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「ショパンコンクールを鑑賞して」(視点・論点)

ピアニスト・文筆家 青柳 いづみこ

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 2021年10月に、第18回ショパン・コンクールがワルシャワで開催されました。世界4大コンクールの中でも最も人気の高い登竜門として知られています。
 本来はオリンピックより間遠な5年に一度の開催ですが、今回はコロナ感染拡大のため に1年延期になり、4月の予備予選も7月に再設定されました。準備期間が十分にあったため、レベルの高い演奏があいつぎ、稀にみる激戦のコンクールとなりました。

 3週間にわたる審査の結果、優勝は中国系カナダ人のブルース・リウさん、日本からは第2位に反田恭平(そりた・きょうへい)さん、第4位に小林愛実(こばやし・あいみ)さんが入りました。とりわけ反田さんは、国際的名声を誇る内田光子以来51年ぶりの2位ということで、歴代優勝者たちからも祝福のコメントが入るなど、大変な盛り上がりとなりました。

1)個性的になった日本人出場者
 最初のポイントは、日本人出場者の変化です。取材でワルシャワに行く前、NHKのニュース番組からコメントを求められました。これまで優勝者が出なかった理由について、日本では門下制度が発達しており、自分の解釈や感性を前面に出しにくい環境にある、個性が足りないように見えるのはそのためではないかとお話しました。
たしかに従来はそのような傾向もみられましたが、今回、とくに第3次予選に進出した5名のピアニストはそれぞれ大変個性的で、各国の審査員たちも日本人が変わった、と感想を漏らしていました。

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 5名の中で一番若い進藤実優(しんどう・みゆ)さんは、まだ19歳。高校からモスクワ音楽院の付属中央音楽学校に進んだ俊英です。没入型で、教えても教えられない独特の感性を持っています。

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 古海行子(ふるみ・やすこ)さんは前回も本大会に進出し、国内でメジャー・デビューも果たしています。日本人ばなれしたスケールの大きなピアニストで、繊細さと豪快さを併せ持っています。

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 膝に猫を乗せたままワルツを弾く動画を配信している角野隼斗(すみの・はやと)さんは、東大卒のユーチューバー「かてぃん」として、多くのファンを獲得しています。知的な構築に優れていますが、舞踊系も得意です。審査員の中には、ユーチューバーとしての角野さんに注目する方も多く、即興もジャズも披露する彼が正統的なコンクールでどんな演奏をするのか興味深々のようでした。
 本選に進出したのは小林愛実さんと反田恭平さんでした。

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 小林さんは2015年のファイナリストですが、今回は予選の曲目を全部変え、本選の『協奏曲第1番』でもアプローチを変え、弱音の魅力を駆使して聴衆を惹きつけていました。

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 小林さんと桐朋学園の音楽教室時代の幼なじみという反田恭平さんは、高校3年で日本音楽コンクールを制し、現在国内でもっともチケットのとりにくいピアニストとして知られています。
 反田さんはまた、自ら音楽事務所を立ち上げ、同世代のすばらしい演奏家の活躍を支えています。実力はあっても場が少ない若手奏者のためにオーケストラを組織し、全国でツアーを展開しています。
 コンクールは、いわば人材発掘の場です。まだ世に知られない若者たちが腕を競い、国際マーケットでの契約をかちとります。これまでも多彩な才能が集ったショパン・コンクールですが、おそらく、マネジメント会社を経営するピアニストが出場した例はないでしょう。それほど反田さんの在り方は画期的で、今後の日本の音楽界にも大きな指針を与えたといえましょう。
  演奏も素晴しいものでした。かなりテンポを揺らし、自由奔放なアプローチに見えますが、ベースをきっちり押さえた上なので説得力があります。本選の『協奏曲第1番』では、ソロを弾きながら各パートの奏者と対話をかわし、雄弁な演奏にスタンディングオベーションが起きました。

2)個性的になったコンクール
 次のポイントは、コンクール自体の価値観の変化です。
 もともとショパン・コンクールは、保守的な傾向で知られていました。1980年にポゴレリチが独創的な演奏をしたとき、一部の審査員は極端に低い点をつけて、この天才を第3次予選で落としました。結果を不服としたマルタ・アルゲリッチが審査員を降りてしまったのは有名な話です。

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 2010年までは楽譜に忠実な演奏をよしとしてきましたが、2015年にダン・タイ・ソンが審査に加わってからは、より自由で個性的な演奏が評価されるようになりました。
今回のコンクールは、さらに自由度が増したように思われます。

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象徴的なのは第3位を得たガルシア・ガルシアさんでしょう。彼はコンクールの場をコンサートに変えてしまいました。天井を向いてメロディを口ずさみ、オペラ歌手のようにピアノを歌わせます。最初のうちは怪訝な面持ちで聴いていた審査員も屈伏させられ、「彼のピアノを聴いていると楽しくなる」とコメントしています。

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 優勝したブルース・リウさんは驚異的なテクニックの持ち主で、ジャズの即興にも見紛うばかりの自在な演奏を披露しました。私のメモには「聴衆は熱狂したが、審査員にはどうだろう?」とあります。しかし、のちに発表された採点表をみると、彼は全ラウンドを通じて一人の否定もない完全優勝だったのです。とりわけ第3次予選では、ショパンの若いころの作品『ラ・チ・ダレム変奏曲』をとりあげ、ジャズ・ピアニストのように左右の足でリズムを取りながらスリリングな演奏を展開しました。
 その一方で、恵まれなかったのは従来の価値観どおり楽譜に忠実な演奏をめざす人たちでした。審査員の一人ヤブウォンスキは、雑誌のインタビューでこう語っています。
 「今私が感じている問題は、今回の結果が、オリジナリティを求めることに影響されすぎていたのではないか、ということです。楽譜に書かれていることに反した演奏をするのは、良い決断とはいえません。ショパンの音楽を演奏するにあたっては、ショパンが言っていることを聞かなくてはいけないのです」
 5年に一度のコンクールで、「ショパンの言っていること」を聞くために楽譜をすみずみまで研究し、端正な演奏を展開したピアニストたちが認められなかったのは、本当に悲しいことでした。

3)動画配信時代の功罪
最後のポイントは、配信時代のコンクールの在り方です。角野隼斗さんはYoutubeの配信で世界中にファンがいますが、ショパン・コンクールもまた、臨場感溢れる動画配信によって全世界で聴衆を獲得しました。各国の視聴者が好みの出場者に肩入れし、結果に一喜一憂してそれを書き込むのです。
 ここで起きた問題は、配信される動画と会場で聞く演奏の大きな差異です。審査員たちが口々に言っていたのは、実演で欠点と感じたものが動画ではクリアされているということでした。私も会場で聴いたあとで動画を見ると、自分のメモと印象が違うのでびっくりしたことがあります。審査員は会場で聴いて採点しているわけですから、動画配信の視聴者がその結果に不満をいだいても仕方ないと思いました。
 もちろん、よいこともありました。予選ラウンドで姿を消したにもかかわらず、配信によって大きな公演やCD制作を勝ち取ったピアニストもいたとききます。
 多くの問題をはらみながら、大きく前進したショパン・コンクール、次回こそは日本から優勝者が出ることを願ってやみません。

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