化してしまったのかといえば、歴史の曲り角で、「それで人間は幸福になるのか」と、根源的に問うことを忘れ、社会目標を、「豊かさ」の追求から、「幸福」の追求へと、転換しなかったからだといえます。
 ヨハネ・パウロ2世の回勅でも、人間の欲求には、「所有(having)欲求」と「存在(being)欲求」があると、指摘されています。

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 「所有欲求」とは、人間の外側に存在する自然などを、所有したいという欲求です。
 「存在欲求」とは、人間と人間とが、さらには人間と自然とが、触れ合い、調和したい、あるいは愛し合いたいという欲求です。
 「所有欲求」がみたされると、人間は、「豊かさ」を実感します。
 「存在欲求」がみたされると、人間は、「幸福」を実感するのです。
工業社会とは、存在欲求を犠牲にして、所有欲求を追求した社会だと、いうことができます。
 つまり、「幸福」を犠牲にして、「豊かさ」を追求した社会なのです。もちろん、それは人間の歴史に、忌わしく纏わりついていた欠乏を、解消する必要があったからです。
 しかし、工業化によって、欠乏の解消が進むと、自然資源を多消費していくことに、限界が生じてきます。
 しかも、所有欲求が充足されていくと、人間の人間的欲求である存在欲求が高まっていきます。

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 図をみれば、日本でも石油ショックが生じ、「成長の限界」が叫ばれた、1970年代後半から、「物の豊かさ」を求める国民よりも、「心の豊かさ」を求める国民が、多くなり、現在では、「心の豊かさ」を求める国民が、「物の豊かさ」を求める国民の2倍に達しています。
 それは、社会目標を、「豊かさ」から「幸福」へと転換し、人間と自然とを調和させ、人間と人間との絆を強めて、存在欲求をみたしていく、ポスト工業社会へと、舵を切っていく必要のあることを、物語っています。
 ところが、現実には「成長、成長」と連呼し、「幸福」を犠牲にして、「豊かさ」を求め続け、二つの環境破壊を、深刻化させてしまったのです。
 それも、工業社会が行き詰って、経済成長が停滞しているのではなく、福祉国家のもとでの所得保障と、雇用保障によって、貧困と失業の恐怖が無くなってしまったために、勤労意欲が失われ、経済が活性化しなくなったのだと、唱えられてしまったからです。
 しかも、所得保障や雇用保障という、セーフティネットを外し、競争の領域を拡大して、経済成長さえ実現すれば、豊かな者の富が、貧しき者にしたたり落ちるという、トリクル・ダウン効果が働き、成長と分配の好循環が、形成されると主張されたのです。
 しかし、社会目標を転換して、新しき社会を築こうとしなければ、経済成長すら実現できず、「失われた10年」は、「失われた30年」となってしまいました。しかも、トリクル・ダウン効果は働かないどころか、格差と貧困が溢れ出てしまい、人間の社会のいたるところで、亀裂が走り、人間の社会は、分断されていきます。
 こうして歴史の転換期で、舵を切り間違えたために、自然環境と社会環境の破壊が深刻化した、「根源的危機の時代」を出現させてしまったのです。
 とはいえ、「根源的危機の時代」をコロナ・パンデミックが襲い、根源的危機を激化させているのだという認識は、広く共有されていると思います。
 コロナ危機からの復興にあたって、「より良き社会への復興」や「新しい資本主義」が掲げられるのも、根源的危機を克服して、新しい人間の社会を形成する使命が、認識されているからだと考えられます。
 しかし、そうした新しい社会のヴィジョンを、構想しようとすれば、「それで人間は幸福になるのか」という根源的問いを、発し続けなければならないはずです。
 というのも、この根源的問いを等閑にし、「幸福」の追求へと社会目標を転換しなかったために、二つの環境破壊という根源的危機を、つくり出してしまったからです。
 生活困窮も、所得貧困というよりも、生存を支える自然環境や、人間の絆が破壊されることによって陥っています。
 そうした生活困窮をコロナ危機が深刻化させましたので、その救済は現金を配るだけでは不可能で、自然環境や社会環境が支えていた生存条件を整備しなければならないことになるはずです。
 それにはトリクル・ダウン効果ではなく、大地から泉が噴き出すように、下から上へ押し上げる「ファウンテン(泉)効果」を生じさせる必要があります。しかし、下から上へと押し上げるのは、したたれ落ちる「富」ではなく、「幸福」です。
 人間の生活は、地域社会の「自然環境」に合わせて、人間の絆としての「社会環境」を、形成して営まれています。
 そうした二つの環境が破壊されて、生活困窮が生じているわけですから、破壊された二つの環境を、地域社会から再創造することによって、生活困窮を克服でき、しかも存在欲求を充足し、「幸福な社会」をも実現できるはずです。
 実際、こうした運動は、着実に始まっています。地域社会の温もりを取り戻し、「幸福」を目標として、地域社会を運営しようとする地方自治体が、「幸せリーグ」を形成するまでに、広まっているからです。
 コロナ・パンデミックで、パンドラの箱が開けられたかのように、災いが噴き出してしまいましたが、パンドラの箱を閉めた時に、小さなものが残っていたことを、忘れてはなりません。それは希望です。
「それで人間は幸福になるのか」と問いながら、幸福の「青い鳥」を求めて、未来へと希望を大きく膨らましていかなければならないと思います。

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