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「戦後75年 私たちはなぜ戦争の歴史を学ぶのか ~分断の進む世界の中で~」(視点・論点)

東京大学 教授 加藤 陽子 

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 今年は、第二次世界大戦が終結してから75年目にあたります。ただ、その75年目の夏を私たちは、いつもとは違う緊張感とともに迎えています。ウィルスによるパンデミックが世界に広がり、各国は感染封じ込めと経済活動の両立に苦闘しているところです。そして、このウィルスは、人々の間の分断をも浮き彫りにしました。

アメリカでは、マティス前国防長官がトランプ大統領のことを、国民を分断しようとしている初めての大統領だと批判して話題になりました。「分断して制圧せよ」はナチスのスローガンであって、アメリカはそれに対し「団結こそ力なり」との理念の下に1944年6月のノルマンディー上陸作戦を決行したと述べ、先の大戦の歴史の一コマを比喩として用いました。日本においても、医療用マスクや防護服が不足する中、新型コロナ患者の治療にあたらざるをえなかった医療現場の過酷さを、兵站の支援なしに決行された1944年3月の「インパール作戦」にたとえる言説が多く見られました。
 ここで注目したいのは、国家による政策の是非をめぐっての鋭い意見対立が社会を分断する事態、あるいは、自己の生命の安全が脅かされるような事態に対し、人々が先の大戦の歴史を比喩として用いて語っていることです。先の大戦が想起された理由は、国家への国民の信頼が揺らぎ、国家と国民の間の「社会契約」というべきものが、戦後の歴史において初めて真剣に問い直されたからではないでしょうか。
世界中で、このような現象が見られた背景には、人々がこの春以来置かれてきた社会の緊張状態があると思われます。感染への怖れのみならず、PCR検査の規模と実施目的をめぐる意見の対立、感染防止のために個人の自由や私権を制限することへの是非をめぐって国民世論は二分されました。どちらも正しいように見える二つの見解が、それぞれの支持者をバックに激しく対立する構図は、人々に特別な緊張を強いています。
歴史は一回性を特徴としますので、現代を過去の、ある時代と比べるのは簡単ではありません。ただ、国家や社会が置かれた、ある歴史的条件に注目することで、起こりうる傾向を推測することは可能です。今回お話ししたいのは、国家を二分する鋭い意見対立が社会を強く緊張させるとき、いかなる事態が起こるのかについてです。
対外戦争への歴史を振り返ったとき、1932年の五・一五事件や1936年の二・二六事件など国内でクーデターが続発していたことに気づかされます。その根底にあったのは、1930年のロンドン海軍軍縮条約をめぐる対立でした。

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巡洋艦など、補助艦の保有量制限について、時の浜口雄幸内閣は、対英米7割要求を貫徹できないまま、英米両国との協調関係を保つために条約を調印したのです。当時の日本の経済力を考えればこれは妥当な選択でした。この時の幣原喜重郎外相の考え方を史料から引用しておきましょう。

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「〔もしロンドン海軍軍縮条約が締結できなければ〕ひいて日支の関係もまた間接に不利なる影響を受けるものと覚悟しなければならぬ。日本と英米との国交が円満なる限り、支那は遠交近攻または以夷制夷の政策を弄するの余地がないけれども、日本と英米とが離反して相対峙するならば、支那は之に乗じて何事に付ても日本に強く反抗するの態度を執るに至るであろう。」と述べています。日本が英米と協調を保てば、中国も日本と協調するはずだとの見立てです。
一方で、日露戦争の勝利を導いたとして国民から信望があった東郷平八郎元帥、また海軍の中で作戦計画を立てる部署であった軍令部の人々の考え方は全く異なっていました。

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これも史料の言葉ですが、「将来の支那は禍根である。日本の武力が畏敬すべきものではなくなったら東洋の平和はたちまち乱れる。〔中略〕支那問題を見よ。到る処に国際問題を起こすべき不安がある。〔中略〕。ここに危険が伏在す。」と述べていました。幣原外相の議論とは異なり、日本の軍事的な威信が英米を圧倒して初めて、東洋に平和が保てるとの見立てです。
このように、日中関係を安定させる方法として国民の前に示されたのは、真っ向から鋭く対立する二つの議論でした。ここで注目されるのは、日中関係を論じる際、幣原も東郷も、英米との関連の中で日中関係を論じていたことです。1923年の「帝国国防方針」においては、今後列強の間で闘われる経済戦争は中国で勃発すると予測され、日本と衝突する可能性が最も高い国としてアメリカが挙げられていました。中国をめぐる日米対立から戦争が起こるとした予測は、太平洋戦争の開戦直前までなされていた日米交渉で最後までもつれたものが、日本軍の中国からの撤兵問題だったことを思う時、正確なものだったといえるでしょう。
このように、東郷平八郎や海軍軍令部などの政治勢力は、政党内閣が統帥権を干犯したと批判し、部内の条約締結派を排除する人事などを進めます。ただ、安全感をめぐる意見が鋭く対立する中で起こった最も深刻な事態は、対米作戦の場合に共同で南方作戦を行うはずの陸軍との間で、十分な情報共有がなされにくくなったことでした。国論を二分する争いとなれば、議論の欠点や問題点を対外的には隠そうとする気持ちが働くからです。それを端的に示す史料を見ておきましょう。

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これは、将来の対南方作戦を共同で担うはずの陸軍の側が、1930年3月末、海軍側に対して深刻な疑義を呈したもので、陸軍の作戦計画にあたる参謀本部作戦課員であった河辺虎四郎の意見具申です。「もし、海軍自体が信ずる所なきまでに海軍兵力を有し得ぬならば、彼の至難なる作戦を決行し、未開瘴癘の地に多くの陸兵を送りて、これを疾病、飢餓、敵刃の下に斃死全滅せしむることは断じて止むべきなり。」。ロンドン海軍軍縮条約で認められた兵力量では、対米作戦を戦えないと海軍側が考えているのならば、陸軍は共同作戦に参加したくないと述べていました。文中にある、未開瘴癘の地の意味は、伝染病がはびこるような熱帯地域といった意味であり、そこに兵隊を送って、むざむざ病気や飢餓で全滅させたくないと、陸軍側から海軍側への不信感を表明したものでした。
この史料は1941年に太平洋戦争が始まる11年も前に書かれたものです。開戦後にガダルカナル、レイテの戦場で何が起きたかを私たちは知っています。開戦後にあって、陸軍と海軍は、十分な情報共有を行わず、この予言通りの惨状を招きました。
厳しい意見の対立が国論を二分するような社会の緊張を解くには、予算審議や立法行為によって国家の行政をチェックできる議会の機能を活用すべきでしたが、戦前期の日本にはそれができませんでした。陸海軍の間での十分な意志疎通や情報共有も図られませんでした。鋭く意見が対立する状況では、それぞれの主張を支える根拠や決定へ至るプロセスが、国民の前で十分に情報開示されることが本当に大切だと思います。コロナ禍の中で戦争の歴史を考える意味はそこにあります。

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