NHK 解説委員室

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「死生観を考える」(視点・論点)

明治大学 教授 齋藤 孝

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こんにちは。ディーン・フジオカです。冗談でございます。まあ、今ディーン・フジオカさんだと私のこと思った方がいらっしゃらないと思いますけど、正解はここで笑って頂くということだったんですね。私生きていることの喜びっていうのは笑いにあるというふうに思っています。笑う門には福きたる、まあ私はジョークをいいますそのときに、皆さんが、笑っていただけるそうすると同じ時間を生きてるっていう感じがします。この今生きてるこの時をライブ感覚で楽しむ、それが笑うということなんですね。一緒に笑い合う、これが生を祝福する生きてることを祝祭にする。お祭りにするってことだと思うんですね。ということであえて、私が出会った中であっこの人すごい人柄がよくてハンサムだなと思った。ディーン・フジオカさんのお名前をお借りしました。

じゃあ、先ほど笑えなかった方のためにもう1度やらせていただきますのでみなさんお笑いください。こんにちは。ディーン・フジオカです。はいありがとうございました。やはり人間一番大切なのは素直さというものだと思うんですね。生きていく上で素直さというのがあると小学校3年生のときのようにイキイキ生きられる。私は小学校3年生が、すごく伸び盛りだと思うんですよ。で、肩の力を抜いてリラックスして素直な気持ちで生きる。これができると今この時からまた若々しく生きていくことができる。まあ、例えば私1960年、昭和35年の生まれです。ですので還暦を迎えたわけですね。還暦を終えまして思ったことはひと巡りしてもう1度何か始まる感じというのがあるんですね。その時に思ったのは小学校3年生のときのようなリラックスした体、よく笑っていたあの頃に戻るということです。軽くジャンプをしていただいて、息をハッハッ、ハッハッと吐いていただき肩甲骨を回すそして、リラックスして3年生のときのような弾んで生きていた体と心を取り戻す。これが、還暦の作法ではないかというご提案でございます。はい、ありがとうございます。ということで、次にですね、過去の偉大な人たちは死をどのように考えていたのかについてちょっとお話しします。

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例えば、私、論語が好きでございまして自分でも訳しています。孔子は死についてどのように考えたか。弟子たちに聞かれました。あえて死を問う、いわく、いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや。これは弟子たちに死とは何かというのはあえて問われた。その時に私はいまだ、生きるということがどういうことかが分からない。だから死なんぞを分かる訳があろうか。分かるわけがないというふうに言ったんですね。これは実に孔子らしいすっきりとした答え方ですよね。死は経験したことがない、今、経験している生、生きることすらどういうことなのかよく分かっていない。なぜ死について考えなければいけないのか。ということなんですね。考えて死についてあれこれ言ったところでしかたないじゃないか、今、この生きているこの時を大事にしようということでございます。私はこういう孔子のすっきりした考え方が大変好きなんですね。

まあ、生きる生き方はいろいろあると思います。死について考えて、そして、これは武士道のように、武士道とは死ぬことと見つけたり。まあそういう、武士道の考え方あります。死ぬほう死ぬほうにいけば、むしろ楽になるというふうに言っております。

武士道では。葉隠ですけれどもね。葉隠では言っております。それは死ぬという方に死ぬという方に考えていればむしろ楽になると、そうすると実際には自分の家の仕事というのをしっかりとし果たすことができるんだと言ってるんですね。

だからすぐに死ぬっていう話ではございません、死を覚悟することによって、フワーッと楽んなるということです。これは死そのものを考えてるというよりは死ぬということを覚悟すると、いうことだと思うんですね。どこで覚悟するのかの場所なんですけれども私が思うにはこれはおへその下だと思うんですね。これは臍下丹田、へそした丹田、というところです。おへそがありまして指3本分ぐらい下の奥だと思ってください。そして、息を鼻から吸って口からふーっとゆっくり吐いて、臍下丹田に気を静める。そして、死ぬということを腹に収める、そうするとあとが楽になる。ということですね。何があっても命を取られる訳じゃなし、いや命を取られたとしてもそれは大丈夫だと。

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吉田松陰は刑死しました、30歳くらいで刑死しました。その時に、留魂録という、遺書のような手紙を残したんですね。そこにはですね。自分は悔いがないって書いてあるんです。

10歳には10歳の四時がある。四時というのは4つのとき、春夏秋冬、要するに10歳には10歳の、春夏秋冬がある。そして20歳には20歳、30歳には30歳のということで、自分にも春夏秋冬があったのだ、だから悔いはない。この志を皆に預けたぞ。たのむぞ、あとの者よ。ということでたま留め置かまし大和魂ということで魂を留めるということで留魂録という、残しました。

この四時という春夏秋冬があるんだという考え方は私大変いい考え方だと思っております。気楽に生きるという点では辞世の句を作ってみるってのは面白いと思うんですね。

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北斎。飛と魂で行くきさんじゃあ夏の原。あのきさんというのは、気晴らしにいくというような意味です。ということで飛と魂で夏の原をですね、気晴らしに散歩してみようかと死んだらですね。これどうでしょうかすごく気楽ですよね。
さすが北斎と北斎は老年になってももう少し時間があれば自分は偉大な画家になれたのにって言った人です。高齢なのにもかかわらず。このやりたいことをやり遂げたING形で生きていく。常にING系で生きて死んだあとひと魂で散歩でもしようかと言ってるわけですね。

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次、太宰治の中に散華という作品があります。友人がアッツ島に行きましたらアッツ島は非常に危険な場所です。戦争時ですね。手紙が来たんですね太宰治に。大いなる文学のために何々してくださいという手紙が来たんです。アッツ島から、この四角の中は大いなる文学のために、死んでください。自分も死にますこの戦争のために、文学のために生きるのではなく文学のために死んでくださいとまだ言ったこの時代の人たちの、追い詰められた状況あるいは気持ちというものを、受け止めて生きるのを私たちの生き方かなというふうに思います。

生きていくために、学ぶことが軸になると思います。

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佐藤一斎、少にして学べば壮にすなわち壮にしてなすことあり。若いときに学べば中年になってやることがあるんだと青年中年になってやることがある。そして、人生の真ん中で学べば、老いて、衰えず。そして、老いて学べば即ち死して朽ちずと、死んでも名前が残るだろうということです。学ぶことを軸にした人生を生きる、すると若々しくいられると、いうことです。学びを軸にした人生、というのを送っていくと、いうことなんですね。

このように考えますと生きているということ自体が祝祭であると、

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ニーチェは、これが生だったのか、ならばよしもう1度。という言葉をツァラトゥストラの中で言っています。嫌なことがあった、いろいろ嫌なことがあった、しかしこの瞬間がすばらしいと思ったらこれが生だったのか、ならばよしもう1度というと、いうことです。

何度でも繰り返そうということですね。ということは、人生を祝祭として生きる、出会いの時を祝祭に。これは私が作ったスローガンのようのものですね。
一瞬一瞬、人と出会っていくと思います、そのときに、それを祝祭だと祝うという気持ちが大事ということです。最後、お見せします。上機嫌で生きていきましょうと、いうことです、私が作りました。意味もなく、上機嫌で生きていきましょうということです。どうもきょうはありがとうございました。

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