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「脳科学から見た新しいメンタルヘルス対策」(視点・論点)

広島大学 特任教授 山脇 成人  

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新型コロナウイルス感染の拡大は、人々に感染による恐怖とともに、外出の自粛、経済不安が加わった、これまでに経験したことのないストレスを引き起こし、日常生活を一変させました。
国連のグテーレス事務総長は5月13日に各国政府にメンタルヘルス対策の強化を呼びかけました。これに続いて、世界保健機構WHOも新型コロナのストレスによるうつ病、アルコール依存症、自殺などの急増を警告し、メンタルヘルス対策の強化を要請しました。
日本では、感染症対策や休業補償などの経済支援対策は予算措置されましたが、従来型のメンタルヘルス対策は相談やカウンセリングが主体で、人手不足の問題もあり、まだまだ不十分です。最新の脳科学や人工知能(AI)を活用したメンタルヘルス対策を早急に確立する必要があります。

新型コロナは私たちのこころにどのような影響を及ぼすのでしょうか。感染流行前から、うつ病患者は年間127万人と急増しており、その予備群は膨大な数に上ることが指摘されていました。今回のコロナ禍による長期間のストレスは、水面下に潜んでいた膨大なうつ病予備群を一気に発症させることが予測されます。また自殺対策により減少傾向にあった自殺者数の再増加も心配です。
本日は、日本脳科学関連学会連合が6月25日に発表した緊急提言を紹介し、新型コロナ感染に向き合うための新しいメンタルヘルス対策の必要性についてお話ししたいと思います。

私たちの提言の1つ目は、脳科学とAIを用いたメンタルヘルス対策の確立です。
こころの発生源である脳の機能はあまりにも複雑なため、その機能を客観的に評価することが難しく、これまで科学的根拠に基づくメンタルヘルス対策は確立されていませんでした。しかし、近年、脳機能の可視化技術の進歩は著しく、困難とされてきたうつ病などの精神疾患の病態解明も着実に進んでいます。

その事例として我々の研究を2つ紹介します。
最初は、脳科学とAIを用いたうつ病研究で、抗うつ薬の効果予測の研究です。

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図の左側に示すように、うつ病患者は多種多様で、抗うつ薬が効く患者、効かない患者が混在しています。複雑な患者タイプを整理するために、未治療のうつ病患者さんの協力を得て、SSRIという抗うつ薬治療の前後に、左下の写真で示す、脳活動をリアルタイムに計測できる機能的MRI(fMRI)検査で脳の活動の違いを調べました。脳活動が高いと赤く、低いと青く表示されます。
さらに、幼少期のいじめ・虐待などのトラウマや気分・意欲・不安などの心理検査、遺伝子などの血液バイオマーカーの検査を行いました。これらの多次元の検査データをAI技術の一つである機械学習によりパターン解析すると3つのグループに分類されました。

治療前のある脳部位の活動が高く、幼少期トラウマのスコアも高い患者グループ1は、抗うつ薬が無効であることが判りました。このように、脳科学とAIを用いることで、科学的根拠に基づく薬の効果予測が可能となることが示唆されました。

事例の2つ目は、薬が効かない難治性うつ病の患者さんが、自分自身の脳の働きを見ながら、症状を改善させていくニューロフィードバック治療法の研究です。

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うつ病患者では、図の左側のように治療前には、緑色で示される左前頭葉のDLPFCという意欲に関わる脳部位の活動が低下しています。それとシーソー関係にある青色で示される後部帯状回(PCC)という脳部位の活動が異常に高くなっています。PCCはクヨクヨと繰り返し考える反芻症状に関連する脳部位と言われています。
そこで、この研究では、計測しやすい左前頭葉DLPFCの脳活動を可視化して、患者さんにリアルタイムにフィードバックし、その活動を高めるイメージ訓練を1回8分間、1日3回を5日間行ったところ、図の右側のようにDLPFCの活動が上昇し、PCCとのバランスが保たれ、うつ病症状が改善しました。

しかし、このfMRIを用いたニューロフィードバック治療は大病院でしかできません。クリニックでも可能にするためには、より小型の脳波計などを用いたニューロフィードバック技術の開発が必要となってきます。また、ニューロフィードバック技術は、うつ病予防対策としても有用です。自宅や職場で可能にするためには、さらに小型にする必要があります。
現在では、心拍や血圧などの生体情報を、手軽に身につけて計測できるスマートウォッチのようなウエアラブル計測機器や、そのデータをクラウドに送受信する情報通信技術(ICT)も急速に進化しており、多くの人の「脳や生体の情報」を集めてビッグデータ化することも可能になっています。
個人情報保護の対策は不可欠ですが、これらのビッグデータをAI技術により、人それぞれのこころの機能を可視化する技術の開発も可能なレベルに達しています。現在進行中のWithコロナにおけるメンタルヘルス危機を克服するためには、このような最先端技術を駆使した科学的根拠に基づくメンタルヘルス対策の確立が急務です。

提言の2つ目は、Afterコロナの研究者と地域社会のつながり方、に関する提案です。
メンタルヘルス対策はこれまでは、病院、学校、職場などで相談やカウンセリングなどが個別に行われていました。
脳機能に基づいた効率的なメンタルヘルス対策を確立するためには、ウエアラブルICT機器を用いた生体情報やこころの状態のデータを多くの人から集めてビッグデータにする必要があります。

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これまで大学の研究者が地域住民と交流する機会はあまりありませんでした。実社会のビッグデータを集めるためには、脳科学やAIの研究者がもっと地域に入り込み、地域住民に研究をわかりやすく説明して、協力を得ることが必要になります。
また、住民の意見を聞きながら使いやすいメンタルヘルスシステムを開発して、フィードバックしていくことが重要です。
これを実現するためには、脳科学を専門とする研究機関と、各自治体の精神保健機関、介護施設、病院、学校、職場などが連携するネットワークやプラットフォームの整備が必要になります。

提言の3つ目は、産・学・官・民の連携の重要性です。
脳科学に基づくメンタルヘルス対策を実現するためには、複雑なこころのメカニズム解明のための長期的な脳科学研究の公的資金の支援のみならず、企業や民間ファンドによる投資なども必要です。ICT技術、AI技術は民間企業の方が先行しているところもあり、大学などとの産学共同による研究開発の加速が必要になります。
ビッグデータの収集や使いやすいメンタルヘルスシステム開発のためには、「企業」、「大学などの研究機関」、「政府や自治体」とともに、住民も一緒に参加する「産・学・官・民」の連携が欠かせません。

新型コロナで働き方や生活スタイルが大きく変わる中で、メンタルヘルスの問題は他人事ではありません。働く世代が減少する中で、いくら経済が回復しても、こころの問題が原因で働けなくなる人が増えるのでは元も子もありません。日本の脳科学とAI研究を加速し、こころの健康を維持するメンタルヘルス対策の確立が急がれます。

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