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「キム・ジョンウン体制の10年」(視点・論点)

慶應義塾大学 教授 礒﨑 敦仁

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 北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国のキム・ジョンイル国防委員長が死去して今月で10年になります。それはすなわち、事実上キム・ジョンウン政権が発足して10年になることを意味しています。
キム・ジョンイル氏死去の第一報となった朝鮮中央テレビの「特別放送」は、キム・ジョンウン氏を「偉大な継承者」と呼んで、スムーズな権力継承が図られました。新しいリーダーは、当時まだ20代後半であり、軍隊や民心を掌握できるのか不安視する声もありましたが、いまや安定的な政権運営を行っているように見えます。
今日は、キム・ジョンウン政権の10年間を振り返りながら、わが国がいかに向き合うべきかについても考えていきたいと思います。

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キム・ジョンウン氏はまず、先代指導者からの連続性を強調してその正統性を確保しました。キム・ジョンイル国防委員長の誕生日を「民族最大の祝日」に定めたり、銅像を建てたりするなど、父親を祖父のキム・イルソン主席と並び立てて格上げする作業を開始し、三代指導者の連続性が強調されました。
しかし、権力掌握に自信を持つにつれ、徐々に独自性も発揮されるようになりました。いわば、「親離れ」の過程であります。キム・ジョンウン国務委員長の演説からは、祖父や父親の名前、さらに先代が掲げた「チュチェ思想」「先軍思想」といった用語が聞かれなくなりました。
独り立ちの過程は、特に人事面において顕著でありました。
最初のサプライズは、2012年7月に朝鮮人民軍制服組のトップであるリ・ヨンホ総参謀長が突然解任されたことでした。翌年12月にはキム・ジョンウン氏の叔父で「後見役」と目されてきたチャン・ソンテク国防委員会第1副委員長も処刑されました。
高位級幹部の粛清や交代は、その後も頻繁に行われ、このことはキム・ジョンウン政権の特徴として挙げることができます。
キム・ジョンウン氏自らは朝鮮労働党第1書記としてスタートしましたが、その後第1書記は委員長と名前を変え、今年1月には総書記になりました。この総書記という肩書は、キム・イルソン主席もキム・ジョンイル国防委員長も持っていたもので、これで先代指導者と同等の地位に就いたことになります。
統治のスタイルも徐々に独自性が発揮されました。

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「人民大衆第一主義」を掲げるキム・ジョンウン氏は、農場や工場に積極的に足を運んで、笑顔を振りまきました。幹部たちには厳しく、一般の人々には微笑みを。これが10年間の一貫したスタイルであったと言えます。
ただ、北朝鮮は、韓国と分断国家として対峙している以上、資本主義を容認するわけにはいきません。キム・ジョンウン氏は、いわゆる「非社会主義的な現象」に対しては厳しい姿勢で臨みました。国民への思想教育が重視され、義務教育は1年延長されて12年間になりました。

執権10年を見据えてのことなのか、キム・ジョンウン国務委員長は先代指導者と同様に「首領」と呼ばれるようにもなりました。祖父や父親と並んだ、という自信の表れだと解釈できます。
その一方で、キム・ジョンウン氏の肖像画やバッジは流通せず、誕生日はまだ祝日化されていません。神格化にはブレーキが掛けられており、最高指導者は全知全能の神ではないと自らハードルを下げていることになります。
背景には、なかなか好転しない経済状況があるものと考えられます。演説の中で、「能力が及ばない」と述べて口惜しさを吐露する場面も見られました。最高指導者が弱気な発言をしたり、涙を見せたりするなど、キム・ジョンイル時代までは考えられなかったことです。
自らの政策を国外に対してもできるだけオープンにしていく、というのもキム・ジョンウン政権の特徴です。キム・ジョンウン氏が幹部に対して「激怒」した事実や、人工衛星の打ち上げが失敗した事実を公表したことなどがそれにあたります。

この10年間で兵器開発も進みました。
2013年3月には、経済建設とともに核兵器開発も進めるという「並進路線」が採択されました。キム・イルソン氏が1962年に掲げた「並進路線」を発展させたもので、その後、核実験、ミサイル発射実験のペースが速まり、その結果、キム・ジョンウン政権は2017年11月に「国家核武力」が完成したとの勝利宣言を出しました。

それらの重要政策を発表する場となったのが、朝鮮労働党の会議でした。キム・ジョンウン国務委員長は、10年間、一貫して党組織の正常化、盤石化を図ってきました。キム・ジョンイル時代には一度も開催されなかった党大会を既に2回開催したほか、党の政治局会議や中央委員会総会を繰り返して自らの政策を徹底させました。

この10年間はキム・ジョンウン国務委員長にとって、国内政治も外交も試行錯誤の連続であったと言えます。
2015年8月には北朝鮮の標準時を30分間遅らせるという「平壌時間」なるものを突然導入しましたが、それから3年も経たずして突然廃止するといったこともありました。この「平壌時間」の廃止は、ムン・ジェイン大統領と対話を進める中で、韓国と時差があっては不便だからだと理由づけられました。

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南北首脳会談に続いて、シンガポールやハノイで米朝首脳会談が実現した際には、経済制裁の解除やアメリカとの関係改善のために思い切った政策変更も考えたように見受けられました。しかし、米朝双方に募った不信感を払拭して歩み寄ることは、簡単ではありませんでした。
それでも、北朝鮮は、アメリカとの交渉を真摯に進めない限り、厳しい経済制裁が課されたままの状況が続きます。そのためキム・ジョンウン政権は、バイデン政権の動向を注視して、米朝交渉再開のタイミングをにらんでいるものと考えられます。

一方、日朝首脳会談はもう17年以上も開催されておらず、小泉政権以来、一人の拉致被害者も奪還できていません。拉致問題だけではなく、1945年の終戦以前から北朝鮮地域に居住したまま帰国を果たせていない日本人在留者の問題、冷戦期に在日朝鮮人の配偶者とともに北朝鮮に渡った、いわゆる日本人妻問題など、問題は山積状態です。
体制が大きく異なる相手との対話や交渉が困難を極めることは誰もが承知しています。それでも、日本人の生命と安全を守れるのは日本政府しかありません。

ソ連が崩壊したのはちょうど30年前、1991年のクリスマスの日でしたが、北朝鮮はその後30年間にわたって体制を維持してきました。30年前、若き三代目の指導者が出てくることを誰が想像したでしょうか。しかし、キム・ジョンウン政権は、この10年間で体制の永続化を図ってきました。
初代のキム・イルソン氏は、建国から46年間も北朝鮮を統治しました。そのことを考えますと、まだ30代のキム・ジョンウン氏が、今後数十年間にわたって最高指導者であり続ける可能性を考えておかなくてはなりません。つまりこの10年間は、体制の長期化に向けた序曲に過ぎないのかもしれません。
このような現実を直視しなくてはなりません。わが国の政権には、対話によって平和裏に諸懸案を解決していく、前進させていくという強い意志と覚悟が求められています。

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