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「国際政治と感染症 ~新型コロナで見えた国際保健協力の課題~」(視点・論点)

東京都立大学 教授 詫摩 佳代 

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グローバル化時代の感染症は、もはや公衆衛生という閉じられた一領域の課題ではなく、グローバルな危機に繋がります。一旦感染が広がれば、我々の健康のみならず、世界経済や日常生活、国家の防衛に至るまで、幅広い領域に甚大な影響を与えうるからです。今日は新型コロナで浮き彫りになった課題を踏まえながら、グローバル化時代の感染症にいかに対処していくべきか、考えてみたいと思います。

 グローバルな脅威ともいうべき感染症には、大国のリーダーシップに支えられた国際協力が不可欠です。エイズに関しては2000年、蔓延(まんえん)を放置すれば国際社会の平和と安全の脅威になるとうたった国連安保理決議が採択され、WHO世界保健機関のほか国連合同エイズ計画や世界銀行など多様な枠組みが連携、感染者数を確実に抑えてきました。2014年の西アフリカでのエボラ出血熱については、当時のオバマ大統領のイニシアティブのもとサミットが開催され、国連エボラ緊急対応ミッションが設立、リベリアで展開されていた国連平和維持活動と協力しながら対応にあたりました。グローバルな危機に対していかに国際社会が協調できるかが、感染症コントロールの成否を左右してきたと言っても過言ではありません。
 以上の事例とは対照的に、新型コロナを巡ってはアメリカのリーダーシップはおろか、米中の対立が対応の障害となっています。

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トランプ大統領は4月以降、WHOが「あまりにも政治的で、中国寄りである」と批判、7月初旬には国連に対し、WHO脱退を正式に通告しました。対する中国は新型コロナを懸命な努力により制御した、この問題を政治化し、WHOを中傷するものがいると暗にアメリカを指しつつ反論、WHOを舞台に米中対立が激化しています。新型コロナは幅広い領域に影響を与えるからこそ、政権担当者にとってはその対応が選挙や政治運営、外交関係に影響を及ぼすことを意識せざるを得ず、その対応が極めて政治的になってしまうのです。とりわけトランプ大統領のWHO批判には、秋の大統領選挙を意識して、政権のコロナ対応への批判を迂回しようという意図が強く読み取れます。
 トランプ大統領が批判の矛先を向けるWHOは、新型コロナをきっかけとして様々な問題を露呈しています。健康に関する様々な基準を設定すること、国際的な保健協力を調整すること、感染症対応に関しては必要な情報を集め、状況を評価し、各国に適切な勧告を行うことがWHOの役割です。WHOは1月末に「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言して以降、対応のためのガイドラインを発表、5月末にはワクチン、治療薬、診断ツールを国際的に共有するためのイニシアティブを立ち上げました。基本的な役割は果たしてきたのです。

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 むしろ今回明らかになったのは「できることをやっていない」不作為の現状というより、「できることが限られている」という現状でした。WHOの役割はいずれも強制力を伴わず、加盟国の自発的な協力があって初めて機能します。感染症対応に関しても、WHOが積極的に感染症情報を収集し、発生国に立ち入って調査するという権限は持たず、発生国が自発的に申告する情報に依拠するよりほかありません。WHOは中国に特別な配慮を行ったと批判されてきましたが、そのことはこうした限界が招いた一つの帰結でもありました。2003年SARSの時、WHOは中国の対応を批判、結果的に対応に苦労しました。その経験から、今回は称賛することでコミュニケーションをより円滑に図ろうとしたのです。強制力がないが故に、発生国との円滑なコミュニケーションが鍵になるという部分が強く意識された結果でもありました。
 それでは、具体的にどのような改革が必要なのでしょうか。感染症対応の国際条約である国際保健規則の改定によって、WHOのできることを増やしていくというのが現実的な処方箋です。国際保健規則は国際環境の変動に応じて度々改定されてきました。

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国際的な公衆衛生リスクについて、WHOの初動対応の権限を見直し、あらゆる情報を駆使してWHOが感染拡大のリスクを早期に発見し、発生国で封じ込めができるようにすることが必要でしょう。
 このほか状況の評価や各国への勧告に関しても、より詳細な基準づくりが求められます。インフルエンザについては6つのフェーズが設けられていますが、それ以外の感染症については「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」か否かという二つの基準しかありません。より細かい状況区分が設定されるべきですし、個々のフェーズについて、水際対策やサーベイランス等に関するより具体的な勧告基準を作成する必要もあるでしょう。
 以上の作業はWHOに任せておけば良いものではありません。WHOは国際機構であり、主体的に何かができるわけではないからです。権限を決めるのは加盟国ですし、改革のための具体的なロードマップを作成し、実行に移していくのも加盟国です。とりわけWHOの権限を強化するという改定案には、国家主権への侵害を憂慮する多くの国が反対することも予測されるため、関係国の合意形成に向けた外交的努力が不可欠です。従来、そのような動きをリードしてきたアメリカが保健協力に背を向け、中国には公正な改革をリードすることは期待できません。となるとヨーロッパやオーストラリア、日本といったいわゆるミドルパワー諸国の積極的な関与が不可欠です。新型コロナへの対応を巡ってはこうした国々が医薬品の開発・供給等に関するパートナーシップの設立を主導してきました。近頃、連携を深めるインドとオーストラリアはともにWHO執行理事会の今期メンバーであり、WHO改革をリードできるのではという期待が高まっています。日本は米中双方と悪くない関係を維持しているため、より公正なWHO改革に向けて、双方に働きかけるという役割も期待されるでしょう。
 アメリカの不在は、保健協力における中国台頭の余地を与えます。中国産の医薬品は途上国にとってアクセス可能なものであり、今後、中国がワクチン開発に成功すれば、台頭の余地はさらに広がります。保健協力において、人権の尊重や法の支配、透明性の確保といった規範を維持・強化する上でも、自由民主主義国の積極的な関与が不可欠です。また昨今、激化する米中対立は、保健協力の場においても、激しさを増すことが予測されます。具体的には、今年の秋に予定されている世界保健総会での各種議題や、8月に始まる中国での調査、台湾のオブザーバー参加資格等をめぐって、米中の衝突が繰り広げられるでしょう。政治対立に汚染されて、新型コロナの収束という本来の目的が見失われないように、その基盤となるものをしっかり維持する国々の存在が今後、極めて重要となるでしょう。
 結局、歴史が証明するように国際協調なくして感染症をコントロールすることはできません。感染が拡大する途上国への支援も、ワクチンの開発とその公平な供給にも、国際協力を調整する組織が不可欠です。また新型コロナは世界経済の混乱や貧困の助長など様々な副産物をもたらすことも懸念されており、その副産物を最小限に止める上でも国際協力が欠かせません。既存の枠組みの問題点を洗い出し、補強し、その長所を生かしていくためには、加盟国の積極的な関与が不可欠です。
その連帯を維持・強化する上での熱意と工夫が今、求められています。

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