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「ロシアの憲法改正とプーチン政権の展望」(視点・論点)

防衛研究所 政策研究部長 兵頭 慎治

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 去る7月1日、憲法改正に関する全国投票がロシア全土で実施され、賛成多数で承認されました。首相時代を含めて20年間君臨する、プーチン大統領の現行任期は2024年までですが、今回の憲法改正により、最長2036年まで大統領の座にとどまることが可能となりました。
今日は、プーチン大統領による憲法改正の狙いは何か、また今後のプーチン政権の展望について考えます。

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 全国投票は、当初、4月22日に予定されていましたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて7月1日に延期されれました。結果は、投票率68%、賛成78%、反対21%となり、大統領府は「プーチン大統領が信任投票に勝利した」と宣言しました。一部で不正投票も指摘されますが、投票率と賛成票の割合を掛け合わせると、ロシア国民の過半数が憲法改正に賛同したことになります。
 憲法改正は、今年1月、プーチン大統領が突如提案したもので、議会の権限強化や社会福祉の向上など200項目以上に及びます。大統領の任期は2期までに制限されていますが、憲法改正前に就任した大統領には適用されないこととなり、プーチンは最長で2036年まで大統領を務めることが可能となりました。

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 従来、プーチン大統領は、2024年以降の続投に否定的な態度を示していましたが、現行の任期がまだ4年も残る中、なぜ憲法改正を急いだのでしょうか。
これまで2024年の退任が規定路線であると思われていたところ、プーチン大統領のレームダック化や後継者争い、それに伴う権力闘争の動きが懸念されたのではないかと思われます。

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 本年1月にプーチン大統領は、憲法改正の提案とともに内閣改造を行い、メドベージェフ首相を退任させました。後任には政治的野心の無い税務官僚であるミシュスチン連邦税務庁長官を指名して、人心一新を図ったのです。これも政権安定化策の一環とみられます。さらに、今回の事実上の信任投票で、国民から広範な支持を得ることで、政治的な求心力を維持しようとしたとみられます。
それでは、2024年の大統領選挙に向けて、今後どのような動きが予想されるでしょうか。
次の3つのシナリオが考えられますが、どれも一筋縄ではありません。

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まず、最も自然なシナリオが、プーチンが新しい後継者を指名するというものです。閣僚や地方の首長、官僚の経験者などが候補になるとみられますが、20年に及びロシアを束ねてきたプーチン大統領に匹敵する有力な人材は今のところ見当たりません。プーチンに忠実で政治的野心が小さく、これまでの権力構造を大きく変えない人物が選ばれることになるでしょう。
適任者が見つからない場合、プーチンの信任が厚いメドベージェフ前首相を大統領に再任するというオプションも排除されません。メドベージェフ氏は、本年1月の首相退任後も、安全保障会議副議長に就任して、クレムリンの権力中枢にとどまっています。ただし、かつての汚職疑惑などで国民から不評を買っているほか、プーチンとの間で再度大統領ポストを交換することには批判が集まるでしょう。
プーチンが大統領を退く場合でも、上院議長や国家評議会議長といった要職にとどまった上で、院政を敷くことも予想され、今回の憲法改正にはそうした機関の権限強化が盛り込まれています。
そして、プーチン大統領は、第3の選択肢として、権力移譲を先送りするという切り札を手に入れました。これに関しても、2036年まであと16年間、プーチンが大統領を続けることは必ずしも現実的ではありません。
現在プーチン大統領は67歳ですが、既にロシア男性の平均寿命に差し掛かっており、2036年の退任時には83歳となります。しかも、コロナ感染拡大と原油価格低迷のダブルパンチにより、プーチン大統領の支持率は2000年の政権発足以来、6割を切る最低水準に陥っています。

 7月中旬には、ロシア極東地方のハバロフスクで、プーチン政権と距離を置く知事が逮捕されたことに抗議する数万人規模のデモが行われ、長期政権に対する地方の不満が噴出しました。以前から、都市部や若年層を中心に、ロシア国内ではプーチン政権に対する閉塞感が漂っています。
後継者に権力を譲り渡すにしても、自らが権力を握り続けるにしても、そこには苦悩するプーチンの姿が存在するでしょう。

 ここから今後のプーチン政権の行方を展望してみたいと思います。
 かつてプーチン大統領は、2014年にウクライナのクリミア半島を併合して、国内で愛国主義的な機運を自ら高めて、国民からの高い支持率を維持することに成功しました。しかし、前回の2018年の大統領選挙で再任されて以降、ウクライナやシリアで見られたような、外交・安全保障分野での積極的な動きは失われています。自らの権勢が緩やかに衰える中、
コロナ対応や経済低迷に加えて、ポスト・プーチン体制の模索という内政課題に直面し、プーチン政権は内向きを強めています。
今回の憲法改正には、第二次世界大戦勝利の歴史を守るといった価値観が盛り込まれました。政権浮揚を図るための「第2のクリミア」が存在しない中、プーチン大統領は保守的なイデオロギーに傾斜する姿勢を強めています。
国内のナショナリズムを高めるため、外交面では、引き続き、対外強硬姿勢を掲げ、「反米親中路線」を強めるものと予想されます。本年11月に米国で大統領選挙が予定されますが、ロシア疑惑問題などで対露関係改善の余地を失ったトランプ政権が続投しても、ロシアに厳しいバイデン民主党候補が当選しても、米ロ関係の改善は見通せないでしょう。

昨年8月に中距離核戦力全廃条約(INF条約)が失効し、さらに来年2月には新戦略兵器削減条約(新START)の期限が満了する見通しです。米ロ間の核ミサイルをめぐる軍備管理条約が全て消滅して、新たなミサイル配備競争が始まり、米ロ関係の悪化が政治分野から軍事分野に拡大する可能性もがあります

今回の憲法改正には、外国への領土割譲の禁止も盛り込まれました。ロシア政府は、日本との平和条約締結交渉を継続する意向を示していますが、ロシア国内では北方領土の返還に反対する政治的な動きが強まっています。プーチンとしても、自ら高める国内の愛国主義的な機運に縛られて、北方領土問題で譲歩することはますます難しくなるでしょう。
なお、これまでロシア側が強く反発してきた、地上配備型迎撃ミサイル・システム「イージス・アショア」の配備が断念されたことに、ロシア側は重大な関心を示しています。
コロナの影響で対面による首脳会談や外相会談は中断されていますが、今後の日露交渉にどのような影響が及ぶのか注目されます。

強いリーダーシップを失いながら、長期化するプーチン政権にどう向き合うべきか、領土返還を求める日本としては、新たな対露戦略の練り直しが求められると言えるでしょう。

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