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「ケアの現場から学んだこと」(視点・論点)

大阪大学 教授 村上 靖彦 

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#生命を肯定する
私は10年前から看護師の聴き取りを始めて彼らの実践のディテールの意味について学んできました。7年前からは貧困地区で子ども子育て支援の研究を続けており、現在は逆境のなかにいる当事者の方たちの声を聴いています。
本日は、高度な技術の実践の背景で、目立たないながら必ず行われている「ケア」について私が支援者の皆さんから教わってきたことをお話ししたいと思います。

ケアは「生命を肯定する」営みです。たとえば、死が近い人のケアでも、死が近いその人が生きるということを支えるということです。あるいは子ども支援の現場では、見逃されやすい子どもの声に耳をそばだて、願いを尊重することが、子どもの生命の肯定になります。

#孤立を防ぐ
では具体的には、生命はどのように肯定されるのでしょうか。おそらくすべての対人援助の現場のケアで共通する出発点は、〈孤立を防ぐ〉ことなのではないかと思われます。
医療や福祉の現場は、孤立しやすい人たちの場でもあります。病や障害でコミュニケーションをとることが難しい人、あるいは貧困や暴力・差別によって社会や居場所から排除された人は、孤立し、それゆえに生きることが苦痛に満ちたものになります。
私がインタビューをした介護士の山田康子さんは、ALSという全身の筋肉が衰える病をもつ人と、まぶたの動きを通してコミュニケーションをとる場面を語りました。

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ときには
「本当に、一〇文字ぐらい読み取るのに、多分三時間とかかかる」
(『ケアとは何か』第1章)

と言います。しかも3時間かけて読み取った10文字が意味を成さないかも知れないのです。それゆえ山田さんは、

「「とにかくあなたが言いたいことを読みますよ」というふうに、こっちの態度を、そういうふうに利用者さんに寄り添わせる。」(同)

と語るのです。

たとえ患者の言葉を読み取れなかったとしても、サインを読み取ろうとする努力を続けることそのものがコミュニケーションであり、患者とのあいだで〈出会いの場〉を開く実践となります。
孤立を打ち消すコミュニケーションには、体が動かない人のサインを読み取ろうとする努力だけでなく、さまざまな形があるでしょう。路上生活する人のように逆境に置かれた人に声をかけること、あるいは困難を言葉にすることができない人のあいまいな言葉を待ち、丁寧に聴くこと、といった具合にです。

#小さな願いごと
生命を肯定するために、私たち一人ひとりの願いごとも大事でしょう。願いごとといっても「治療をめぐる意思決定」といった大きなものではなく、「プリンが食べたい」というような小さな願いごとのことです。一見些細なことなのですが、胃ろうをつけられた子どもが食べたいと願うプリンは、お母さんが作ってくれたプリンかも知れません。とすると、プリンの食感と味には、自分の存在を直接に肯定する〈からだ〉の心地よさに加えて、大事な人との間柄の記憶も詰まっているでしょう。それは自分が過ごした家庭や文化のなかに落ち着くということでもあります。つまり〈小さな願いごと〉を探し出し、尊重するケアは、その人の個別性と歴史を尊重するということでもあります。

#自分が安心できる場所・落ち着ける場所
生命を肯定することは、自分の〈からだ〉を見つけ直して肯定することともつながります。病の苦痛だけでなく、社会的な苦痛のなかでも私たちは自分のからだの感覚を見失い、自分が存在するという感触を失います。〈からだ〉を感じなおすことはそれゆえ大事なケアとなります。病室で温かいタオルで顔を拭き髪を洗うこと、足浴といったケアにもそのような重要性があるでしょう。
あるいは自分の再発見は、落ち着ける場所を見つけるケアという姿をとることもあります。小児がん病棟に勤務していた看護師のGさんは、がんの子どもが家に帰りたいと言う場面を語りました。

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「お家大好きでしたね。みんな「お家帰りたい」ってすごい言う、もう全員言うので。」(拙著『摘便とお花見』第8章)

子どもに限らず、高齢者でも「家に帰りたい」と願うときには、家族との関係と自分の歴史を再獲得する〈落ち着ける場所〉への願いがあるでしょう。
このように自分の存在を肯定してくれる場所は、広く「居場所」と呼ばれるものにつながっていくでしょう。居場所は安心できる落ち着ける場所というだけでなく、力関係がない場所、遊びの場、何もしなくてよい場、語り合える場、沈黙できる場、社会で失敗しても戻ってくることができる場所といった多様な意味を帯びることになります。居場所を整えることもまたケアの役割です。

#言葉にする:SOSとしてキャッチすること、苦境を語ること
暴力や死に直面している人は、孤立しやすい人です。そして言葉を奪われた人でもあります。助けが必要なのにSOSが出せないことは珍しくありません。
しばしばかすかなサインのなかにSOSを読み取ることからケアが始まります。もしかすると子どもの『問題行動』は困難のなかにある人が力をふり絞ったSOSかもしれません。それをSOSとして受け取るのはケアラーの側の力でもあります。
貧困地区で長年助産師をつとめる松浦洋栄さんは、10代で妊娠した少女に呼びつけられます。

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「〔私の〕名前は覚えてないんやろうね。だから
「おかっぱ呼べ!」とか言われて、〔…〕でも
その子にしたら、『初めて人を呼んだな』っていうような。〔…〕「困ったから来た」っていう感じでね。」 (拙著『子どもたちがつくる町』第5章)

松浦さんは「おかっぱ呼べ!」と少女が怒鳴った言葉を、「困ったから来た」のだと受け取っています。少女がねじれたしかたで訴える力と、助産師がSOSとして受け取る力が出会ったときにSOSが成り立ちます。かすかなSOSを聞き取ることも、孤立した人とつながる大事なケアです。
もちろんかすかなSOSを聴き取るだけでなく、困難を言葉にするのを待つことも必要です。沈黙した人に立ち会い、言葉を待つこと、これもまたケアの一局面です。同じように、病名告知や予後告知もまた、死を意識した人が思いを語ることで孤立から脱するためのケアとなるでしょう。

#沈黙に立ち会う
精神科医で作家の帚木蓬生さんはネガティブ・ケイパビリティという言葉を重視しています。終末期に治療法がもうない場面でも、患者の苦痛や不安に立ち会うことそのものがケアになるというのです。次の場面は先ほど登場した小児がん病棟の看護師Gさんです。

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「「〔うちの子〕このまま死んじゃうのかな」って言われたりとか。「もっと治療はないの?」とか、「なんでこの子死ななきゃいけないんだろう?」とか、私もわかんない質問があるんですよね。そういったのも答えられなくて。もうそういう話をしてもらえる存在なのかって。」(『摘便とお花見 看護の語りの現象学』第8章)

母親が発する答えがない問いは、答えようがないだけでなく、その問いを受け取ることも難しいのですが、だからこそGさんはベッドサイドに立ち続けて「そういう話をしてもらえる存在にならないと」と語ります。
ケアとは何でしょうか。孤立から脱却するために声を聴きサインをキャッチする努力、小さな願いごとからその人らしさを尊重する努力、生きていることをそのまま肯定する居場所を開く活動、言葉を待つこと、沈黙に立ち会うこと、このように誰かの生命を肯定するためのさまざまな努力とスキルがケアなのだと私は教わってきました。  

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