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「"クアッド"から考える外交課題」(視点・論点)

慶應義塾大学 名誉教授 添谷 芳秀

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 つい先日、アメリカ時間9月24日にワシントンで、日本・アメリカ・オーストラリア・インドの4カ国による第2回目となるクアッド首脳会合が開催されました。英語で4を意味するクアッドとは、最近になってこの4カ国による対話と協力の枠組みを指して使われるようになりました。第1回目の首脳会合は今年の3月にテレビ会議方式で開催され、対面での開催は今回が初めてです。本日は、今回の会合の成果と、中国との関係をどのように考えたらよいかという問題を中心に、クアッド及び日本にとっての課題について考えたいと思います。

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 今回発表された共同声明は、まず冒頭で、「自由で開かれたインド太平洋」というビジョンと、国際法やルールに基づく秩序、そして法の支配や民主的価値などの原則を確認しています。それが、中国による拡張主義的な行動に対する懸念を反映したものであることは、周知のとおりです。
 しかし同時に、ASEAN(東南アジア諸国連合)の一体性と中心性に対する支持を確認し、ASEAN諸国との実践的な協力を謳っていることにも注意が必要です。そこには、クアッドと中国との関係を考えるにあたっての重要な問題が潜んでいるように思われます。この点については、後に詳しく触れたいと思います。

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 以上のビジョンや原則の確認に続いて、共同声明の大部分は具体的な協力アジェンダを列挙しています。その中で最も重視され、多くのスペースが割かれているのは、新型コロナウイルス感染症と気候変動です。いわゆる地球規模の問題であり、中国を含めたすべての国との協力が不可欠な課題です。
 次に強調されるのが、重要・新興技術とインフラ開発です。ここでは、中国との対決というよりは、競争が意識されています。そして、中国との対立色の強いサイバー、宇宙、海洋秩序等の安全保障問題がその後に登場します。
 以上のような首脳会合の成果に関して、報道等では、中国を直接名指ししなかったことも含めて、ASEAN諸国を取り込もうとするものという解説がみられました。続いて、その点に関して少し掘り下げて考えてみたいと思います。

 まず、簡単にこれまでのクアッド協議の経緯を振り返ってみましょう。

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日米豪印の間の初めての政府間協議は、外交当局の局長レベルで4年前の2017年11月に開催されました。その後外交当局による実務者協議が毎年2回のペースで開催され、2019年9月にニューヨークで4カ国の外相による第1回目の会合が、そして2020年10月に東京で第2回目のクワッド外相会合が開かれました。ここまでは、アメリカはトランプ大統領でした。そして、今年に入って、バイデン大統領の主導によって2度の首脳会合が開催されたのです。

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 日本政府は、「自由で開かれたインド太平洋」やクアッドに、とりわけ強い思い入れを持っています。それは、そのいずれも安倍晋三政権の下で打ち出されたもので、いわば近年の日本外交の顔でもあるからです。

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安倍首相は、2012年12月に総理大臣に復帰するや否や、国際社会に向けた英文のメッセージで、中国に対する警戒心を飾ることなく表明し、日米豪印の関係を「安全保障ダイアモンド」と呼びました。2014年に中国の習近平国家主席が「一帯一路」構想を提唱すると、安倍首相は、2016年8月にケニアのナイロビで開催された第六回アフリカ開発会議で、太平洋とインド洋という「自由で開かれた二つの大洋」と、アジアとアフリカの「二つの大陸」を結合する秩序構想を打ち出しました。日本政府は、その直後から「自由で開かれたインド太平洋」の推進を主要な外交戦略として唱えるようになるのです。
当時、中国に対する敵対心を隠そうとしないトランプ大統領は、「自由で開かれたインド太平洋」及びクアッドに積極的に関与し、アメリカの戦略としても提起しました。日本政府はそれを全面的に歓迎し、その結果日本内外において、「自由で開かれたインド太平洋」やクアッドは日米両国が主導する中国への対抗戦略という認識が広がりました。

 そうした中、今年の1月に発足したバイデン政権も、中国に対する厳しい姿勢を継承しました。しかし、トランプ政権との重要な違いを、2つ指摘することができます。ひとつは、中国との関係を「対立」、「競争」、「協力」という3つの領域で多層的にとらえていることです。そして第2に、それぞれの領域における外交手段として、同盟国や友好国との協力を重視しています。したがって、バイデン政権からすれば、今回のクアッド首脳による共同声明に、中国に対する懸念のみではなく、中国との経済分野での競争、そして、新型コロナパンデミックや気候問題など、中国との協力が不可欠な問題が盛り込まれたのは、自然であったとも言えます。
さらにここで重要なのが、ASEANが持つ意味です。実は2018年ごろから、クアッドの実務者協議から外相会合、そして首脳会議に至るまで、すべてのレベルにおいて、ASEANに対する強い支持が一貫して表明されてきました。そして、ASEANによるアプローチの最大の特徴は、インド太平洋地域の非排他性を強調していることです。すなわち、ASEANが構想するインド太平洋には、中国が重要な一員として含まれています。
さらに日本外交も、2018年に入り中国との関係改善へと舵を切り始めました。安倍首相が1月の施政方針演説でその方針を明確に表明し、10月に訪中して習近平国家主席と会談しました。その過程で日本政府は、中国の「一帯一路」構想にも一定の理解を示し、それまで使っていた「インド太平洋戦略」を「インド太平洋構想」と呼ぶようになります。すなわち、中国に対する対抗色を薄めたわけです。

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そもそも、クアッドのパートナーであるオーストラリアやインドにも、中国と対立する論理が前面に出ることを嫌う傾向があります。インドのモディ首相は、2018年6月にシンガポールで行った政策演説で、インド太平洋の非排他性とASEAN中心性を強調し、大国間対立の側面を明確に否定しました。

そうは言っても、近年では、東シナ海や南シナ海、台湾海峡、香港などでの中国の一方的な強硬姿勢が目立ち、クアッドの4カ国にとっても、さらにはASEAN諸国にとっても、中国に対する懸念が消えた訳ではありません。かつては中国と比較的良好な関係を築いてきたオーストラリアも、保守的な自由党政権の下、最近では中国に対する強硬な姿勢が目立っています。
クアッド首脳会合の直前、9月15日に、オーストラリア・イギリス・アメリカの間の安全保障協力の枠組みとして、これら3国の英語名を組み合わせたAUKUSの発足が発表されました。最近の中国とオーストラリアの急速な関係悪化がその背景にあることは明らかです。
こうしてクアッドを形成する4カ国には、強大化する中国への懸念と、強大であるからこそ中国を抜きにしたインド太平洋の安定と繁栄は成立しないという現実が交錯しています。そこにどのように複合的な戦略を組み上げて行くのか。それが、未だ形成期にあるクアッドの、そして日本の外交戦略にとっての重要な課題ではないでしょうか。

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