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「"70歳就業"社会をどう生きるか」(視点・論点)

神戸松蔭女子学院大学 教授 楠木 新

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 最近は、「人生100年時代」という言葉が定着してきました。みなさんはこの言葉を聞いてどのような気持ちになるでしょうか?この2021年4月から「改正高年齢者雇用安定法」が施行されました。「70歳定年法」や「70歳就業法」と呼ばれることもあって、「70歳まで働かなくてはならないのか」と誤解している人もいます。法律の趣旨は、企業側に70歳までの安定した働く場を確保するよう努力義務を課したものなので、働くことを強制されたり、不利益になるものではありません。

 ご承知の方も多いと思いますが、2013年に「65歳までの雇用確保措置」はすでに義務化されています。今回の法律は、その次のステップに向けた対応になっています。このように国や企業は70歳まで働く条件整備を始めています。それらに応じて、本日は個人側がどのように対応すればよいかを考えてみたいと思います。

 この法律が定められた背景には、日本人の寿命が急激に延びたことがあります。
日本のシンガーソングライターで作詞家、作曲家でもある井上陽水氏の1972年発売の「人生が二度あれば」の歌詞を見ると時代の変化に驚きます。
65歳の父親と64歳の母親のことを思いながら、「人生が二度あれば」と歌い上げます。ところが今の65歳はまだまだ若い。多くの会社の定年である60歳時点の平均余命からみると、男性で84歳、女性で89歳まで平均で生きるという計算になります。もはや誰もが第二の人生を持つ時代になりました。曲の発売から50年もたたないうちに大きく年齢に伴う景色が変わってしまったのです。

 コロナの感染が一時的に下火になった昨年9月に、私は同窓会に出席しました。当然ながら同世代の65歳前後のメンバーが集まりました。その時に気がついたのは、誰もが一旦現役を引退していたことでした。5年前の60歳の時は、定年を迎えてもほとんどが現役で働いていました。ところが今回は、大半のメンバーが本体の企業のみならず、子会社や関連会社も退職していました。「60歳と65歳との間には結構変化があるなぁ」というのが私の実感でした。
 今までは、「●●会社の課長をやっている」といえば、簡単に他人に説明もできます。それは誰にとってもわかりやすい。ところが現役を離れると、他人に自分のことを説明するのが簡単ではなくなります。少し大げさに言うと「自分はいったい何者か?」を考える入り口に立ったのかもしれません。若い頃に悩んだ「ほんとうの自分探し」に戻ったという人もいました。

 私は定年前後のシニア層の取材をしてきましたが、定年後の過ごし方は本当に人それぞれです。仕事に引き続き取り組んで生涯現役を目指す人もいれば、趣味に重点を置く人、地域活動やボランティアに取り組む人、大学やカルチャーセンターで学ぶ人などです。特に自分に合ったものに取り組むことが大切だと感じています。
 また60歳を超えると、朝から夕刻までフルタイムで働くことがむつかしくなってきます。逆に言えば、現役時代のように1つだけでなく、2つ、3つのことを並行しながら取り組むこともできます。週3日短時間勤務で働きながら大学で学ぶ人、仕事の合間にボランティアに取り組むなど、柔道の「合わせ技一本」のように、いくつかのことを並行していくという過ごし方もあります。

 定年後を過ごす際のキーワードは、私は「居場所」だと思います。先ほど述べたように現役時代は「○○社の課長です」と言えば、何も説明する必要はありません。しかし一線を退けば、自分の居場所は自分で探す必要があります。「これをやっているとき、またはここにいることが一番私が私らしいのだ」という、自分なりの居場所を見つけることが大切です。

 この「居場所」は単に空間的な場所という意味だけでなく、時間的な流れや自らの思い入れあるものも含んでいる。自分が納得できる場所と言っても良いかもしれません。
例えば、生まれ育った故郷が一番だという人もいるでしょう。また過去から続けてきた仕事を死ぬまで続けたい人、高校時代に組んだバンド仲間ともう一度音楽活動を始める人もいるでしょう。子どもの頃に夢中になったこと、若い頃にやり残したことに居場所探しのヒントがあるように思います。過去はもう終わったことではなく、現在や未来と一体となって自分を支える居場所になる可能性があります。
 第二の人生は、間違っても、社会や他人の評価などの客観的な側面だけで考えてはいけません。自分はどうかという主体的な姿勢がとても大切だと思います。

 私は60歳で定年退職。3年間の無職を経て今は大学で教えています。その生活にも、まもなく終止符を打つ時が来ます。私自身も先送りしてきた「自分は何者か」という問いに、真っ正面から向き合わざるを得なくなってきました。「死」が近づき、人生の原点に回帰しつつある、ということかもしれません。それが67歳、居場所探しの真っただ中にいる私の実感です。

 どうしても年齢を経ると、終了に向かって進むイメージを持ちがちです。しかし終活のエンディングノートは一旦棚に上げて、今から何か新しいものに取り組む、スターティングノートを作成したいものです。
 パートで新たな仕事をやってみる。ギターやピアノなどの楽器を始めてみる。興味のあった歴史を学んでみる。美術館巡りをしてみる。何でも良いと思います。「今まで知らなかった自分」に気づくことが居場所につながるかもしれません。

 必ずしも収入のある仕事に就くことだけが現役ではないと思います。職業であれ、ボランティアであれ、趣味であれ、学びであれ、「自分なりの居場所」を持つことが現役なんだろうと私は考えています。それが定年後を「いい顔」で過ごすことにつながります。

 雇用延長や70歳定年などは、国の財政問題や個人のお金の問題が中心です。もちろんお金は無視できませんが、何が大切かは自分自身で考えなければなりません。冒頭の70歳まで現役ということを考えた時に、ぜひ皆さんに紹介したい映画があります。映画『マイ・インターン』です。2015年にアメリカで公開されて日米でヒットしました。
 ロバート・デ・ニーロ演じる70歳の新人・ベンが、若き女性経営者を支える姿にいろいろなヒントを教わりました。例えば、フレンドリーな態度で若手社員に対して適切なアドバイスをしたり、朝早く出勤して雑然としていたオフィスを掃除するなど、誠実で穏やかな人柄から女性経営者だけでなく社内の誰からも信頼されるようになります。

 若い頃に見たロバート・デ・ニーロの『ゴッドファーザー PART2』から考えると、魅力的な年の取り方がそのまま主人公の役柄にも反映されています。こんな70歳になれたらと映画を観ながら何度も思ったのです。
 主人公は自らのモットーを示しています。「正しいことを心がける」「行動あるのみ」、ということです。高齢者が周囲の支持を受けるポイントかもしれません。皆さんはどのようにお考えでしょうか?

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