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「『富岳』で拓く未来」(視点・論点)

理化学研究所 計算科学研究センター センター長 松岡 聡

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新型コロナの飛沫の広がりで多くの方々が知ることになった「富岳」ですが、世界スパコンランキングで圧倒的な性能差で主要4部門すべてで1位を獲得し、今年(2021年度)からいよいよ実用に向けて運用が開始されます。今日は、富岳の概要と、期待される成果、そして、スパコンを使ってどのように所謂Society5.0が実現されるのか、更にその未来の為にどのように富岳の後をつなげていくのか、等を述べたいと思います。

VTR(富岳・富士山)
理化学研究所・計算科学研究センターと富士通株式会社が研究開発し、もうすぐ共用が開始されるのが我が国のフラッグシップ・スーパコンピュータ「富岳」です。富岳という名前の由来は富士山で、それはスパコンの理想像を具現化しています。それはトップのスパコンとしての高い性能と、汎用性の高い、従来の科学的なシミュレーションだけでなく、AIやビッグデータを広い分野のアプリケーションプログラムへの適用、広いユーザーの基盤となること、これらが両立していることです。

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このようなスパコンが、我が国のITによる社会変革である「ソサイエティ5.0」の基盤的な存在としてその力を発揮していきます。

しかしながら、この「富岳」の理想の達成、つまり、高い性能と高い汎用性は技術的に両立させることは大変難しいのです。
その為に、富岳では「アプリケーション・ファースト」な所謂「ムーンショット」的な計画を進めました。
初期には、当時のスパコンのアプリケーションの研究者を一部屋に集め、それぞれが10年後に100倍を目安とした性能向上を達成したマシンを使えるとして、どのような科学的なイノベーションが可能で、そのためにはどのような計算を実際に行って、どのようなスパコンが必要か、という調査を行いました。それをまとめるだけで2年間かかったのですが、その結果として、600ページ以上の「計算科学白書」が編纂され、それを元に我が国の「フラッグシップスパコン」の富岳のデザインが検討されることとなったのです。

そこからすぐに得られた結論としては、当時富岳の稼働時期として目された2019~2020年の時期に、計算科学白書のアプリケーションの性能などを実際に満たすことは、その時期に登場されていると目された商用の汎用CPUを用いるのは無理だ、ということでした。勿論、新規開発するにしても、通常の一企業が行う開発目標の適用では、とても無理だということでした。
そのため、正に国家プロジェクトとして、いわゆる「ムーンショット」的な研究開発が必要だ、ということでした。

VTR(アポロ計画)
「ムーンショット」とは、1960-1970年代の米国のアポロ計画に語源があり、到底到達不可能と思われる「月」という目標に対して、全米の航空宇宙産業がNASAを中心に総力を挙げて、リスクの高い技術を開発・採用し、それによって目標を達成したものです。

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富岳の場合も同様に、規模はずっと小さいものの、日本におけるスパコンのコミュニティ全体が理研を中心に総力をあげて、国家プロジェクトとして高いリスクを伴った研究開発を行い、高い目標を達成したのでした。

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その結果、10年の歳月を経て開発された富岳は、2020年6月および11月に世界主要スパコンランキングで、二位を数倍引き離す圧倒的な性能差で主要4部門の全てで一位を獲得しました。また、富岳の前身である「京」と比較して、広い分野の実際のアプリケーションで最大で100倍以上の加速を達成しました。これらによって富岳の稼働と共に、最適化された多くのアプリケーションを同時に動かす事が可能となり、ソサイエティ5.0の多くの国民の高い関心事の問題解決に随時適用することが可能となっています。

VTR(飛沫シミュレーション)
例えば、対コロナウィルス研究へ富岳を早期適用するプログラムでは、飛沫やエアロゾルを富岳でモデル化し、様々な実生活の環境でシミュレーションすることによって、多くの感染経路が判明しただけでなく、マスクや換気の有効性を科学的に示す事が可能となり、政府や諸団体のガイドライン制定などにその結果は取り込まれています。

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これ以外にも、がんの克服などの医療や創薬への応用、台風・地震・洪水などの自然災害の被害予測や将来の世界的な地球温暖化の環境予測、CO2削減のためのタービン発電の効率化や高効率太陽電池、更には次世代蓄電池の開発などのエネルギー分野への適用、さらに新しい素材からタンカーなどの大きな構造物に至るまでのさまざまなモノづくりなど、多くの分野へ富岳が実現するシミュレーション・ビッグデータ・AIの高性能化が、新たなソサイエティ5.0を実現するイノベーションの原動力となると目されています。

このように、富岳は「アプリケーション・ファースト」なスパコンとして、今後の活躍が期待されます。しかし、スパコンの進化は早く、いつの日か富岳も他のスパコンに対し遅れを取る日が来るでしょう。このために、富岳が京が完成したと同時に後継となるべく研究開発が開始されたように、富岳を継ぐマシンの開発は、富岳が完成しつつある、今まさに行う必要があります。そのために、我々は何をすればよいのでしょうか。これに関し、私の私見を述べたいと思います。

まず、第一に、スパコンやそのCPUを代表とするトップのITの技術は、IT全体のマーケットでの競争力、また、その高度な応用という二つの面で、その存在や質は国力を左右します。わが国ではスパコンでは富岳で成功しましたが、他のITのインフラ分野では後塵を拝しています。ここで日本がトップに立つためには、その源泉たるトップのCPU研究開発を、民間に任せきりにせず、富岳のような国家プロジェクトとして継続的に遂行していく必要があります。米国や欧州、中国は2021~2022年に富岳を超えるマシンを実現するべく国が協力に後押ししてスパコンやクラウドに導入されるトップCPUの研究開発を、広いIT分野のリーダーシップのために進めています。我が国も、今後もそれらに対抗する研究開発を続け、結果のCPUやスパコンを世界のITマーケットでの競争力の確固たるものにすべきでしょう。

第二に、しかしながら、技術的には、CPUの高速化は年々困難になってきています。その理由は、CPUの進化の源泉であった、いわゆる半導体の進化による微細化の終焉をむかえつつあることで、その解決の為に一層の研究開発が必要です。最近話題の量子コンピュータは残念ながら万能の解決にはならず、それが適用可能なアプリケーションに対しては画期的な速度向上がもたらされると期待されます。我々理研やその他の研究機関でもさまざまな研究を行っていますが、その適用範囲は狭く、今後もその拡大は困難を伴います。広い汎用性とソフトウェア資産の継続性を担保しながら、広い範囲でスパコンの性能を向上させていくのは、技術的なチャレンジが大きく、明確な目標と危機感をもって、「ムーンショット」的になされるべきでしょう。

第三に、スパコンは、そのパワーを有効に活用できるような、性能と汎用性を両立させるマシンのハード・ソフト・アプリケーション全ての研究開発が必要で、さらに、それぞれの応用分野で、適した情報技術や科学技術のノウハウが必要です。

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富岳がコロナウィルスにいち早く対応できたのも、富岳の開発と共に様々な「重点課題」における重要分野のアプリケーション研究が同時に進み、人材育成も同時に行われたからです。スパコンの分野が従来のシミュレーションから、AI、ビッグデータ、それらを用いたソサエティ5.0への活用に広がり、様々なIT分野へその利用が進められるので、それに向けた情報分野や応用分野の人材育成にも手厚い投資、手厚いケアがなされるべきでしょう。

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