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「つながりつづける力 〜コロナと居場所〜」(視点・論点)

NPO法人「全国こども食堂支援センター・むすびえ」理事長 湯浅 誠 

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新型コロナウイルス感染症が流行して一年が経ちます。今日は、コロナ禍が2020年という節目の年に起こったことを時代の中に位置づけながら、私たちがそこから何をつかみとってこれからの2020年代に生かすべきなのかを、「つながりつづける力」をキーワードに考えてみたいと思います。

コロナ禍のインパクトがあまりにも大きいために忘れがちですが、日本の地域と社会は、コロナ以前から「疎」に向かっていました。「疎」は「密」の反対、過疎の疎、疎遠の疎です。間が空いているとか、親しくない、という意味です。
6部屋も7部屋もある広いお宅に高齢者が一人で暮らしている、隣の家はしばらく前から空き家だ、商店街はシャッター通りになっている、小学校は統廃合されてしまった――こうした出来事・風景は、コロナ前から日本の地域と社会に広がっていました。ふりかえってみれば、コロナ前から自分の周りは密ではなかった、という方は実は多いはずです。
物理的な距離だけではありません。家族や親戚、友人との往来がかつてほどなくなった、地域の行事やお祭りもかつてほど盛んでない、人と人の精神的距離感も、かつてよりは開いていた、遠くなっていたという人も少なくないでしょう。
日本社会は、物理的にも精神的にも「疎」に向かっていました。そこについた名前が「無縁社会」でした。無縁社会という呼び名は「無縁死 3万2千人の衝撃」というタイトルのNHKスペシャルから広まりました。その放送は2010年でした。私たちは、2010年代を「無縁社会になってしまった日本」で生きてきました。
そして、それに抗うために広がっていったのが地域の居場所でした。

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地域交流拠点としてのこども食堂は、東日本大震災の翌年、2012年に誕生しました。2010年代を通じて一貫して増え続け、昨年には全国津々浦々に5000箇所に達しました。都市部や地方を問わず、日本のあらゆる地域が「疎」に向かう中で、それになんとか抗いたいという思いで、地域の人々が自主的に「密」を作っていきました。
それは、コーナーに追い詰められたボクサーがなんとか一撃を打ち返そうとするようなもので、「疎」に囲まれた中にポツンポツンと点在する「密」でした。コロナ前に日本社会が「密」に溢れていたわけではありません。
コロナはそのポツンポツンとあった「密」を攻撃しました。わずかな「密」も打ちのめされて、日本社会は今「疎」に覆われています。日本全体が「過疎化」している状態です。

加えてこの間、日本列島は毎年のように大きな災害に見舞われてきました。無縁社会と言われるようになった2010年代の日本は、災害多発列島でもありました。
ただでさえ地域全体、社会全体が「疎」に向かい、物理的にも精神的にもつながりが薄くなり、暮らしの土台、生きる土台が揺らいでいる上に、さらに追い討ちをかけるように全国各地を災害が見舞いました。災害時は、ふだんの暮らしの脆さ・危うさを思い知るときです。昨日まで一緒にいた人ともう会えなくなる、昨日まであった暮らしが突然に失われるといった体験は、ただでさえ揺らいでいる暮らしの土台、生きる土台をさらに大きくゆさぶります。そして、それまで局地的に起こってきた2010年代の各種災害にさらに追い打ちをかけるように、コロナ禍は日本全土を非常事態に追い込みました。

しかしながら、「疎」に抗って「密」を作り出してきた人たちが完全にノックアウトされたわけではありませんでした。

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たとえば全国のこども食堂の人たちは、コロナで人々が一堂に会することが難しくなっても、お弁当の配布や食材の配布を通じて、人々とのつながりをなんとか保とうとしました。私たちの調査ではそれは1箇所2箇所ではなく、全体の半数にのぼります。もともと無縁社会に抗ってつながりを作ろうとしてきた人たちです。コロナになってもなんとかつながり続けようともがきました。
こども食堂だけではありません。合唱サークルの中には、地元の川べりに行って、横一列に並んで合唱したところがありました。屋外で、横一列に並べば飛沫感染しづらいというわけです。自治会の中には、ひきこもりがちな方に鉢植えをプレゼントし、水やりに出てきたところを声かけするという取組みを行ったところもありました。
よく知られているように、コロナ禍で暮らしぶりの大変な人が増えました。こども食堂を始めとする地域の居場所のみなさんは、人々とつながり続けようとすることを通じて、そうした大変な人たちを見守り、暮らしを下支えするセーフティネットの役割も果たしました。コロナ禍でお弁当配布を始めてみたら、最初は30食だったのが希望者がどんどん増えて80食になったといった話が全国でありました。この状況下でもつながりつづけようとしてくれる人たちのところに、人々が集まってきたのです。

私はここに、これからの2020年代を生き抜く私たちの社会の指針、山積する日本の諸課題を解決する希望を見出したいと思っています。
無縁社会、多発する災害、新型ウイルスと、人々のつながりを断ち切ろうとする試練が続いています。試練は今後も続くでしょう。
その力に抗ってつながりつづけることは、たとえば、つながりづくりによる地域のにぎわいづくり、地域活性化です。大変な人の暮らしを支え、セーフティネットとしての機能を果たすという意味では支え合いの地域づくりという福祉的な意味合いも持ちます。さらに非常時にもつながりつづける点は、災害に強い地域づくりという防災活動でもあります。
しかし、そうした個別の課題解決を超えて、つながりを断ち切る力に抗うことは、何よりも社会的動物としての人間の生きる土台、暮らしの土台を守ることなのだと思います。

このつながりつづける力を、社会のメインストリームに据えて、太く大きく育てていく必要があります。
私は、去年の夏も、今年の正月も、帰省しませんでした。年老いた母親が地域でつながりを持てていることのありがたみを痛感しました。この一年、私と同じような体験をした人が全国にいるはずです。みなさんはそこで、「つながりつづける力」の重要性に触れています。その気づきを「社会の片隅でがんばっている人もいるんだね」と流してはいけない、コロナの収束とともに忘れ去ってはいけない、と思います。
「早く行きたければ一人で進め、遠くまで行きたければ皆で進め」――アフリカの諺です。私たちは、私たちの地域と社会と、そして世界を、遠くまで続ける必要と、その責任があります。そのためにはみんなで進む必要があり、そのためにはつながりつづける力が欠かせません。
それが、コーナーに追い詰められた私たちが、本当の意味でコロナに一矢報いる方法だ、と私は信じています。

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